生きるということ
これを読む貴方は、確実に生きているのである。
a.m.2:45
始まりなど無い。
生きる事ほど気力を必要とする無気力な事があるだろうか。
今日を生きる事に気力を必要とする。これは自明の理である。そして明日を迎える。
いつまでであろうか。死ぬまでである。
いつからであろうか。それを覚えている人間はいない。
俺は生きようと思って生きていた事は無いのではないか。
生を履行しろという人間は、生を履行している人間は、生を履行させられている人間は、死んだ事がないのである。
かと言って、死のうなどと宣う輩には反吐が出る性分だ。
生を放棄する人間は、生を浪費する人間は、生に絶望せんとする人間は、まだ、死んでいないのである。
俺は死ぬ事が嫌いである事だけが明確であった。
つまりは、俺という人間は、臆病で、傲慢で、怠惰な、矛盾を抱えた阿呆なのである。
朝、その人間は生き始めた。
手元のスマホが充電されていない事に気づき、舌打ちをする。
昨日の自分を恨んだ。
コードケーブルを差し込み活動を開始しようとするも、一旦充電をしたまま、SNSを開く。
充電をしたままスマホを弄るのは、どうやら良くない事は知っている。
なんだか飯を食うのも面倒臭く、スマホを見続ける。
なるほど、何かのライブがあったらしい、誰かが結婚したらしい、何かが見つかったらしい、誰かが死んだらしい。
一喜も一憂もしなかった。
そんな事よりも、このままでは出る時間までに充電が十分に貯まりきらない事と、朝飯を食っていない事、それを理解している事が重大であった。
いよいよ出なければ電車に間に合わない時刻になり、その人間は慌てて口にパンを押し込み、シャワーを浴び、髪を乾かす事もせず、制服に着替える。冷蔵庫から買いだめている紙パック飲料を見繕って、飲みながら足早に家を出た。
この時間だと少し小走りにならなければ行けないだろう。
しまった、モバイル充電器を忘れた。
中途半端に充電されたスマホをポケットへしまい、その人間は、罪悪感と自己嫌悪だけを胸に募らせ生を迎えいれた。
昼、その人間は生きていた。
昨日と同じ事をしていた。
その人間には心掛けがあった。
仕事中は出来るだけ時間を確認しないのである。
時間とは不思議なもので、確認する回数に比例して流れる速度がどうやら遅くなるようだった。
その人間は仕事には真剣になるのである。
第一に「お客様」の事を考える様にしていた。常に目の端で動向を確認し、自らが「お客様」に出来る事を探していた。自らが人間でいられる時間を過ごせる方法を探していた。
かといって仕事が出来る訳では無かった。
ミスはするし、後輩の方が仕事が丁寧であった。アイデンティティが無かった。
何事もなく仕事も終わってしまい、コンビニで適当な飯を買った。
その人間はコンビニ飯という物が嫌いではなかった。何かと嫌われがちなコンビニ飯であったが、この手軽さとクオリティを全国で販売するシステムには金を払う価値があると感じていた。
昨日はそばだった。今日はナポリタンにした。
いつか変わらなければ行けないのだろうなと思って毎日を過ごしていた。
毎日を、過ごしていた。
夜、その人間は眠ろうとしていなかった。
この時間に何かを成そうとする事は無い。コードケーブルにスマホを繋ぎ、情報を体内へと流し込んでいた。
既にこの時点で2時間、万歩計アプリが動いていなかった。
このままではいかんと立ち上がり、風呂へと足を進めた。帰宅した時点で部屋に着替えを置いておく機転がその人間にはあった。
そのついでにちょろりとモップとコロコロをかけた。目に見えない汚れはどうでもいいが、目に映る汚れは一刻も早く消去したい。見る度に気力が削られる。
目に入ったシャンプーに苛立ちを覚えながら風呂を出た。
ぼふんと寝床に落ちる瞬間が好きだ。
そしてまたスマホを手に取り、
1日。1週間。1ヶ月。1年。
何かのライブがあったらしい、誰かが結婚したらしい、何かが見つかったらしい、誰かが死んだらしい。
高校生になった。社会人になった。フリーターになった。
家を出た。故郷を出た。いつしか更新されるのは小さな箱庭だけの記憶になった。
祖父が死んだ。祖母が死んだ。親が歳を取った。親が。
あの人間は。
その人間は。
貴方は。
なんとチープな文章だろうか。
こうでありたいか。
これを読んだ貴方は、明日を生きているだろうか。
p.m.3:45




