11話 丁度いい距離
「薄氷さんって何考えてるかわかんないですよね」
夕方、レジに立っていると同僚の女子高生がふいにそんなことを言ってきた。暇な時間の雑談だろうな、とはわかっていてもほんの少しだけ心がざらり、とささくれ立つ。
「……そうかな」
「そうですよ。あたし、薄氷さんが笑ってるとこも逆に怒ってるとこも見たことないですし。ホントに人間かなーって思いますもん。え、怒ったりします?」
「今とかね」
「やー、それも言ってて表情変わんないし、なんか冗談かどうかわかりづらいですしー」
ぺろっと舌を出して、彼女は品出しをしに行った。
何考えてるかわからない、なんてよく言われてきたことだし、今さら新鮮な怒りも痛みもないのだけれど。
けれど、輪郭すら薄れながらも完全に消えることはない傷痕は確かにあって、似たようなことを言われる度にその奥が微かに疼く。
昔から、そこまで喜怒哀楽が豊かな方ではなかったけれど、それよりもっと意図的にわたしが自分の感情を押し込めるようになったのはいつからだったか。
小学何年生の頃か、遠足のおやつで塩飴と羊羹を持っていったことがあった。そしてそれを見た男子が数人、わたしの名前と併せて「ばーちゃんみてー」「小梅ばばー」と囃し立てたのだ。
今思えば子どもじみたくだらないノリ、あるいは不器用な好意故のイジリだったのかもしれない。
けれど、同じように子どもであったわたしはそれに真っ直ぐに傷ついてしまったのだろう。そしてそんなことに傷ついたことすらも嫌で、誰にも気取られたくなくて、なんでもないような顔を必死に繕っていた。
それからしばらくそのイジリは続いて、その分だけわたしも自分の感情を隠し続けた。
だからだろうか。いつからか、元々それほど豊かでなかった感情の動きが、さらに他人から見えにくくなってしまったのは。
そして、人は感情が見えない相手とはあまり深い関係を築けないものだ。
『小梅って何考えてるかわかんないから、一緒にいるとちょっとしんどいよ』
客のいない店内のどこかから、いつか言われた言葉が響いてくるような気がした。
*
「こんばんは~、薄氷さん~」
夜も大分遅い時間。ぽへ~、と緩んだ笑顔でレジの前に立ったのは最近よく来てくれるふんわりとした栗色のロングヘアに綺麗めオフィスカジュアルなお姉さん――伽耶乃さんだ。
以前ものすっごく疲れた顔をした彼女がレジでまごついた時があって、後ろから短気そうなおじさんの圧を食らって泣きそうになっていた彼女があまりにも可哀想で、さすがにフォローしとくかぁ、と思ったのが始まり。それ以来、彼女は毎日のように通ってくれているし、多分わたしに対して少なからぬ好意を持ってくれている――気がする。多分だけど。
わたしもわたしでなんか表情豊かで見てて面白い人だなーと思っているので、彼女がお店に来るのを結構待ってたりする。本当にくるくる表情が変わるし、挙動不審な動きも見てて飽きないのだ。
でもきっと、今以上に距離が縮まることもないのだろうな、とも思っている。
少し話をする店員と客。きっとそんな状態くらいがわたしに好意を抱いてくれる丁度いい距離なのだ。
だってわたしは『何考えてるかよくわからない』から。今までだって、わたしに好意を抱いて近づいてきた人はいたけれど、いつだってそう言って去っていった。それならもう、最初から近づかないでほど良い距離感で接するのがお互いに楽だ。
だから伽耶乃さんとも、今のこの距離でいい。わたしも相手も、お互いのことは名前くらいしか知らない、少しだけ親しい他人くらいの今が丁度いい。
そう思っていたら、
「――あのぅ、薄氷さん……? もしかしてなんですけど、今日ちょっと元気ないですか……?」
伽耶乃さんは緩んだ笑顔から一転、へにょり、と眉を下げた心配そうな顔をする。今の伽耶乃さんの方がよっぽど元気がない。
「……そんなふうに見えます?」
直前までの物思いを無意識に引きずっていたのか、つい、面倒くさい返しをしてしまった。
だって、そんなふうにわたしの感情に気づいてもらえたのなんて、本当に久しぶりだったから。
「えっ、やっ、違ったら本当に申し訳ないんですけどっ! なんとなぁく、こう、いつもよりしゅん、としてるように見えただけで……! はっ、これは別にいつも薄氷さんのことをめちゃめちゃガン見してるとかではなく……⁉︎」
責めてもいないのに勝手にあわあわと言い訳まで始める伽耶乃さんを見ていると、なんだか少しだけ沈んでいた気持ちが浮き上がるような、そんな気がした。
「……元気ないです、って言ったら、伽耶乃さんは何してくれるんですか?」
「えぇっ⁉︎ 何って、……ぇ~~~っとぉ⁉︎」
つい悪戯心から無茶振りをすると、伽耶乃さんは面白いぐらいに目を泳がせ、
「――あっ、こ、これ! 好きですよねっ!」
そう言って彼女は、バッグから何かを取り出してこちらに差し出す。
それは――
「……塩飴?」
「はいっ、前に薄氷さんがくれてから、私もなんか好きになっちゃって! それで自分でも何個かバッグに忍ばせてるんですよ~~」
なんて、頬を緩ませて嬉しそうに言う。
本当に、この人は――
「――やっぱり、伽耶乃さんは面白いですね」
「えぇ⁉︎ それって褒めてますか⁉︎」
「もちろんです」
だって、この人を見ているとこんなわたしですら、もう少しだけ近づいてみたいと思ってしまうのだから。




