破滅願望
少年はただ独り、差し伸べられた手を掴もうと伸ばしても消えてしまう。せめて夢でもと見るも破滅の一途、気づけば目に映るものは全て白黒になっていた。終わりたい。ただそれが原動力だった。
これは夢だったと汗を拭ったのは頭痛に襲われてすぐだった。
激しくぶつかる剣戟音、狙い定められた銃声、顔を黒く塗りつぶされた相手に挑み続ける様を何度も見ていた。
結果は変わらず敗北。死に様も同じ。足を封じられ腹に風穴を開けられ、倒れる―――
最近寝つきがとても悪い。眠るのが、またあの夢を見るのが怖い。幾度も死地に飛び込むような感覚に苛まれる。
今日で何度目の死だろうか、この夢はいつ終わるのだろうか、そんなことを数えていたら汗を流すシャワーの音は彼方へと消えていった。
「……行ってきます」
毎日欠かさず通う神社にお賽銭を投げ、物言わぬ社を背に境内を走り去る。神の棲まないこの神社が独り身の私の拠り所だった。そして夢の中に出てきた私の持つ刃渡り五尺六寸はあろう大剣は、神からの賜りものだ。
(物質速度変化を自身に使用、移動速度、五倍速)
己の血に混ざった異質な力、能力を使い閑静な住宅地を走る。目まぐるしく変わる景色の向かった先は自殺の温床と噂されたとある森。人の手が行き届かず、立ち入り禁止のテープが張り巡らされただけのバリケードをただくぐって突破する。
天頂に昇った陽の光を遮る程の木々が昼間を夜に変え、吹き抜ける風が草の香りに腐臭を混ぜて襲う。さながら彼らの魂が無差別に復讐するかのように―――
「た……けて……」
腐った枝葉を踏み潰し、奥へ奥へ彷徨って歩くと、死に損ないのような命乞いをするか細い呻き声が私の足を止めた。
そよ風の囁き、霊の怨念、ただの幻聴―――
「たす……けて……」
全て否、確かに聞こえる。だが進めと己を傀儡する。
「あ、ハハ……捕まえた……」
土壌を這う音、荒い息遣い、力無く足首を掴む手、恐怖を植え付けるに十分なそれらに思わず目を向ける。背に担いだ大剣の柄を握り、鞘から抜剣しようとしたところでその姿を見た。
「ね……お願い……助けて……ください」
素足に弾痕、破れた服に全身に切り傷や擦り傷、簡単に折れてしまいそうな四肢、固まった血には土砂が混ざり、夜中でもわかる程に元は綺麗であったであろう長い白髪は血と土でくすんでいる。声を絞り出せていることが不思議な程に命の灯火が揺らめいている少女がそこにいた。
「く……荒療治になる。許してくれ!」
(物質速度変化をこの少女に、再生速度、五倍速!)
「ぐっああああぁぁぁあああ!!!!痛い!!熱い!!はあはあ、あ、がっ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
晒された少女の体に触れ、持てる力の最大最速を流し込む。
痛みに悶え、泣き叫ぶ声が響き渡る。木々に棲んでいた鳥が飛び立ち、隙間を縫うように吹く風が止む。大粒の涙を浮かべ、必死にこちらへしがみつく少女は程なくして力尽きたように倒れ込む。全身につけられていた傷は元から無かったかのように治っていた。
「流石に疲れた、な……」
意識が揺らめく。陽は今一体どこにいるのだろうか、それとももう見えなくなってしまったのだろうか、体力の限界が早くも訪れる。少女の心臓の脈に安堵した私は
「よかっ……た……」
(物質構造変化を我が剣に、私たちを守る壁となれ)
僅かに残った力を使い、鋼で作られた壁の中で倒れるよう眠りについた―――
またあの夢が始まる。夢の中での決められた物語に準ずる。顔の見えない相手に剣を振るい、銃弾を受け力無く倒れる。だがこの夢はいつもと少し違っていた。
私はなにかを守っていた。常にどこかに目配せをしながら戦い、よそ見をした瞬間に腹を撃たれる。そんな些細な変化だった。未来は変わらなかった―――
―――――――――
目が覚めると隣にはヒトがいた。見覚えのあるヒト。意識が途絶える寸前まで私に痛みを、熱を与えていたヒトが。
体を起こし、体の調子を確かめる。血も、痛みも止まってる。あのわずかな時間で治ったとでも言うのだろうか、とても信じられない。魔法でも使ったみたいに。
目の前のヒトは酷く魘され、寝汗もとめどなく流れている。徐ろに汗伝う頬に手を伸ばし触れると、ピクリと体が跳ねては落ち着いたような寝息を立て始めた。そんな姿を見て今まで必死に生きながらえようとしていたはずの焦りは薄れ、そんな姿をじっと見ていた。
半ば強引に引き止めたとはいえ、見ず知らずの私を助けた無償の優しさ、そんな私と隣で眠る不用心さ、なんだかそれが嬉しくも恐怖で、それでもお礼くらいは言わないと心残りで、また魘されないか不安で……しょうがないから起きるまで傍にいてやった。
―――――――――
目覚ましが鳴らない。悪夢の結末ではない、自然な目覚め。こんな清々しい気分で目覚めるのはいつぶりなのだろう。まだ眠り足りないと欠伸をしてみる。
「あっ」
聞きなれない声が気持ちのいい目覚めを妨げ、まぶたを開けると、昨晩までは血に汚れたその体から想像できない程の宝石のような蒼い瞳がこちらを凝視し、肺から空気が漏れ出るような、か弱い声が漏れる。
「やっと起きたのね。なかなか起きないから死んだのかと思ったわ」
あの時まで死にかけて、足にしがみつく程に生に執着していたとは打って変わって軽口を叩く少女に、少し羨ましく感じていた。
「死んでたら良かったのにな」
「んな……そんなこと、言わないでよ」
「それじゃ、私はこれで」
鋼で作られた壁を元の剣の形に戻し、当初の目的を果たすため、重い腰を上げたところで裾を掴まれる。
「まだ、なにか」
「あんた、何しにここに来たのよ」
「君はここが自殺の温床って呼ばれてるの、知ってるか?」
「ふぅん、そうなの。知らないわ」
「そうか、なら私の話はこれでおしまい」
少女が掴む裾を振りほどき、呆気に取られた視線を背に受け歩き出す。奥へと進む足がいつにも増して重く、またしがみつかれたのかと錯覚してしまうほどだった。
「なら今度は私の話ね!」
森の奥は陽の光が届かぬほど暗く、陰鬱であるはずなのに、私の背には不気味な程明るく、溌剌とした言葉が浴びせられた。
「私、家族を探しに来たの」
「そうか、生きてるといいな」
「そうね。でも、その、この先に行くの怖くて」
「私も怖いさ。1秒でも早く君から離れたいのになかなか踏み出せないんだ」
「だったら、私の家族探し手伝ってはくれないかしら?死ぬのはその後でもいいと思うの」
こちらの気も知らず、わがままなお嬢様。しかし、死に向かうのを止めてくれないだけ、寄り道をさせようとしてるだけ、それだけで妙に心の重りが無くなるような気がした。
「わかった。少し我慢してみようと思う」
「道中、あんたのこと聞かせなさいよ。私、おしゃべりするの好きなんだから」
少女は近くの木を支えに立ち上がるも、覚束無い足は産まれたての子鹿のようですぐに崩れ落ちる。慌てて駆け寄ると今度は私の肩を掴んでよじ登ろうと試みていた。
「悪いんだけど、あんたの背中、貸しなさい」
「まだ治りきってない傷でも?」
「いいえ、子供の頃から足に力が入りづらくて」
仕方なく少女に背中を預けると、遠慮なしに飛び乗り、人一人乗ったとは思えぬ軽さに思わず尋ねてみた。
「やけに軽いな。飯食ってるのか」
「三日三晩なにも口にしてないわ。ご飯でもくれるの?」
「死に向かう人間がご飯なんか持ってるわけないだろ」
「なんだ、残念ね」
少女の体が完全に密着し、人の重さを感じながら奥へと進む。不思議と先程より足取りが軽く、肩に乗る彼女の顔がその分重かった。
「ねぇ、これから一緒にいるんだしさ、名前、教えなさいよ。あんたとか、君とか、よそよそしいもの」
「ラクア。本当の名前ではないが、確かに私の名前だ」
「ふぅん?私の名前はベル・グローリア!ベルでもグローリアでも好きな方で呼んでいいわ。よろしくね、ラクア」
私はグローリアの言葉に軽く頷くだけ、知らない方が良かった。知ってしまったから人の繋がりが生まれて心がまた重くなった。
「ねぇねぇラクア、あんた家族っている?兄弟とか姉妹とか……私はね、姉が居たの。お姉ちゃんが私にご飯を作って、私に色々教えてくれて……ねぇ聞いてる?」
胸奥に刺さる疑問の矢に足を止め、覗き込んでいたグローリアの目が同じ方へ向く。背に感じていた脈拍が徐々に上がり、気楽に話していた口からは、か細く、浅く、早い呼吸が繰り返されていた。
目の前には苔が生い茂る外壁、割れた窓ガラス、腐った木枠、野鳥の巣となった鐘……見るからに一切人の手が入って居ない教会が佇んでいた。
「怖いなら引き返す。そしてグローリアを置いて私はこの先に行く」
震える彼女は力強くしがみつき、背中に顔を押付けて横に振る。
「いや!お願い、このまま、進んで……この先にお姉ちゃんがいるかもしれないの」
震えを制するような大きい深呼吸を浴びる。勇敢なお嬢様を背負って歩みを進めた。
教会の中へと入った途端、森のなかに蔓延していた腐臭がより一層強くなって吐き気を催す。視界の端には爛れて混じりあった遺体、バラバラになってどれが元の持ち主なのか分からなくなった白骨の山、奥へと進むにつれて濃ゆくなる血潮の跡―――通路の奥の閉ざされた扉の向こうを想像することを拒んでいた。
気づけばグローリアの震えはさらに強くなり、名前を呼んでも返事はない。気づけば私の足も前を進むことを躊躇い、逃走への意欲が一歩進む事に増幅している。
血溜まりを踏む足音が心音によってかき消される。気づけば礼拝堂へと続く大扉の前に立ち、この先に待ち受けるモノと対峙するべく飛び込んだ。
「ようやく来たか」
礼拝堂へと入った途端、祭壇があったであろう台座に立つ人影が銃を向け撃つ。呆れ果てた声色をかき消す一つの銃声が呼吸も脈拍も止めたような気がした。銃弾はグローリアの頬を掠めた。
「ちっ、外した。やっぱり銃より剣の方が慣れているか」
声の主が拳銃へ視線を移し、生まれた隙を縫って朽ちて倒れた石柱の裏へと隠れる。グローリアは自らの頬を確かめ、手に着いた赤いものを見てまたも浅く短い呼吸を繰り返し始めた。
「落ち着くんだ。まずは深呼吸。ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」
焦燥、恐怖、疑念、全てを抑え込むように、否、そう錯覚させるように自分に言い聞かせながら繰り返した。グローリアもそれに騙されてか真似をする。お互いに落ち着いたところであることを思い出した。
「グローリア、一回ここに来たか」
「……え?ええ、そうよ」
「やっぱり……君は強いな。少し、羨ましいよ」
俯く私にグローリアの眼差しは台座の方へ釘付けになっていた。
「どうした?」
「分からない……でも何故かあいつから目が離せないの」
「そりゃ君の姉について知っているかもしれないからな―――」
その人物と目が合う。ローブに隠れて顔が見えないもの、その背にある得物に目を奪われる。この世に二つと無いはずの、神からの賜り物である大剣。その存在そのものが私にとって侮辱極まりない物だった。
「……行ってくる」
湧き上がる怒りが原動力となり、全身に力が入る。未だ震えるグローリアに上着を着せ、彼女の呼び声が届く時にはもう陰から飛び出し、ローブの人物と対峙していた。
「懐かしいな。かつての俺もそんな目をしていた。怒りを孕むが結局それは何のためなのか理解していない。自分のため?彼女のため?それとももっと別の、信じるもののため?」
「黙れ!何のためなのかどうだっていい!今はただお前が許せない!」
(物質速度変化を自身に使用、移動速度、五倍速!)
大剣を鞘から引き抜き、構えを取らずに走り出す。一切身動きを取らないローブの男の首元を狙って刃を振り上げる。
「取った!」
排除した。そう確信した刹那、ローブの奥に見えた顔に動揺してしまう。その僅かな揺らぎが男にとっては十分すぎる時間を生み出し、背負っていた得物で易々と防いていた。
「懐かしいな。一時は覚悟して前に進もうとするけど、ほんのちょっとしたことで揺らいで全部ダメになる。こんなにも弱かったなんて」
「懐かしいだのなんだの、自分語りには興味無い!黙って死んでくれ」
「そうやって威勢を張ってその剣が届くのか?実感してきたはずだ。何度も。どんな強い武器や強い力を持っても使い手がコレならカミサマも浮かばれないんじゃないか?」
焦りと虚しさが混濁する。一瞬緩んだ力を男は取り逃がさず、防いだ剣を弾き返しこの体を蹴り飛ばす。腹に喰らった衝撃からか、込み上げたものを吐き出す。赤黒く、何度も見たものを。
息を整えて口元を拭い、男を睨む。奥に見えたその目は面倒くさそうに逸れていた。
「もう、終わりにしよう……《絶・氷晶世界》!!」
再び剣に、足に力を込め踏み込んだ途端、大きく開いた手を向けられる。刹那、目の前が雪景色よりも真白く、凍える暇すら与えぬ寒さに抱かれた。瞬間的に周囲の熱が奪われ、手足が氷に覆われる。大事な大剣は既に倒れていた。
「ラクア!!」
銃声が轟いて氷が砕ける。腹に銃弾を受けるも痛みがなく、意識が遠のく。もう、あの夢を見なくてもいいのだと、焦りも怒りも無くなり、虚しさだけが残るが、ただただ体が軽くなる気がした。
最期に見えた景色は、弱いはずの足で飛び出し、駆け寄るグローリアの姿だった。
「ラクア!起きなさい!目を覚ましなさい!」
「どんなにわがままなお嬢様でもそれが叶うのは難しいことだろうよ」
「うっさい!あんたが誰だろうと知ったこっちゃないけど!狙いは私なんでしょ!?ならなんでこいつを!」
「知りたいなら教えてあげるよ」
次回、喪失者 救済願望
「待って、その声、その姿!」
「忘れるわけ、ないよね」




