表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

あの頃の後悔、そして贖罪

作者: 桜藤
掲載日:2025/09/15

ある日突然、死にたくなった。


なにか特別なきっかけがあった訳では無い。ぴんと張り詰めていた糸が限界を迎えてぷつんと切れたように、前へ進んでいく支えを失ったかのように、生きようという気力がなくなってしまった。毎日毎日上司に叱られ、同僚のミスを押し付けられ、当たり前のように残業をする。なんのために生きているのか分からない。せっかく稼いでいるお金も家賃や電気代、食事などに消えていくだけで、娯楽に費やす時間などある訳がなかった。


今日は金曜日だった。明日は泥のように眠ろう。1日中何もしないでいよう。その思いだけを支えに終電ぎりぎりまで残業し、やっと帰宅した瞬間玄関と廊下の段差に躓いて転んでしまった。


あぁ、と思った。もう起き上がりたくない。


自分が死んでも悲しむ人など誰もいない。家族とは折り合いが悪くもう何年も連絡を取っていないし、友人や恋人などいるはずもない。こうして考えると、自分の今までの人生は何だったのだろう。



でも、思い返せばほんのひととき、ひとときだけ幸せな時間はあった気がする。



✼✼✼✼✼✼✼



物心ついたときから疎外感を感じていた。自分の上にはたいそう優秀な兄がいて、両親は彼に夢中だった。こちらには見向きもせず、関わりがあるのは食卓を一緒に囲む時だけ。もちろん会話に入ることなどできなかった。


金だけは無駄にあるようで、子どもの自分の世話をしてくれたのはいつもお手伝いに来てくれている中年の女性だった。彼女は仕事は仕事と割り切っている人で、こちらを憐れむような目で見ることはあっても、決して優しくしたり、愛情を注いだりというようなことはしてくれなかった。とにかく寂しくて、辛くて、親の関心を引こうと必死で勉強も運動も頑張った。兄のように優秀な成績を修めれば、いつか自分も愛してもらえるのだと。しかしどれだけ頑張っても彼らの目がこちらに向くことはなかった。


報われない努力に耐えられなくなり、こんな扱いをするならなぜ産んだのだと一度勇気を出して母親に聞いてみたことがある。すると、彼女は面倒くさそうにこちらを一瞥して、ただ一言、「できてしまったから」と言った。そのたった一言で悟った。自分が彼らに愛されることは決してないのだと。そしてその日から努力をやめた。テストの点数は下がり、教師には注意され、親にも知らせがあったはずだが、何も言われなかった。親がこのような感じだから、兄も当たり前のようにこちらを見下していた。家ですれ違っても嘲るように鼻で笑うだけ。たまに絡んできて心をやすりで削るようなことばかりを言ってきた。両親と兄の3人家族、そしておまけの自分。そんな感じだった。


そんな日々に変化があったのは高校に入ってからだ。息苦しい家を出て全寮制の高校に通っていた。場所を変えたとしても自分がなにか変わるわけでもない。社交的という言葉とは程遠い人間で、友人など一度もできたことがなかった。これからも今まで通りの生活を送ると思っていた時、ある人に出会った。


不思議な人だった。誰かと群れるわけでもない、いつも一人でいるような人だったのに、なぜか周囲に馴染んでいた。いつものんびりとした笑みを細い目に浮かべていて、飄々とした雰囲気をまとっていた。用事があればクラスの輪の中に入り、彼らも迎え入れる。そして用事がなくなるとスッと輪から抜けて彼らも追わない。いつの間にかいていつの間にかいない。そんな認識をされていた。その人からは不思議と目が離せず、そんな自分を持て余していた。


今までにないそわそわとした気持ちで毎日を送っていた時、その人と話す機会が巡ってきた。同じ委員会になったのだ。放課後に残らなければならない図書委員は誰もやりたがらず、自分以外に立候補者が出なかった。クラスの雰囲気がいらいらとしてきた時、その人が手を挙げた。誰もいないならやるよ、と言って。不思議な気持ちだった。どこか憧れのような感情を抱いていたその人と関わる機会を得たのだ。嬉しいような怖いような、そんな感じでちらっと盗み見ると思い切り目が合ってしまった。にこりと笑うその人を見続けることがなぜかできず、思わず目をそらしたことを覚えている。


そうして迎えた初の図書当番。緊張しながら図書室に向かうと、まだその人はいなかった。拍子抜けした気分でカウンターに向かう。この学校の図書室はとても広くてたくさんの蔵書があった。しかし教室から離れた場所のせいか、それとも薄暗い雰囲気のせいなのか、利用者はとても少なかった。どうせ誰も来ないから好きに過ごしていていいよ、と先輩に言われていたので当番中に読む本を選ぶ。いつも孤独に過ごしていた自分にとって本は友達のようなものであり、どこまでも自分と共に旅をしてくれる相棒のようなものでもあった。図書室を一周していると好きな作家の新作を発見し、いそいそと持って行きカウンターで読む。いつのまにかもう一人の図書当番のことなど忘れて夢中になって読んでいた。


「それ、面白いよね」

そう声をかけられて急に現実に引き戻された。気がつくと室内には夕日が差し込み、目の前にはその人が座っていた。どのくらい時間が経っていたのだろう。血の気が引いてすぐに答えることができなかった。しどろもどろになってうんと答えると、その人は嬉しそうに笑って、隣りに座ってきた。ぎょっとして思わず立ち上がると、更に楽しそうに笑っていた。恐る恐るどうして笑っているのか聞くと、おもしろいから、と言われた。いつもつまらないやつだと兄に言われている自分におもしろいと言うなんて、不思議な人だと思った。


それから、毎週当番の日になると、その人はよく話しかけてくるようになった。初めは好きな本の話ばかりをしていたが、次第に好きな食べ物、得意なこと、世間話が増えていった。自分は気の利いた返答ができず、いつもその人が楽しそうに話しているのを聞いて相槌を打つだけだった。


ある日、家族の話になった。その人は理想の家族を語っていた。優しくて、やりたいことを応援してくれる両親、悩み事を相談できる兄姉、かわいい弟妹。そんな理想ばかりを語って、自身の家族のことは何も言わないものだから、つい気になってあなたの家族はどんな人なのかと聞いてしまった。するとその人は少しだけ悲しそうに笑って、いないよ、と言った。ずっと施設で育ってきたから家族はいないのだと。なにも言葉が出てこなかった。気まずい沈黙が降りて、そのままその日の当番は終わった。


次の週の当番の日、その人はいつも通りだった。中身のない上っ面だけの会話をして、あの時に見えたその人の本心のようなものはどこにも見えなかった。なぜだかそれがとても悲しいことのように思えて、自分も家族の話をしてしまっていた。自分も孤独なのだと、だからあなたは1人ではないのだと。そう伝えたかった。するとその人は、いつもの飄々とした笑みとは違う、とても優しい笑みを浮かべていた。今までよく頑張ったね、偉いねと頭を撫でられると、心の奥の封じ込めていた幼い自分がようやく褒められたのだと、あの時の努力が報われたのだと喜び、今の自分は泣いてしまった。するとその人は、その細いきれいな指で涙を拭って、そっと抱きしめてくれた。そしてぽつりと、ありがとうと呟いた。ちゃんと気持ちが伝わったのだと分かって、余計に泣いてしまった。


その日から急に自分たちの距離は縮まった。週に一度の図書当番の日だけでなく、休日も遊びに行くようになった。初めての友人ができた。


年越しの日、一緒に初日の出を見に行こうと誘われた。少し離れた岬で綺麗に見ることができるのだと言われて、2人で見に行った。そこで見た景色はとても素晴らしかった。暗闇の中から少しずつ昇ってくる朝日がきらきらと海に反射して、幻想的だった。そこでその人に告白された。君が好きです、付き合ってください、と言われた。夢かと思った。あの時が自分の人生で1番幸せだったと断言できる。とても幸せで、いつも浮かれていた。


一度幸せの頂点に登ってしまったら、あとは降りることしかできないのだとも知らずに。


付き合うようになってから、だんだんとその人に依存してしまうようになった。いつも一緒にいたくて、誰かと話していてほしくなくて、たまにひどい態度をとってしまった。それでも、唯一自分を愛してくれるその人を誰かに奪われたくなくていつも必死だった。その人に後ろからすっぽりと抱きしめられるのが、優しく頭を撫でられるのが好きだった。それが誰かに取られるなんて耐えられなかった。誰とも話さないで、自分以外見ないでくれと言う自分は、その人にとってとても面倒だったのだろう。


だから振られてしまうのも当たり前だった。付き合ってから数カ月たったある日のこと、大事な話があると言われた。その人の表情は暗く、悪い話をされるのだと悟った。聞きたくないと心が叫んでいた。なのにそんな心に関係なく言われてしまった。


もう耐えられない。依存しないでほしい。束縛しないでほしい。もう別れてください。


目の前が真っ暗になった。でもどこか、ついに、という気持ちがあった。あれだけ迷惑をかけていたのだから、当然の報いだと。


それからはもうずっと一人で過ごした。話しかけず、目も合わせず、その人の迷惑にならないように。幸いそれ以降同じクラスになることはなかったし、図書委員ももうやらなかったから自分たちの関係はすべて消えた。泡沫の幸せとは、きっとこういう事を言うのだろう。



✼✼✼✼✼✼✼



そうだ、と思いついた。死ぬならあの場所にしよう。その人が自分などに告白してくれた、1番幸せだった場所。あそこに沈んでいったら、きっと綺麗に死ぬことができるだろう。


思いついたら善は急げとばかりにすぐに向かった。新幹線で地元まで戻る。数年ぶりに見る地元は、昔よりも寂れて見えた。それでもあの岬に着くと、その美しさは変わっていなかった。晴れていて良かった。最後に美しい風景を見ることができる。


昔その人にもらったアクセサリーやキーホルダーは全て持ってきた。あんなにひどいことをして、あれほどきっぱり振られたのに、いまだに捨てることも忘れることができなかった。どうしてあんなことをしたのだろう。独り占めしたいなどという高望みをしなければよかった。そばにいてくれさえすれば良かったのだ。今さら後悔しても仕方がないが。この思い出の品々は自分の未練の証だ。だから全て持っていこう。一緒に海の底に持っていって、この世から消してしまおう。


これが自分にできる唯一の、あの人への贖罪だ。


恐怖はなかった。むしろどこかわくわくしていた。あと一歩を踏み出すだけですべてから解放されるんだ。



さぁ、行こう。






✼✼✼✼✼✼✼






学生時代の恋人が死んだと聞いたとき、込み上げてきた気持ちに名前をつけるとしたら、なんというのだろう。ショックや悲しみ、そして深い後悔。それらが複雑に入り混じったような、なんとも言えない感情だった。


あの頃、どこにも居場所がなく愛情に飢えていたあの子は、初めて与えられる愛情に夢中になり、しだいに依存していった。いつでもこちらの居場所を知りたがり、他の人間と話しているだけで不安そうな顔をしていた。それは別に嫌ではなかったのだ。むしろ、それまで誰かと深く関わったことがなかったからか、あの子のように必死にこちらを求めてくれるのはどこか仄暗い快感を覚えさせた。なんの根拠もないのに、死ぬまでずっと一緒にいるのだと思っていた。


だがしかし、幸せの絶頂にいたとき、あの子の兄だという男が現れた。彼はあの子と別れてくれと言った。君たちはお互いに依存しすぎている。このままだと君たちは一人では何もできなくなり、人としての破滅に向かってしまう。あの子のためには良くないと。もちろん最初は聞く耳を持たなかった。あの子の家での状況を知りながら何もせず、のうのうと幸せを享受していたやつだ。今更あの子のために何かをするとは思えなかった。涙ながらに、本当はずっとあの子を気にかけていたけど、俺も両親には逆らえなかったんだ、あの子に孤独を味わせてしまってすまなかった、と語るのを見ても信じられなかった。ところが、一向に態度を変えないこちらの様子を見た男はにやりと笑って、


「このままだと、君のご両親みたいになってしまうかもしれないんだよ?」


と囁いた。痛いところを突かれた。そう思った。その恐怖は自分でもうすうすと感じていた。それを心の中の箱に押し込めて気づかないふりをしていたのに蓋が開けられてしまった。あの時、一瞬で恐怖にとらわれてしまったのだ。


あの子にはずっと施設で育ったから家族は知らないと言っていた。でもそれは嘘で、本当は小学生の半ばまでは家族と暮らしていたのだ。父と母の3人家族。見かけだけは平穏な暮らしが崩れ始めたのは、小学3年生になったばかりの頃だった。


母は父を愛し過ぎていた。いつもべったりで、父が仕事に行くとしばらく落ち込んでから無表情で家事をこなす。そして父が帰ってくると生き生きとした表情で父の世話を焼き始める。まるで父という電池で動く人形のようだった。当然こちらには興味がなく、父の前では一応愛しているような振る舞いをされたが、2人きりのときなど話しかけてきたことすらなかった。それでも父が母を受け入れていたから、まだ良かったのだ。上辺だけの平穏は保たれていたのだ。


なのに父が浮気をした。ある時から、急に父の帰りが遅くなった。初めは仕事が忙しいという言い訳を信じていたが、ある日相手の女性から来たスマホの通知を見てしまった。母は耐えられなかった。見なかったふりをする事も出来ずすぐに父を問い詰め、そこで父の不満が爆発した。今までの束縛、嫉妬、猜疑心。それらをすべて我慢して溜め込んでいた父はもう限界だった。もうお前とはやっていけないんだ、離婚してくれと叫ぶ父に母は発狂し、そして突然包丁を持ち出した。私を裏切るなんて許せない、一緒に死にましょうと言って母は父を刺し、その後自身の首を掻き切った。


その後自分は施設に預けられた。精神面でのケアもされたが、何の変化も感じられなかった。それからはあまり他人と深くかかわらないようにした。自分にはあの母の血が流れているのだ。誰かと仲良くなりすぎると相手を束縛してしまうかもしれない。ささいなきっかけで殺してしまうかもしれない。そう思っていた。あの子と出会ってその思いはたびたび出てきたが、それよりもあの子と一緒にいたかった。でもあの子を不幸にするという恐怖を改めて突きつけられて、そのまま付き合い続けるということはできなかった。あの子にも話していない過去をなぜこの男が知っているのかというところまで思考が追いつかなかった。


だから別れてほしいと言った。あの子が未練を持たないようにしてくれと言われたから、心にも無いあの子を傷つける言葉を使って。とても辛かったが、あの子の兄が言った、精神的に自立した立派な大人になったら事情をすべて話してこちらにも連絡する、という言葉を信じていた。それまでは俺があいつを守るという言葉を信じていた。それまで自分も頑張ってあの子に依存しないようにしよう。そうすれば、誰にも後ろ指を指されることなく、2人で幸せに過ごせるんだ。そう信じていた。


なのに、待って待って待ったあとに聞こえたのは、あの子の訃報だった。たった一人で死を選んだという、悲しすぎる知らせだった。


あの時あの子の手を離した愚かな自分を殺してやりたい。あれからずっと、あの子は孤独だったのだ。信じていた自分に突き放されて、誰にも愛されないまま1人で頑張って頑張って頑張って、そして限界を迎えてしまったのだ。どうしてあんな男の言葉を信じたのだろう。本当に愚かだった。後悔してもしきれない。


後を追おうと考えたのは一度ではない。何度も何度も、あの子に会いに行こう、向こうで全部話して謝って、許しを請おう。それからあの子を抱きしめて、ずっと2人でいよう。そう考えた。でもそうしたら、本当のあの子を知っている人がいなくなってしまう。いつも無表情なのに読書をしているときだけ目がきらきらと輝くところ、クールぶっているのに本当はとても甘えたがりなところ、あんなに辛い目にあってきたのに、他者への優しさを忘れていないところ。他にもたくさんあるあの子の姿を、そしてあの子が眠っている場所を、できる限り最後まで守らなければならない。そうして最後の最後まで頑張って、そうしたらあの子が眠っている場所であの子に会いに行こう。そうでもしないと自分にはあの子に会う資格などない。これがあの子への贖罪だ。そう思った。





✼✼✼✼✼✼✼





あの子の月命日。いつものように花を持ってきて、墓石をきれいに磨く。最後に線香に火をつけて、皺まみれの手を合わせた。向こうはどんなところだろうか、あの子は今笑っているだろうか。生まれ変わるのはもう少し待っていてほしい。あと少ししたら、君に会いに行けるんだ。


あの頃とは違う、あちこちにガタが来ている辛い体に鞭を打って立ち上がり、あの子がいるはずの雲一つない悲しいほどの蒼い空を見上げる。線香の煙が細く白く昇っていって、そして儚く消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ