第13章 再会と引き金の瞬間
三日間、私は実家の周囲をうろつきながら、両親の生活リズムを把握した。
父は朝七時に家を出て、夕方五時頃に戻る。母はほとんど家から出ず、昼過ぎに近所のスーパーへ行く程度だった。昔と何も変わっていない。いや、変わったのは私だけだ。
四日目の午後、私は決めていた。
「偶然を装った再会」を演出する。
帽子とマスクをつけ、母が通うスーパーの前で待つ。胸の鼓動が異常に速く、指先が冷たくなっていく。
――逃げたい。
――でも、ここまで来た。
自分にそう言い聞かせながら、私はベンチに腰を下ろしてスマホをいじるふりをした。
やがて、自動ドアが開き、母が出てきた。
太った体、無造作に結ばれた髪、くたびれた服。
記憶の中の母と、まったく同じだった。
その瞬間、視界が歪んだ。
幼い頃の記憶が、洪水のように押し寄せる。
殴られた夜。
泣き叫んでも止まらなかった暴力。
金のために体を差し出すことを強要された日。
逃げ場のない家の中で、何度も何度も心が壊れた。
私は立ち上がり、わざとぶつかるように母の前に出た。
「……すみません」
母は一瞬だけ私を見て、軽く会釈をする。
その目に、何の感情もなかった。
私だと、気づいていない。
――それが、決定打だった。
私の人生を壊した女は、何も覚えていない。
何も反省していない。
何も感じていない。
心の中で、何かが音を立てて壊れた。
その日の夜、私はホテルで一睡もできなかった。
天井を見つめながら、何度も何度も思い出す。
父の怒鳴り声。
母の嘲笑。
誰にも助けてもらえなかった夜。
「やるしかない」
呟いた声は、自分でも驚くほど低く、冷たかった。
翌日の夕方、父が帰宅する時間を狙って、私は実家の裏手に回った。
昔、物置の横にあった勝手口。
鍵が壊れかけていたのも、昔のままだった。
ゆっくりとドアを開けると、家の中は静まり返っていた。
テレビの音だけが、居間から漏れている。
私は靴を脱ぎ、足音を殺して廊下を進む。
居間のドアの前で、立ち止まった。
手が震えている。
喉が異様に乾く。
――今なら、まだ引き返せる。
一瞬だけ、そう思った。
だが、すぐに脳裏に母の無表情な顔が浮かんだ。
私は、ドアを開けた。
父はソファに座り、テレビを見ていた。
一瞬、こちらを見て、怪訝そうな顔をする。
「……誰だ?」
私はマスクを外した。
父の顔から、血の気が引いていく。
「……綾……?」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が焼けるように痛んだ。
今さら、名前を呼ぶのか。
「久しぶりだね」
声は不思議なほど落ち着いていた。
自分でも信じられないほど冷静だった。
父は立ち上がろうとしたが、私は一歩前に出た。
「動かないで」
その瞬間、母が台所から顔を出した。
「……何、あんた……」
私と目が合い、数秒遅れて理解したように目を見開く。
「……綾……?」
その場の空気が、凍りついた。
言葉が溢れてきた。
怒り、恨み、絶望、孤独。
何年も溜め込んできた感情が、一気に噴き出す。
「よくも、普通に生きていられるね」
「私がどうなったか、知ってる?」
「知ろうともしなかったよね?」
父は何か言いかけたが、声にならなかった。
母は目を逸らした。
その仕草が、すべてを決定づけた。
私は、もう人間として二人を見ることができなくなっていた。
心の中で、最後の引き金が引かれる。
――これで、終わらせる。
私は一歩、前に出た。




