女王就任試験は、ドラゴン退治!?
「あなたには、女王になるためドラゴンを退治してもらいます」
18歳になったばかりの私ユリカ・フロローラに、母である女王ユミカ・フロローラが告げた。
「マ……お母様」
私は思わず”ママ”といってしまいそうになるのを必死に堪えて、言い直す。
「ドラゴン、ですか?」
ドラゴン――。
この世界ではなく竜界に棲むとされる、硬い鱗を持ち強力な魔法の息吹を放つといわれる最強の生物。伝承の存在だと思っていた存在。
「ここ最近、何者かが竜界の扉を開きました。それによって、この世界にもドラゴンが召喚されたと報告がありました。そこで、18歳になり成人になったあなたには、女王就任試験としてドラゴン退治を命じます」
母の声音は有無を言わせぬものだった。
「できますね?」
「……はい」
ここで、『いいえ』などとでも言えば、親子の縁を絶たれる。
そう思わせるほど、鬼気迫る迫力だった。
「ですが、あなた一人では、大変だと思うので、助っ人をつけます」
そう言って母が玉座の背後に目をやると、そこから一人の青年が姿を現した。
年の頃は私と同じ十八歳ほど。銀の髪に整った顔立ち。サングラスをしているため瞳の色は見えない。
「ワタクシの親友の息子です」
「僕は、エリオン。ユリカ、よろしく」
名乗ったその顔に浮かんだのは、あまりにも胡散臭い、爽やかな笑顔だった。
◇ ◇ ◇
私達は山道を歩いて、隣町を目指していた。
城を出てまだ間もないけれど、普段は踏み慣れない土や石の感触に足が戸惑う。
――城の広間の豪華な絨毯と違って、山道は手強い。
「ユリカは、歩き慣れてないね」
隣でエリオンが軽く笑う。
「……余計なお世話よ」
思わず舌打ちしそうになったけど、手元の杖や岩につまずかないよう、慎重に歩く。
でも、ふと視線を上げると、木漏れ日が揺れる山道の景色が目に飛び込んでくる。
こういう景色も、城の窓からじゃ見えなかったな、と思う。
母は、従者を一人もつけてくれなかった。
同行を許されたのは、エリオンのみ。
母曰く
「ドラゴン退治は身分を隠し、市民に紛れて行うように」とのこと。
――どうやらこの旅で、私に”市民の生活”を学ばせたいようだった。
それは、いいのだけど――。
「ユリカは、どんな場所が好き? それとも旅は初めて?」
唯一、私の身分を知っているはずのエリオンは、距離感がバグっているのか、やけに馴れ馴れしい。
「あのね。私は、王女なのよ」
「うん。知ってるよ」
「さらに、国の名を冠する聖なる武器、『聖琴ハープ・ウァフニ』の継承者なのよ」
聖琴ハープ・ウァフニとは、変形し多彩な魔法を放つことができる魔導具。
代々の女王にのみ継がれる神器。
「それに、次期女王なのよ。もっと敬いなさいよ」
「それは、僕の母さんに決めてもらわないと」
「はぁ!? あんたのママは、関係ないでしょ!」
なんなのこのマザコン
私を敬うのに母親の許可がいるなんて意味不明すぎる!
「まあ、そんなに怒らないでよ。旅は始まったばかりなんだからさ。市民の生活を味わうんだろう? 次の町には、美味しくて格安の店があってね……きっと“次期女王様”でも気に入るはずだよ」
「当然よ!」
あまりに会話に気を取られすぎて、歩きなれない山道に足を踏み外しそうになる。
「ほら、そこは滑りやすいから」
エリオンがさっと手を差し伸べる。
――え、手を……?
思わず手を取ってしまったけど、抗うのも変だと思い直す。
彼の手は、力を入れすぎず、自然に私の体重を受け止めてくれる。
「……余計なことを」
「いや、これも市民生活の一部だろ?」
――なんでこんなことまで面白がってるのよ、こいつ。
「……馬鹿」
でも、少し肩の力が抜けて、息が整うのを感じる。
ほんのり頬が熱くなるのを、私は必死に無視した。
――そのとき、何か空気がざわつくのを感じ空を見上げた。
土色の鱗を纏った竜が目の前に降り立った。
「まずい、グラビティ―ドラゴンだ」
エリオンの言葉に、私は思わず息を呑む。
――でも、動じる暇はない。
「あんたは、そこで私の活躍を見てなさい」
胸の奥から魔力が波打つ。
私の声が、自然と空気に溶け込むように歌となり、指先に集まっていく。
取り出した聖琴ハープ・ウァフニを指で撫でるように奏でると――
淡い桃色の花びらのように宙に舞い、やがて私の頭上に花冠を描いた。
その光の冠は、旋律に合わせて微かに揺れ、風に乗る小さな鈴の音のように響く。
魔力解放『三律の花冠』
魔力と歌声が一体となり、花冠から放たれた光は、目の前の世界を鮮やかに染め上げた。
聖琴変形「不敗の剣」
私の手を離れたウァフニは、空中で形を変えると光輝く剣となった。
「へぇ。これがフロローラの神器か」
「行けぇ!」
私の声に呼応したフルガラッハが宙を走る。私の意志を受けて自動で攻撃を繰り出し始めた。
光の剣が竜の周囲を旋回し、次々と斬りかかり瞬く間にドラゴンを倒す――はずだった。
だが、グラビティ―ドラゴンの硬い鱗が光の刃を弾き、思うようにダメージを与えられない。
「ちっ……!」
歯噛みしながら、私は攻撃を続ける。
しかし、竜の巨大な眼がこちらを捉え、次の瞬間、重力を集中させた咆哮撃が降り注いだ。
――全身を押し潰されるような圧力。
フルガラッハは光を放ちながらも跳ね返され、私は地面に叩きつけられる。
「――うっ!」
息が詰まり、体が動かない。
浮遊魔法で宙に浮かんでいたはずフルガラッハも、重力に逆らえず地面に沈んでいる。
「あっ……」
グラビティードラゴンの大きな牙が私の目の前に迫っていた。
死……。
「ユリカ!」
――その瞬間、背後から鋭い風切り音が響く。
銀色の髪を靡かせたエリオンが、まるで空間を切り裂くように飛び込んできた。
一瞬でエリオンが私を抱えて、後方に下がる。
左腕に、激しい痛みと焼けるような熱が走る。
咄嗟に押さえようとした右手は、空を掴むばかりで力が入らない。
「あっ……」
視線を下ろすと、左肘から先が、――存在しなくなっていた。
絶望が心を覆いつくそうとしたとき、優しい声が響いた。
「大丈夫。止血はしたから、少し待ってて」
私に背を向けて、エリオンがグラビティードラゴンに立ち向かう。
魔力解放『創生』
彼の体から、世界を創り変えるかのような魔力が溢れる。
いつの間にかエリオンが握りしめていた短剣が光輝いた。光が刃全体を包み込むと――鋼の形は一瞬で崩れ、まるで翡翠そのものが結晶化していくかのように、鮮やかな翠色の輝きが刃を形作っていく。
聖剣変形「運命の剣」
翠の光が彼を中心に弾け、山道の木々や岩肌までも照らし出す。
エリオンの魔法剣に慌てたグラビティードラゴンの咆哮が、空気を裂いた。
大地そのものが軋み、山道の岩が悲鳴を上げて崩れ落ちる。
重力の奔流が押し寄せ、私をひざまずかせようと襲いかかる。
――また、動けない……!
肺が潰れそうになるその瞬間、翠色の閃光が前に立った。
エリオンだ。
彼の握る翡翠の剣は、光そのもののように軽く舞い、竜の吐き出す重力波をすり抜けては弾き返す。
風が走り、重さを塗り潰すように空気が澄んでいく。
「残念だったね」
彼は静かに笑った。
「この瞬速剣ウィーザルソードの魔法効果は――『軽量化』。つまり、重力は効かないよ」
言葉と同時に、彼の剣が音すら追い越す速さで閃く。
巨体の竜が爪を振り下ろすよりも早く、翠の残光がその腕をなぞり、進路を逸らさせた。
咆哮が耳を裂くたび、剣は光の軌跡を描いて壁となり、重力波を割って風へと変えていく。
――まるで、空を踊っているみたい。
私にはあまりに無茶だった戦いが、彼の手にかかると優雅で、そして何よりも圧倒的だった。
グラビティードラゴンが咆哮を轟かせた。
山全体が揺れるほどの重低音が響き、辺りの木々が根こそぎ地に叩きつけられていく。
――これが、本気……!
空気が歪み、空間そのものが沈み込む。
全身が鉛のように重く、呼吸すら困難になった。
もしこの一撃をまともに受ければ、山道ごと押し潰される。
だが、彼だけは違った。
エリオンは、あたかも風と同化したように一歩踏み込み、翠色の剣を掲げた。
彼の姿がふっと揺らぎ――次の瞬間には、竜の頭上へと舞い上がっていた。
「そんな力任せじゃ、僕は倒せない」
重力に縛られるはずの空で、彼はあまりにも軽やかに舞う。
剣に宿る『軽量化』の魔法が、彼の身体から重さを奪い去り、翼なき人間を風そのものへと変えていた。
竜の巨腕が空を薙ぎ払う。
だが、翠の閃光はそれらすべてを、ほんのわずかの紙一重でかわし続けた。
「終わりだ、グラビティードラゴン」
その言葉と共に、ウィーザルソードが眩く煌めく。
「飛翔斬!」
剣から魔力の刃が走り、竜の鱗と鱗の隙間を的確に貫いた。
翠の残光が走り抜け――次の瞬間、竜の咆哮が悲鳴へと変わる。
巨体が崩れ落ち、山道を震わせながら地に伏す。
……信じられなかった。
あの恐るべき重力竜を、真正面から抑え込み、そして討ち倒すなんて。
目の前の青年は、まるで伝説の英雄のように見えた。
「ああ、でも……」
胸の奥に、冷たいものが広がる。
ドラゴンを倒すのは、私の役目。
フロローラの王女として、次期女王として、果たすべき使命だった。
「私は使命を果たせずに……」
唇が震える。
誇りまで落としてしまったようで、気分が落ち込んだ。
「僕の使命は、君を傷一つなく守りきること。つまり、僕も不合格なんだけど」
その声は不思議と温かく、責めるでも、慰めるでもなく、ただ真実を語っていた。
そして、私は重要なことを思い出す。
「これから先、私は左手なしで……」
失ったものの大きさに、心から色が抜け落ちていくようだった。
けれど、エリオンはもう私から目を逸らして、ドラゴンの死骸に歩み寄っていた。
「ちょっと、慰めの言葉とかないの?」
「うーん。この辺の肉と骨がいいかな」
私が、問い返すよりはやく、彼はあっさりと竜の肉片を切り取り、それを私の腕に押しつけてきた。
「きゃあっ! なにを――!」
悲鳴を上げた瞬間、肉片が泡立つように形を変えていく。
竜の組織が血と共鳴し、白い骨と赤い筋肉が、まるで花が咲くみたいに編み直されていった。
そして――そこにあったのは、以前と変わらぬ私の手。
「うそ……手が治ってる。これって回復魔法?」
「死霊魔法だよ」
「はぁ!?」
「君の魂を、”死霊”に見立てて復元してみたんだよ。簡単にいうとゾンビ化の魔法だね。今はドラゴンの骨格と筋肉だけど、君は生きてるからそのうち馴染むよ」
「本当に?」
私は、手を開いたり閉じたりしてみる。
今までと同じように、手が動いた。
「多分……初めてやったけど、なんとかなるんじゃないかな」
「なんてことを」
「どうしたの。手いらなかった?」
「そうじゃなくて、死霊魔法は、禁術じゃないの……!」
「まあ、僕の国でも王族以外はそうだね」
「だから、あなたは処刑され――」
「だから、僕は大丈夫」
彼はあっさりと言った。
「僕は、エリオン・サンヴァーラ。魔王国サンヴァーラの王子だからね」
「――お、王子!?」
思わず声が裏返った。
今まで散々、私は王女だの、なんだの偉そうにしていたのに、相手は王子。身分は同等だった。
格好つけていた自分が、急に恥ずかしくなってくる。
「サングラスは、もしかして」
「軽い変装かな。魔王である母さんは、全盛期張り切って他国と戦いまくってたから、この紫の瞳は目立ちすぎるんだよね。フロローラとは、友好国だけど、魔王を恐れている国も多いからね」
ママの友達という時点で気づくべきだったのに――。
どうして私は、こんな大事なことを見抜けなかったんだろう。
「じゃあ、これからよろしくね」
「そ、それって、もしかして、こんや……」
心臓が跳ねた瞬間、彼は軽く笑って言った。
「残りのドラゴン退治も、張り切って頑張ろう」
「残りの?」
「もしかして、召喚されたドラゴンが一匹だけだって思った?」
「そ、そんなわけないでしょう。さすがに簡単すぎよ」
「片手失って、泣きべそかいてたとおもうけどなぁ」
「なきべそなんてかいてないわよ!」
「ところで、さっきはなにをいいかけたの?」
「な、なんでもないわ! ほら早くドラゴン退治いくわよ」
空を見上げると、黒い影が幾つもこちらへ迫ってきていた。
まだ、戦いは始まったばかり――。
「ユリカ」
振り返ったエリオンの瞳は、紫水晶のように澄んでいて、心の奥を見透かされるようだった。
「これからも、一緒に戦おう」
「……ええ、もちろん」
私もまた、彼に向かって微笑んだ。
女王としての誇りを胸に、そして――一人の少女としての鼓動を隠しながら。
重く唸る竜の咆哮が、遠い空を震わせる。
その音は、私たちの未来を試す鐘の音のように響く。
これが、私の女王就任試験本番の幕開けだった。
◆ 短編版 完 ◆
最後まで読んでいただきありがとうございました。
短いお話でしたが、ユリカとエリオンの旅の始まりを少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
もし続編を書く機会があれば、二人の冒険はさらに広がっていきます――どうぞ、またお付き合いください。
感想、高評価が励みになりますので、応援していただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。