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ふたりのお弁当

「水底さん。虫憑きおめでとう」

 翌日、廊下でそう声をかけてきたのは私の知らない先生だった。

 里村と名乗った彼女は音楽講師であり吹奏楽部顧問だと名乗る。

「この町では桜虫憑きは誇らしいことでね。昔はこの学校からよく選ばれていたの。でもここ数年は他の学校の子ばっかりでね」

 そう言いながら、彼女は私をにこやかに見つめる。手に抱えた書類の束の中に、サイモンとガーファンクルと書かれた楽譜が見えた。

 サンレスオブサイレンスという文字を見て、昨日演奏していた曲か。と、私はぼんやり考える。

 歌詞は分からない。でもなんだか寂しそうな曲だった。

 私が口を開かないことを「不安がっている」と、勘違いしたのだろう。彼女は私を励ますように言葉を続けた。

「ようやくこの学校から選ばれたものだから、みんな大喜び」

 彼女は言いながら、廊下を見渡す。

 深い艶のある木材の床がまっすぐ伸びていた。制服がレトロなせいか、何十年も昔の学校にタイムスリップしたような気分になってしまう。

 ここは歴史の古い女子校だ。

 この地域には他にも中学校がいくつもあるが、この学校には特に志願者が多いという。

 桜虫憑きになりたいと願う人は案外多いようだった。

(じゃあ、いつでも代わってあげるのに)

 そんな言葉を押し込んで、私は無理やり笑顔を浮かべて見せる。

「そうなんですね。まるで横取りしたみたいで、申し訳ないです」

「何言ってるの。虫が選ぶんだから堂々としていればいいのよ。その分、立派に春を呼ばないとね」

「はい、先生」

 ……と、笑顔を浮かべてみせたものの、教室に入って私は後悔する羽目になる。

(せっかく、目立たないでここまできたのに)

 私が姿を見せただけで、教室中が静まったのだ。皆が私の一挙手一投足を見張っている……そんな気がする。

 一歩一歩。息を詰めるように歩いて私はようやく自分の席にたどり着いた。

 爪を噛み締めたい気持ちをぐっとこらえて、私は平然とした顔で机の横にカバンをつるす。

 そんな些細な行動にさえ、視線が刺さる。指に、頭に、顔に、足に。

 それは1時間目が終わっても2時間目が終わっても、変わらない。

 私は叫び出しそうな声を、なんとか飲み込む。

(……何でもう、みんな知ってるのよ)

 図書室には学校の掲示板というものがある。そこに張り出された情報は全校生徒が目にすることになるのだ。

 そのせいで、私の情報は名前どころかクラスの出席番号まで晒されることになったらしい。

 羨ましそうに見つめてくる生徒もいれば、遠巻きに興味深そうに見つめてくる生徒もいる。休み時間には他の教室からわざわざ私を見に来る生徒もいた。

 人口密度に人酔いをしたようで、朝からずっと気分が悪い。

「水底さん。桜虫を見ても良い? 去年の桜虫、別の学校の子だったから、こんな近くで見たことないんだ」

 おずおずと声をかけてきたクラスメイトに気づき、私はなんとか笑顔を浮かべた。

 何度か、世間話をした子だ。

(最近、お兄ちゃんと喧嘩したと言ってた子だったかな。それとも、冬に向けてダウンコートを新調した子?)

 クラスメイトを前にして、私は忙しく記憶を探る。

「えっと……確か……山田さん、だっけ、あの」

「わあ。髪の毛のところ! 光ってる。これが虫なの? すごいね、一匹だけ? あ! 奥にもいる!」

 彼女の弾けるような声を聞いて、私は言葉を飲み込んだ。そしてゆるゆると、息を吐く。

(……なあんだ)

 この子が誰なのか。どんな趣味をしているのか……そんな些細なこと、思い出さなくて良い。

 今、彼女たちが興味を持っているのは私じゃない。桜虫だ。

 それに気づき、私はようやく肩の力を抜く。

「うん、たくさんいるよ。ほら、肩の所……元気がいいから、数はよくわからないんだけど」

「本当だ。すごい。かわいいね」

 その後も、私は無邪気に声をかけてきたクラスメイトに笑顔で応え続けた。

 ちっとも虫っぽくて怖くないんだよ。初めてだから何も分からなくて……なんて。何度、口にしただろう。

 同じセリフ、同じ応答。クラスメイトは飽きるということを知らないように、桜虫を見たがった。

(……疲れる)

 授業中でさえ、私の背に、肩に、顔に、遠慮のない視線が注がれた。

 好奇心からの視線ばかりではない。

 なんであの子が? 転校してすぐなのに、ずるい。よそから来たばっかりなのに。そんな悪意に満ちた言葉が、ちくちくと私に刺さった。

(そんなの私が一番知ってる。ほしければあげるから、取りにくれば?)

 そう言えたらどれだけいいだろうか。

 心のなかではいくらでも文句が言えるが、口に出す前にそれは離散してしまう。

 昔から言いたいことは飲み込んで生きてきたのだ。多分、これからも。

 やがて、午前最後のチャイムが鳴り響くのと同時に、後ろから待ち構えていたように声をかけられた。

「ねえ、水底さん。お昼、一緒のグループで食べない?」

「ごめんね、お昼に先生に呼ばれてて……職員室行かなくちゃいけないくて」

 私はいかにも申し訳ない。という顔で手を合わせる。

 先生という一言は効果的だ。それだけでするすると人が引いていく。

 それを見つめ、私は自然な動きで教室を後にした。

  

 教室を出るまでは牛歩で。

 クラスメイトの視線が消えた瞬間、早足に。

 そして廊下に誰もいなくなったら、駆け足で。

 そうして逃げ込んだのは、校舎の外階段だ。

 三階と四階をつなげる錆びたカンカン階段の踊り場。

 その場所にたどり着いた私は長いため息をつく。

 日差しに熱された鉄の階段に一枚のハンカチを敷き、そっとその上に腰を下ろした。腰が熱を持ったように熱くなるがそれもやがて慣れていく。

(ああ、やっと一人になれた)

 そうして深呼吸をする、まさにその瞬間。

 狙ったように、金髪が私の視界を遮った。

 

「ちっす。あおっち」

 

 声を聞かなくても、誰なのかすぐにわかってしまう。私は表情を作ることも忘れて、顔を上げた。

 ……目の前に真っ白な、足が見える。

 膝上10センチ以上。校則違反の短いスカートから伸びた足は細くて白くてあけすけで。見ているだけで恥ずかしい。

「はな……もりさん。なんで……ここにいるの?」

「あおっちも、ここでお昼してんの? 去年はあたしもここに来てたな。夏と冬は避けてたけどね。冬は寒いし真夏はとんでもなく暑いんだ。で、今からの季節からはちょーどいいってわけ。詰めて詰めて。左側が、あたしね」

 私の言葉を無視して隣に割り込んできたのは、昨日声をかけてきた花守咲だ。

 同じクラスメイトになって、まだ一ヶ月ほど。

 もちろん顔と名前は覚えていたが、話しかけられたのは昨日が初めてのことだった。

 苦手なタイプだ。と私は初見でそう判断した。

 金髪に、着崩した制服、短いスカート、睫毛が天を向く濃いメイク。けたけたと響く大きな笑い声。

 彼女のそばには常にコバンザメみたいな女の子が付き従い、どこにいてもすぐ分かる。

「ねえねえ。お弁当ってさ、作ってきてんの? それともおかーさん?」

 遠慮なく隣に座った彼女は、私の手元を堂々と覗き込んだ。

「わ。美味しそう」

 私の膝の上に乗っているのは、小さなお弁当箱だった。

 内容は、夕飯残りの肉団子とほうれん草のごま和え。朝につくった卵焼き。彩りトマトとふりかけご飯。

 昼休みに入ると同時に弁当袋を掴み、この外階段に駆けこむ。それがいつもの流れだ。

 桜虫騒ぎがない時は私がどこへ行こうが、クラスメイトは誰も気に留めなかった。

 桜虫のせいで目立つようになり、昼休みを取るにも苦労が多い。

 それでもここなら誰にも邪魔をされない。45分間、外の風景を眺めながらゆっくりと寛げる。

 ……そのはずだったのに。

「母は……いないから」

「へー。うちもうちも」

 花守さんはここ居座ることを決めたようだ。むき出しの足を組んで、鞄から大きなアルミホイルの塊を2つ取り出した。

 乱雑に開けば、中からは三角形のおにぎりが2つ。もう一つのアルミホイルからは冷凍らしき唐揚げとシュウマイが2つほど。

「あたしさ、べんとーばこ、すぐに忘れちゃうから。いっつもこれなんだ」

 私の無言の抵抗なんて、花守さんには効果はない。

 それどころか、肩をぐいぐいと押し付けて、まるで親友のような顔で喋り続けるのだ。

「桜虫が憑くとさあ、眠くなんね? あたしも昨日虫が憑いちゃって、んでガッコさぼってぇ……夕方に学校きて、昨日、あおっちに会ったってわけ。昨日あんま話せなかったから、もうちょっと喋ろうと思って。だから、追っかけてきたの」

 笑顔を浮かべて、花守さんの口は動き続ける。

 衣替えもまだだというのに、彼女が着ているのは長袖のシャツだ。

 それなのに襟元はゆるゆる。金髪の髪と白い首元を、彼女の桜虫が元気いっぱい飛び回るのが見えた。

 今日の彼女は派手な仲間たちに囲まれて、楽しそうに桜虫を見せつけていたはずだ。

 私のことなんて忘れてしまったのだろうと、安堵していた。

 それなのに、これだ。

(なんでこっちに来るの……)

 外階段には暑い日差しが容赦なく降り注ぐ。首筋から汗が流れていくのがわかった。

 それでも私はできるだけよそ行きの声を作り、微笑んでみせる。

 笑顔作りは、得意中の得意だ。泣けるときでも、苦しいときでも、笑うことができる。

「花守さん……教室でお友達とか、待ってるんじゃない? そっち、行かなくても大丈夫?」

「お昼ってさあ一人で食べたい時ってない? クラスの子と食べることもあるけど今日はそういう気分じゃなかったってだけ。そんで、あおっち、どっか行こうとしてたからさあ」

 私の精一杯の言葉に、彼女は満面の笑みを浮かべる。ぱかりと口を開けて、絵に描いたような百点満点の笑顔。

 その悪意のない笑顔に、私の作っていた壁がボロボロと崩れていくのがわかった。

「……追いかけてこなくてよかったのに」

「ん?」

「……そうじゃなくって……」

 思わず漏れた言葉を、私は慌てて飲み込んだ。

 誰の前でも丁寧に。

 優しい笑顔で。

 完璧な対応を。

 そんな風に私は心がけている。

 叔母さんの前でも、意地悪なクラスメイトの前でも、怖い教師の前でも。

 なのに、花守さんの前ではその仮面がグズグズに崩れてしまう。呑気な笑顔に腹がたち、不機嫌な顔がむき出しになってしまう。

「違う……ごめん……」

 慌てて咳き込むが、そんな必要はなかったようだ。

 私の不用意な言葉が漏れた瞬間、学校の外でクラクションの音が響き渡ったからだ。農道で軽トラがクラクションを鳴らしたのだ。

 路駐の車が邪魔だったのだろう。慌てて近隣の家から飛び出してきた男が頭を下げながら車を動かすのが見える。

 やがて2つの車はカルガモの親子のように道の向こうに消えていった。

 外階段から見える街の風景は、のどかだ。

 遠くにはゆるやかな山の筋が見える。

 夏休みはとうに終わったというのに空を覆う入道雲は真っ白で大きく、青空に食い込んでいる。

 外階段から見える風景は、田んぼとぽつぽつと建つ家屋だけ。

「……あたしさあ、なんだか、あおっちと二人で食べたくなったんだ」

 私の言葉が聞こえていたのか、いなかったのか。

 花守は満面の笑みでアルミホイルを差し出してくる。

「その卵焼き、食べたい。からあげと交換しよ」

「はな……もりさん」

「咲でいいよ」

「いや、だって……」

「咲ってよんで」

「……咲さん」

「きゅ~だいてぇ~ん」

 にまりと咲さんが笑った。

 言葉を聞いて私は思わず目を丸くする。及第点という言葉を咲さんが知っているのは意外だった。

「ねえ。あおっち。連絡先、交換しよ」

 続いて咲さんはポケットから黒い塊を取り出し、指で弾く。

 それを見て、私は首を振った。

「……ごめん、ケータイ、持ってないんだ」

「嘘。本気で言ってる? じゃ、買いにいこーよ」

「ごめん、興味なくて」

「うそだあ」

 嫌がる顔を見せても、顔をそむけても。咲さんは心底おかしそうに笑う。

 それを見て、私の深いところで嫌な音が聞こえた。それは、大事に守り続けてきた仮面が剥がれる音だ。

「う……嘘じゃない。毎日家と学校の行き帰りだけだし、必要ないし……お小遣いはそんな無駄なものに使いたくないし」

 思わず漏れた自分の冷たい声。自分で口にしたくせに、お腹の底がぞっと震えた。

(なんなの。腹が立つ……笑顔作れない)

 こんな経験は初めてのことだ。

 うまく表情が作れず、私は唇を噛みしめた。

「……ごめんなさい」

「あおっち、なんですぐ謝るの?」

「その呼び方、やめて」

 声が思わず鋭くなる。鉄錆びた天井の固い部分に声が跳ねて、きん。と響く。

 慌ててうつむいて、三つ編みの先をきゅっと握りしめる。

 知り合って間もない人相手に、こんな嫌な言い方をしたのは人生で初めてのことだ。

「ごめん……慣れて、ないから。あだ名で呼ばれるとか……」

「じゃあ葵って呼ぶ。ね、葵。今日の放課後にある桜虫の座学、一緒に行くよね」

 しかし咲さんは私の反応に戸惑うことも、揶揄うことも、怒ることもしなかった。

 ただ、平然と私を見つめたまま言葉を続ける。

「座学のこと、聞いてない? 週に何回か、放課後にやるんだって。今日もあるよ。一人ひとりでも良いって言ってたけど、まとめてのほうが楽ちんじゃん。わかんないとこ、後で聞けるし。あたし、授業は大きらいだけど、こういう特別なのは好き。大人しく聞くつもり……今んとこはね」

 彼女は喋りながら、私の弁当箱に何かを入れた……それは冷凍食品の唐揚げだ。工場ラインで画一的に作られた唐揚げは、まるで私のようだった。

「卵焼き、も~らい」

 代わりに無理やり奪われた私の卵焼きは、べたりと甘い味付けで、焦げていて形も悪い。

 お弁当にはいつも甘い卵焼きばかりを作ってしまう……叔母さんが喜ぶからだ。女の子らしい、といって喜ぶからだ。

「ねえ葵」

 戸惑う私の顔を咲さんが覗き込む。

「ほんとに嫌だったら嫌って言って。そしたら近づくのやめとくからさ」

「なんで咲さんは、私に」

 私は箸を握りしめたまま、なんとか声を出した。寒くもないのに声が震えている。彼女の前だと、いつもの自分でいられない。

「……そんなに構うの」

「あたしのため……というより、あたしの虫。寂しがりやなんだ」

 と、咲さんが自分の肩口を優しく撫でた。

「騒いで、うるさいからさ」

 そこには、ピンク色の虫が飛んでいる。先程から、私の虫も咲さんの虫もにぎやかだ。

 まるで出会えたことを喜ぶように、虫はぶつかっては跳ね、ぶつかっては跳ねる。

 視界の隅っこで、ピンクの光が上下左右に揺れていた。

「もしかすると兄弟とか、双子なのかなって思ったらさ。できるだけ近づけてあげたくなっちゃって」

「なにが?」

「虫」

 少し寂しそうに、咲さんがつぶやく。

 茶色がかった大きな目が、山の向こうをぼんやりと見つめていた。風が吹いて、彼女の金色の髪が羽根のように広がる。

 顎に置かれた白い指にじゃれるように虫が飛ぶ。くすぐったそうに笑ったが、咲さんの目はやはり寂しそうだった。

「だってさ。引き離されるのって、寂しいじゃん」

 見たこともない表情に驚いて、私は呆然と咲さんを見る。

 彼女はそのことに気づいたのか、またいつもの表情を取り戻した。

「甘い卵焼き、おいしーね」

 箸に摘んだ焦げ茶色の卵焼きを一口で食べて、咲さんは笑う。

 嫌悪以外の不思議な感情が、不意に私の胸を突き刺した。

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