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音重ねの集い

作者: 真浦塚真也

蛇みたいだなぁ。

コンクリートの床に這わせている沢山の電気ケーブルを見て、僕はそう思った。その蛇たちの出元であるミキサーでは、主催が腰に手を当てながら険しい顔をして音量を調整している。会場の木目調の暖かさと主催の顔の神経さが絶妙にずれていて、でも実は絶妙に合っているようにも感じられて、思わず笑みが溢れてしまう。

「さて、さて、んーよいしょっと。」

次の演奏者が楽器を軽妙に抱えて、それでいて床に這う蛇たちの眠気を覚まさないように慎重な足取りでステージへと上がっていく。演奏者は主催と顔を合わせると、あぁどうもとちょこっと頭を下げて、主催も演奏者にやぁどうもと頭を下げる。演奏者と主催は仕事上の付き合いもあるそうだ。その挨拶には仕事の付き合いの距離感もあるだろうが、今日の頭の下げ方は同じ趣味に興じる仲間といった意味合いが近い。でも完全なそれではなくて、やはり適度な距離感も感じる。鳩同士の挨拶みたいだな。またそんなことをぼんやりと考える。どうやら今日の僕の頭は、人や物を動物に例えることに長けているようだ。

ジャンッ。

演奏の前の音合わせが始まる。音を鳴らした演奏者は、ギターから音が出るとフッと笑みが溢れる。それは些細な音ではあったが、穏やかで静かで小さな会場だ、演奏者の恥じらい混じりの微笑は会場全体を包み込んだ。演奏者もまさか自分の微笑が会場を包むとは思わなかったのだろう、一瞬ギョッとした顔をした後、それを吹き飛ばしたようなニカッと豪快な笑みを浮かべる。フッとした顔はカピバラで、ギョッとした顔はメガネザル、ニカッとした顔はゴールデンレトリバー…。さっきまで上手くいっていた動物の例えを頭の中で興じる。得意気な笑みはマスクで隠しているから絶対にバレることない。

はずだった。

演奏者と突然目が合った。

えっ、なんで。

そう思って演奏者を見返すと、演奏者は相変わらずニカッとした笑みを浮かべている。僕は会釈だけでやり過ごして一瞬下を向く。恐る恐る上を向くと、演奏者はもう僕は見ていなくて主催を談笑を始めていた。なんだ、いつもの僕の自意識過剰の勘違いか。そう思うと恥ずかしくなる。さっきからの振る舞いも、興じていた一人遊びも。多分今の僕は、誰よりも小鳥でカピバラでメガネザルでゴールレトリバーのはずだ。もしかしたら蛇なのかもしれない。もう演奏が始まる。馬鹿なことはやめて演奏に集中するとしよう。

「えー、じゃあ始めます。今から演奏する曲は…」

演奏者が挨拶を始める。お世辞にも上手でも軽快でもなく、タドタドしい挨拶だ。演奏者もそんなこと分かっているのだろう、挨拶を早々に切り上げ演奏へと入っていく。

ジャンッ。

ギターが鳴る。

息継ぎの音が聞こえて、演奏者の顔が変わる。

演奏者から唄が流れて、奏でるギターと重なる。

やっぱり唄うと凄いんだよなぁ。さっき、演奏に集中すると決めた僕の頭は、また想像の興事を始める。

演奏者とは仕事上の付き合いがある。今日のこの演奏会も、その演奏者から誘われ、まぁ半ば強引に、来ている。誘われた割にちゃっかりとドリンク代は取られる所も、なんとなく彼らしい。仕事上の付き合いの時に伺う顔と、今唄っている顔、プライベートの顔は全部微妙に違っている。でも全部絶妙に同じ顔だ。『人を一場面だけで決めつけてはいけない』。そんな当たり前の言の葉が、今僕の頭の中をぐるりと回る。いつもならそんな説教じみた考えは…と、門前払いするそれは、今、演奏者の歌声と共にすんなりと胸へと沁みて、ストンとお腹の中に入って消えていった。

演奏者が奏でている音楽は、俗に言うカバーというやつで、僕はその唄をあまりよく知らないし、元の曲を唄っている歌手のことも名前を聞いたことのある程度だ。その歌手は、唄のジャンルでいえばいわゆる『日常系』で、日頃のなんてことないことを、なんてことないような歌詞に載せて、なんてことのない感じで唄っているらしい。そんな、なんてことない、いや多分本当はなんてことある、ただ音楽の知識に乏しい僕はそれを上手く伝えることができない、唄は、今は明らかに演奏者の音楽としてそこにある。

唄がいよいよサビに入る。演奏者の歌声に、ギターを持つ手にも力が入る。演奏者は額にうっすらと汗をかきながら、なんてことない日常を唄っている。その日常の唄に、演奏者自身の日常が重なる。仕事・家庭・社会情勢・日頃のモヤモヤやイライラ…。薄いながらも付き合いのあるからこそ分かる彼の、なんてことなく、なんてこともある日常が、なんてことなくもなんとこともあるはずの日常を歌ったの唄に重なり会場を揺らす。

窓の外からは、最近になって急に秋らしくなった日光が演奏者を照らす。照らされた演奏者の周りには、同じく一緒に照らされたちりぼこりがフラフラと浮いていて、そのちりぼこりに彼の日常の唄が絡まる。

会場の吹き抜け窓から外を眺めると、近くの竹林や松林がをそよそよと揺れていた。今日は風が心地よくちょうどいい。そんな風が、会場の窓から不意に入ってきて、少し強めに歌詞カードを揺らす。演奏者が慌てて歌詞カードを押さえる。主催もミキサーから離れて歌詞カードを押さえに行く。人間たちの気な動きで、そこに心地良さそうに漂っていただけのちりぼこりが、右往左往と忙しく動き回り始めた。


散れ。散っちゃえ。飛んでけ。


不意に僕の頭がそう叫んだ。

なんてことない日常よ、なんてことない日常の思いよ、なんてことない日常のザラザラした感情のささくれよ、演奏者の思いよ、それに便乗した僕のなんてことない日常の思いよ、僕のザラザラ感情のささくれよ。散って、飛んで、誰かに届け。届いてくれ。

ジャカジャン!

ギターをかき鳴らして、演奏を終えた。拍手が起きて空気が弾む。さっきまで僕が思いを託したちりぼこりは、秋風と拍手の弾んだ空気に動かされてどこかに消えてしまった。さっきまで吹いていた秋風の突風は、もうすでに止んで

いる。多分そんなに遠くにはいかなかったのだろう。

「ふぅ。」

日常の唄に己の日常を込めて唄った演奏者が、少し疲れて、でも少し高揚した顔をして、観覧の席へと戻っていく。僕は、勝手な自分思いに興じたお詫びと、自分思いに興じさせてくれた感謝と、演奏の賞賛を込めて、またもう一度静かに拍手を送った。

明日からも日常は続く。多分そのほとんどは、なんてことない日常で、その中で起きるアクシデントや喧騒も、『なんてことない』というとんでもなく大きな括りでまとめられてしまうのだろう。でも、それでいいと思う。その積み重ねのなんてことなさが、また今度のなんてことない日常の唄に彩りを与えるはずだ。だといいな。


今日は「音重ねの集い」。

次の集いは、秋風がもっと強いといいな、とも思う。

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