王子よ。読者の声を聴け。
『お前を愛することはない』
冷たく言い放ってから三ヶ月が経った今────
妻に抱いていた印象はガラリと変わっていた。
派手で贅沢で男好き、気に入らない使用人には容赦なく体罰をすると噂の侯爵令嬢を、王命で仕方なく妻に迎えた。
ところが嫁いできた彼女は、質素で慎ましく、目下の者にも優しく慈愛に満ちている。ましてや自分と少し手が触れただけで真っ赤になる彼女が、男好きなどとは到底思えなかった。
調べたところ、彼女は侯爵と下女との間に生まれた庶子であり、噂の侯爵令嬢は嫡子の方であった。
姉がこの結婚を拒んだ為に、庶子を嫡子と偽り、代わりに嫁がせたという訳だ。
しがない第三王子が相手とはいえ、王家を騙したのだ。普通は離縁の上、断罪もやむを得ないのだろうが……出来るならこのままずっと妻でいて欲しいと、心から思う自分がいる。
一体何故だ。
彼女の為人と情に絆されたのだろうかと考えていると、目の前に突如、長方形の光が浮かび上がった。
一番上に『~読者のコメント~』と書かれているそれは、線で幾つかに仕切られ、それぞれに短い文章が収められている。
怪しい……
そう思うのに、眩しさに誘われ、つい文章を読んでしまう。
『何故だじゃねーよ! 恋だろ♡ 恋♡』
…………ん?
『好きになるのは構わないけど、エレに謝罪してからにしてね。結婚初日のアレはないわあ』
…………んん?
『王子よ、読者はお前の仕打ちを忘れない』
『今さら感……今後王子の好感度は回復するのだろうか』
『悪いことしたらちゃんと謝ろうね、王子』
…………王子って、俺か?
最後まで読み終えると、謎の光はふっと閉じる。
さっきまで光があった場所を手で探ってみるが、空気以外は何も掴めない。
キョロキョロと見回してみても、執務室の重々しい壁に囲まれているだけだ。
……幻覚か?
疲れているのかもしれない。最近執務が立て込んでいたからな。
そう思おうとするが、さっきの文章が頭にチカチカして離れない。
謝る……そういえばまだ、ちゃんと謝っていなかったな。
その夜、執務を終えて食堂へ向かうと、いつも通り妻が既に席に着いていた。自分を見て、スッと立ち上がろうとするのを手で制す。
優しい瞳と、愛らしいえくぼ。それをにこりと自分に向けられた瞬間、胸がドキリと跳ね苦しくなる。
一体何故……
『恋だろ♡ 恋♡』
恋……これが?
目を閉じてもチカチカする文章。
胸を押さえたまま突っ立っていると、妻が心配そうな顔で覗き込む。
「殿下……?」
「あ、いや、何でもない。食事にしよう」
上座に腰を下ろすと、給仕が素早くワインを注ぎ、前菜を運ぶ。
チーズ、海老とトマトのマリネ、揚げた蓮根。
以前、彼女が特に美味しそうに食べていたことをシェフに伝え、今夜は同じメニューを提供するよう命じた。皿を見た瞬間、ぱっと笑顔になる妻に、胸はますます騒がしくなる。
「それ、好きなのか?」
そう尋ねると、妻は頬を赤らめながら「はい」と微笑む。
くうっ! 胸が……息が……
コホンと咳払いし、平静を装う。
「……食べたい物があれば、いつでも侍女へ言うといい。シェフには話してあるから」
「お気遣いありがとうございます。公爵邸のお食事は、どれも本当に美味しくて。今度、シェフに直接お礼を伝えたいのですが」
……実家では虐げられ、姉の身代わりに望まぬ結婚をし、頼りになるはずの夫からは突き放された。
なのに恨むどころか、食事一つでここまで感謝するなんて。彼女はどこまで心が綺麗なのだろう。
それに比べて自分は……
『悪いことしたらちゃんと謝ろうね、王子』
そうだ、まずは謝罪をせねば。
「……申し訳なかった」
「え?」
「貴女がここへ嫁いでからのこと。ただでさえ不安だっただろうに、その……酷い言葉で傷付けてしまって。貴女の為人を見ようともせず、勝手な思い込みで拒絶するなど、王族としても一人の男としても恥ずべき行為だ。本当に、本当に申し訳なかった」
ペコリと頭を下げる。
受け取ってもらえるかは分からないが、少しは気持ちを伝えることが出来ただろうか。
すると大理石の床に、再びあの長方形の光がぽわんと浮かんだ。
昼間と同じく、一番上に『~読者のコメント~』と書かれているそれ。恐る恐る、下へ目をやる。
『100点!』
『85点!』
『50点。みんな甘いな。定型文みたいな、薄っぺらい謝罪』
辛辣な評価に、ヒッと身構える。
もう少し優しい言葉が欲しくて、更に下へと視線を滑らせる。
『ちゃんと謝れて偉いじゃん! てか、“ お前を愛することはない ” からの謝罪はやっ!』
『謝罪、いきなりキターーーw』
『王子、ここのコメント見てんじゃね?w』
はい、見ています。
心でそう答えた瞬間、またしても光は閉じる。
……幻覚なんかじゃない。
俺はそう確信した。
「どうか、どうかお顔をお上げください!」
愛らしい声に素直に従い、チカチカする頭を上げる。
「貴い殿下が、私ごときにそのようなことをしてはなりません! 妻として受け入れてくださって……こうして食事まで一緒に摂ってくださって……私には勿体ないほど、よくしていただいております」
ごとき
勿体ない
自分を卑下する言葉は聞き捨てならない。そんなことないと口を開きかけたものの、ピタリと止まってしまう。
……はて。なんと言えばいいのだろう。
『私ごときなど言ってはいけない! 貴女はこの世にたった一人、オンリーワンなのだから』
↓
~読者のコメント~(予想)
『おえっ』
『オンリーワンてwww』
『おんりーわんwww』
……駄目だ。では、これならどうだろう。
『勿体ないなんて言ってはいけない! 貴女にはもっと幸せになる権利がある』
↓
~読者のコメント~(予想)
『お、どんな権利だ?』
『権利、はよ』
『なんか偉そう。これだから王子は』
……駄目だ。
脳内で勝手にチカチカする『コメント』とやらに翻弄される。
結局気の利いた言葉など一つも掛けられず、蓮根をボリボリと噛み続けていた。
湯船に顔まで浸かり、ブクブクと沈んでは上がるを繰り返す俺。
突如現れた不思議な光と『コメント』について、さっきからずっと考えている。
明らかに自分へ向けられている戒めの言葉。これは天からのメッセージ……すなわち神のお告げだという結論に至った。
いい加減身体がふやけそうだと立ち上がった時、あの光が湯気の中にもわっと浮かんだ。
~読者のコメント~
『王子、どれだけ蓮根好きなんw』
『蓮根カウンター100www』
……さすがに食べ過ぎたか?
~読者のコメント~
『食べてばっかいないで、気の利いた言葉掛けてやれよ。お前は俺のオンリーワンだ、とか』
……オンリーワンでよかったのか?
~読者のコメント~
『ボリボリの後はブクブクw』
『王子、なんか可愛いな』
『湯気で肝心なトコが見えない。ちぇっ』
湯気……肝心な……トコ?
俺は生まれたままの下半身を見下ろすと、浴室を飛び出す。濡れた身体に慌ててガウンを羽織った時には、もう光は消えていた。
今日だけで三回も現れた神のお告げ。
自分をどう戒め、どのような選択をすべきかと、一晩中ベッドの中で頭を悩ませた。
翌朝も、食堂でにこにこ笑う妻。
焼きたてのクロワッサンを口に入れては幸せそうな顔をする彼女に、こちらまで幸せな気持ちになる。
食後の紅茶とフルーツが置かれたタイミングで、夕べ言えなかったことを伝えようと口を開いた。
「コーデリア嬢。その……夕べはどう言えばいいのか分からなかったけど……貴女はこの公爵家にとって必要な存在だ。……違う。家じゃなくて、私にとって必要、いや、大切、いや、かけがえのない存在だ。恋とか愛とかは、まだ正直よく分からないけど、これから分かるのかもしれない。とりあえず今は、貴女を妻として大切にしたいと思っている」
……駄目だ。0点だ。
やっぱりオンリーワンを入れるべきだったかと俯いていると、案の定白いテーブルクロスに光がふわりと浮かぶ。
俺は、神のお告げを覚悟して見つめた。
~読者のコメント~
『王子、可愛いかよ♡』
『乙女♡』
『きっとこれから分かるよ、グレたん♡』
『50→58点』
『オンリーワン欲しかったけど、まあいいか』
意外にも好意的な『コメント』に、ホッと胸を撫で下ろす。
点数も上がったみたいだし、よかった。
いや、それよりも、肝心の妻の反応は……!
と窺えば、綺麗な瞳から大粒の涙をボロボロと流している。
……駄目だ。どうしよう。
「あ、あと! 貴女はこの世でオンリーワン……違う。お前は俺のオンリーワンだ!」
慌ててそう付け加えれば、余計に泣き出してしまった。
何がいけなかったのだろうと宙を仰ぐが……
どこにも光は現れない。
困ったなとキョロキョロしていると、妻は椅子から飛び降り、冷たい床にひれ伏した。状況が呑み込めない自分に、妻は震える声で言う。
「私は……私はそんなことを言っていただけるような女ではないのです。私は本当は侯爵家の嫡子ではなく……」
ああ、なんだそのことか。
どう告げようか迷っていたが、まさかこんなに早いタイミングでその機会が訪れるとは。
俺も床に跪き、出来るだけ彼女と同じ高さで話し掛けた。
「知っているよ。貴女は長女のコーデリア嬢ではなく、次女のエレノーラ嬢だろう? 噂に聞いていた悪女とは随分違うから、こちらで調べさせてもらったんだ」
彼女は目を瞠る。
「何故……何故お咎めにならないのですか? 庶子でありながら、高貴な貴方様を騙して嫁いだ私を何故……!」
「全て侯爵に指示されたことだろう。立場の弱い貴女に責めはない。むしろ貴女は被害者だ。散々虐げられた上、好きでもない冷たい男の元に嫁がされて」
「被害者など……! 私はこんなに、こんなに幸せですのに。卑しい庶子のくせに、気付けばこんなに貴方様をお慕いしてしまいましたのに」
…………え?
「どうか私を罰してくださいませ……身の程知らずの、愚かな私を罰してくださいませ!」
床に額を擦りつける彼女。その背後に、ぱあっと光が浮かぶ。
~読者のコメント~
『うおお! ヒロインの方から告白するとは!』
『オンリーワンキターーーw』
『展開はやっ』
『グレたん、アホそうだから気付かないんじゃ……慕うって意味分かるかな』
『罰、はよ』
『まさかやらしいことしないだろうな』
……うるさい。
下まで読まずに光を手で払うと、妻へ……エレノーラへと向かう。
涙でぐしゃぐしゃの顔を両手で挟み、「罰だ」と言いながら震える唇に口付けた。
数分後────
自分の腕に、くたりと身を預けるエレノーラ。
柔らかなその髪を撫でながら、何度も唇を落とす。
「もう分かった。恋なんかではなく、貴女を心から愛していると。エレノーラ嬢、どうか私の本当の妻になって欲しい」
「……こんなに幸せな罰があっていいのでしょうか」
「もちろん。きっと神も……光の向こうで、それを望んでいるだろう」
~読者のコメント~
『グレたん、がっつきすぎwww』
『チュッチュッ♡』
『展開はやっ』
『グレたん、慕うの意味分かったんだね。すごい♡』
『次の罰、はよ』
『赤飯の準備しとく』
『58→60点。あとは侯爵家のざまあだな』
その後、国王陛下を説得した俺は、特別な手続きを踏み、エレノーラを親戚の伯爵家の養女にした。
庶子だという理由だけで、長年彼女を虐げてきた侯爵家。エレノーラとの繋がりを完全に断ち切ってから、容赦なく断罪した。
神は満足してくれたのか、ようやくあの光が現れることはなくなった。
これでやっとエレノーラと結ばれる……
風呂の時みたいに、覗かれたら最悪だからな。
柔らかな月が照らすベッドで、もっと柔らかな妻を抱き締めた。
~読者のコメント~
『ごちそうさまでした』
『朝チュンかと思ったら……けっこー濃厚だったわ』
『グレたんの腹筋よ♡』
『赤飯お食べ』
『60→150点。いいモノをありがとう』
『エレグレ最高♡ 課金に悔いなし』
『初夜以外はあっさりしすぎ。課金して損した』
『お幸せに♡』
ありがとうございました。