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僕らの空は――虹色のレシピ――  作者: 音和さいる
38/38

10-4

 予想より三十分はプログラムが押している。それでもフロアは熱く、素人ばかりのライブとは思えないくらいの盛り上がりだった。どうも肝になりそうなバンドがまだ出てきていないのだろう。スタンディングで既に三時間以上が経っている割に、それほど人数が減っていないのだ。途中で入れ代わりがあったとしても、かなりの盛況だ。

 湶琉は袖口からフロアを見た。頭にとてつもない錘が落ちてきたような衝撃を覚えた。音に合わせて身体を揺すっている人々の顔は既にトランス状態のようで恍惚としている。

(人の波だ)

(それも、とてつもなく強烈な飲み込む波)

 一つ喉を鳴らして唾を飲み込む。音がない空間じゃなくてよかったと安堵するほどに、自分の耳にはその音がやけに大きく響いた。

(そうだ、大樹大樹)

 千夜に教わった呼吸法を思い出して、何度も呼吸を整えようと試みた、しかし、今見てしまったものに飲まれすぎてどうしても呼吸が浅くなる。心臓が痛いくらいに高鳴っていて、現在演奏中の音が自分たちの音の記憶を否応なく上から押しつぶしてくる。どうにもならなくて、無理矢理大きな息を吐いた時、磯貝が湶琉の頭を引き寄せた。

「お前だけじゃない」

 一は自分の心音が聞こえる場所に湶琉の耳を押し当てて、その音を聞かせようとした。実際、その音はギターのつんざくようなガナリにつぶされて聞こえなかったのだが、湶琉の心を襲う何かから守ろうという体温おもいだけはじんわりと伝わった。


 音が終わる。

 拍手とともに大きな歓声が起こる。八番目のパフォーマンスが終わったのだ。楽器の入れ替えのために暗転したステージに、0Gは上がった。演奏が終わったばかりのフロアから、人が出て行くのが見える。そして、逆に前に近付こうとする人波も。一組終わるごとに、結構な民族大移動だ。

バンドごとに楽器の位置やセッティングが異なるので、暗転時はメンバーもサポートしなければ、準備に時間がかかってしまう。九組目ともなれば、多少スタッフの動きにも疲れが見えた。

 特に典生の場合は多少特殊なものを盛り込んでいるので、スタッフとはいえできるだけ他人には触らせたくないと、率先して自分で運び込んだ。


 フロアにアナウンスが入る。

《Our next performers are 0G!》

 同時にステージが一気にライトアップされ、黄色い声が上がった。あまりの眩しさに視界がホワイトアウトして、フロアは一面の白い波になる。今まで以上に女子の歓声が多かったのは気のせいではないだろう。ステージは上手に秀也のギター、下手に磯貝のベース、フロントに湶琉で、その後ろから典生が全体をまとめ上げるという布陣だ。

 湶琉の目の前の安全バーでは、数人の女子が押し合いながらその位置を争っている。彼女達が振り上げた腕がまっすぐに自分の所まで伸びてきそうで、そのままステージから引き摺り下ろされてしまうのではないかと恐怖を覚え、膝がガクついた。

 ライトの目潰しのせいではっきりと後ろまでは見えないが、後部の反応は薄いと感じた。お目当てのバンドが他にあるのか、容赦なく冷たい視線をぶつけてきているような気がする。湶琉にとっては、どちらかと言うとアウェー感が強い会場だ。愛憎入り混じった感情を矢面になって一身に受けるフロントは、並みの気力じゃ持ちこたえることができない。

 湶琉は動けなかった。全ての体感覚が一瞬にして失われた。

 あれだけ繰り返して覚えたはずの歌詞まで全部、真っ白になった。

 前を向いて、聴衆に顔を見せることすら難しかった。

 プログラムの最初に持ってきていたのは湶琉のボーカル曲だったので、湶琉がカウントを始めなければ演奏を始めることができない。ライトの照らされた中で、無音、無動のまま、早くも二分が経過した。各バンドの持ち時間は二十分。マイクが壊れているのかと訝って、スタッフが一度チェックのためにステージに上がってきたが、全く異常はなかった。

 フロアはざわめく。これまでの流れで高まっていた温度が急速に下がっていく。心無い野次が飛び始めて、典生も流石に限界かとキーボードに載せたPCを操作して、二曲目の演奏を始めるためのプログラムにセッティングを変えようとしていたその時だった。

「やらねぇなら失せろ!」

 鋭く光る何かがステージに向かって投げられた。それはまっすぐ湶琉に向かって飛び、光に反応するように湶琉の顔が上がった。かばうために持ち上げた左腕で辛うじてそれをはじく。

 最前列で上がっていた声援が一転、つんざくような悲鳴に変わった。

 秀也も反応したが、あまりに早すぎたので、湶琉がはじいたそれが自分の足元に転がってくるのを見ているに過ぎなかった。ちょうど足元で止まったのは、刃物でこそなかったが、ゴテゴテにデコられたシルバーのライターだった。ここにあっても危ないので、ステージ袖に流すように軽く蹴り出す。

 騒然としたフロアでは、スタッフが迅速にもライターを投げたと思われる男を取り押さえて、会場外に連れ出そうとしているところだった。

 最前列の女子達から、再び悲痛な声が上がる。視線は湶琉に集中しているようだ。ライターは顔にこそ当たらなかったが、かばった左手の甲がぱっくりと切れていて、遠目にもわかるくらいの血が流れ出していたのだ。騒然とした場内は、演奏を聴くどころじゃなくなっていた。秀也も怪我をした湶琉をステージから出そうと動きかけた時だった。

「うっせぇっ!ピーピーわめいてんじゃねぇよっ!」

 マイクの音量を利かせて湶琉ががなった。いきなりの咆哮に会場が静まり返る。その声に秀也も動けなくなった。

「痛いのはお前らじゃねぇ!このおれだ。これぐらいの傷なんざ、慣れっこなんだよ」

 空気を読まないいきなりの変貌と喧嘩腰に会場は引き気味だ。そんな中、最前にいた一人の少女がステージに向けて懸命に腕を伸ばし、一枚のハンカチを差し出した。

「でも、これ…。使ってください」

 静かな、声だった。

 弱い。

 儚い。

 今にも泣きそうな顔で、肉食獣に魅入られた小動物のように全身を震わせながらも、少女は手を差し出している。会場内はしんとしたまま、二人の動向を見守っていた。

 湶琉は少女と見つめ合った。それは心に静けさと安定を呼んだ。いきり立った感情が急速にクールダウンしていく。見ず知らずの彼女が、何故だかすごく身近な誰かに感じられた。

 湶琉は腰を折って受け取ると、その場でハンカチを手の甲を縛るように巻きつけて、歯を使って結んだ。

 そして静かに、

「ありがとう」

 名も知らぬ少女に穏やかな笑みを返した。受け取ったのは、一枚のハンカチとそれ以上の何かだった。

 彼女は息を飲んだように瞠目し、赤らんだ表情を見せた。その周りでも「きゃっ」とオレンジ色の弾んだ声が上がった。

(僕を傷つけたライターの彼も僕自身。僕を癒そうとして勇気を出してくれた彼女も僕自身の現れだ)

(僕は僕であって「僕」じゃない)

(僕は他でもない僕らのために、歌う。皆で、歌う)

 湶琉は一つ、場内に向かって深いお辞儀をした。

「お騒がせしてすみませんでした。改めて歌います。歌詞のある曲は僕らにとって初めてのチャレンジになります。聞いてください。ギャンブラー!」

 典生は慌てて設定を戻し、曲紹介までこなしてしまった湶琉に意表を突かれた秀也は一瞬動きが止まり、磯貝は淡々と弾く構えを取った。

 湶琉のカウントが始まる。何かが始まる雰囲気を察したのか、先程まで外に出ていた人々が少しずつフロアに戻ってきて、後ろにできかけていた空間を埋めた。



1&2&3&4& 54321&XX(クラップ&タム)

1&2&3&4& 54321&GO!


よう、あんたついてるね

ここに来れるのは、ごく僅かのお調子者〈FOOL〉

そう、あんたみたいにさ

口を尖らせて、拗ねてんじゃねぇ


貶してねぇよ 褒めてんだろ

まんま言葉受け取りなよ

お調子者〈FOOL〉にはパワーがある

ホントだって信じてみな


ほんの少しの手荷物で

東西南北何処でも行ける

だからこそ、そう、呼ばれたのさ

あんたも、そう、あんただ


ここじゃあ、利益はドカンだぜ

二倍、三倍、んなケチくさくねぇ

賭けるのは、そう、金じゃない

あんたさ、そう、あんただ

あんたが本気で動くなら、思いっきりステージ上げてやる

動かなきゃチャラだぜ、ご愁傷様


そうこなくっちゃ、オリコウサン

たぎる血肉がまんま掛け金

騙しちゃないさ、オリコウサン

眠った自分、起こしゃいいじゃん


欲しいものには手を伸ばせ

己を賭して手を伸ばせ

ルーレットが廻る


ようこそ、素敵なお客様

さぁて、あなたのお望みは?



 再びカウントが入るタムの部分では練習済みだったのか、前列を中心に「0G」という掛け声がかかった。多少のアクシデントはあったが、演奏は上出来。否、アクシデントのおかげで肝が据わったとも言えるだろう。自分達のペースを取り戻せた0Gは無敵だった。会場からの追い風もあって、何よりも演奏を楽しめた。二曲目三曲目とインストゥルメンタルの曲を続けたが、聴衆は飽きる様子もなく付いてくるのがわかる。会場全体が一つの同じうねりの中に存在していた。

(0G――無重力――僕らは何処へでも行ける)

 カホンを叩く手が湶琉の楽しさを象徴していた。全くリズムから外れることなく、肩の力が抜けた多少のアレンジまでこなしてみせたのだ。これには典生も驚いた。「お客様」だったはずの湶琉が、ここまで影響力を持って関わってくるとは予想だにしなかったからだ。同じくリズム隊であるベースの磯貝とは、目を見交わしながらタイミングを読むなんてことまでしてみせた。演奏しているその顔から華やかな笑顔が消えることはなかった。

(会場を丸ごと、より遠く、より高みに連れて行けるように「JUNP TO THE MOON」月まで飛べ!)

 そう祈りながら、願いながら、湶琉は手首をしならせた。さっき受けた手の甲の傷の痛みなんてすっかり忘れていた。傷よりも曲が終わってしまうことの方が辛かった。このステージを降りなければいけないことの方が辛かった。

 そんなメンバーに会場は魅了されていた。歌詞はなくても心に響く音に思うまま揺さぶられた。

 演奏が終わっても、拍手までには一瞬の間があった。会場が我に返る時間が必要だったのだ。

 宇宙船を降りたのに、船酔いが治らず頭がふらふらし続けるような状態。

 降りてすぐは地球のG(重力)に馴染めない。

 身体が馴染んだ頃には彼らは視界から消えていて、十番目の演奏者へと変わっていた。


「化けたな」

「あぁ」

 日向は旧知の業界関係者と二階からのんびり鑑賞していた。乗り出し防止の柵に両肘をかけた前傾姿勢で顎を預け、次のステージをBGMに話を続ける。

「一応、うちの押し」

「面白いとは思う。検討してみよう」

 スーツの男は何やらメモ書きをして、手帳を胸ポケットに収めた。0GのCDは日向から受け取り済みである。


 裏口に車を付け、楽器を搬出しながらも、メンバーはまだ身体に残る演奏の余韻を楽しんでいた。それぞれにやるべきことをやった充足感に満たされたいい顔をしている。一日がかりの作業の疲れなんて、ステージ上で丸ごとぶっ飛ばしてきたようだ。特に何も言葉を交わさなくても、それぞれが上機嫌なのがわかる。そこにあるのは、ほどよい連帯感だった。

「お疲れ様~!!」

 極上の笑みを浮かべて、高いヒールを物ともせずに駆け寄ってくるのは美代子だった。

典生もようやくほっとした表情で彼女に対峙する。ここのところ、彼女に対してはカリカリした表情しか見せていなかったなと軽く反省した。そんな彼を素通りして、用意した腕は空を掻く。

「よ~し、よしよし!よ~く頑張った!!」

 美代子は湶琉を羽交い絞めにすると、犬猫にするかのようにぐるぐると頭を撫で回した。湶琉は頭をとられたせいで、勢いあまってつんのめりながらもようやくバランスを取っていた。

「み、美代子さん…ハゲる」

「や~ね、ハゲないハゲない。いい刺激じゃない」

 そう言いつつも、ようやく抱えていた頭から手を離すと、目の前に立たせてじっと見つめた。

「あんたホントによくやったわ。よく持ち直した。見直したわ」

 熱を帯びた夏風が、そっと髪に頬に肩に触れていく。

「わかったでしょう。あんたはできる子なの。自信満々でいていいの」

 そう言って大輪の花を咲かせたように笑うと、湶琉の返答を待たずに他の三人の頭をリズミカルにポンポンポンと叩いた。

「あんた達も偉い。あの場でよくキープした。男気を感じたわ。ホント、お疲れ様」

と、労った。

「まだ、片付けがあるけどね」

 多少拗ねた口調で、典生が答える。

「も~う、テンちゃんったら!妬いてんじゃないわよっ」

と、間髪を容れずに口封じのキスを振る舞う。

 見慣れているのか、秀也と一は「はいはい」と呆れ顔を隠さないが、湶琉には衝撃的すぎたらしく、首筋まで赤く染めて身体ごと目をそらした。

「とりあえず、片付けたら打ち上げでしょ。早くして」

「早く飲みたければ手伝って」

「は~い」

ということで、第一陣の片付けは速やかに終わった。典生は全員の楽器ごと一旦預かって、美代子を助手席に会場を後にした。カホンの返却だけは途中でSEEDSに寄ることにしている。

「CDとか、置いたままでいいんだよな」

「あぁ、回収は明日オレがバイト前に寄ることにしてるから問題ねぇぞ」

「湶琉はまだ休みか」

「うん、まだ夏休み」

「いーな、学生」

「へへっ」

 残った三人は磯貝を中心にして話をした。途中、秀也は入口にいるスタッフへの挨拶に向かった。その辺りは一般客も多かったので、二人は離れて待っていた。ライブはまだ続いている。今が十一組目になった頃だろうか。会場の外にまでいくつもの音が生み出した熱気が充満している。夏の熱は身体の奥に熾火を残した。

「湶琉」

 聞き覚えのある声に振り返ると、仁がいた。両手に缶ジュースを抱えての登場だ。

「お疲れ!カッコよかったぞ、お前」

 腕の中の缶ジュースを目の前に差し出して、好きなのを取れと選ばせる。

「現金な奴。お前、今まで来たことなかったくせに」

 一は嫌味を口にしながらも、弟の登場が嬉しそうだ。湶琉が選び取るより先にいち早くブラックコーヒーを抜き出した。

「兄貴横暴!湶琉からって言ったろ」

 弟の戯言など、聞く耳は持たない。答えるより先にプルタブを開けて飲み始める。

「いーじゃん、仁。おれ、こっちがいい」

 レモンスカッシュを取って「サンキュ」と笑った。

「えっと、人数分あるんだけど、他の人は」

「テンは秀也んちで合流。俺らはこのままタクシーで向かう」

「俺も打ち上げ行く!いいだろ、兄貴!」

「お前デカいからタクシーが狭くなる」

「中型止めればいいだろ。何とかなるって。湶琉行こう、タクシー止めに行こうぜ」

「え?あぁ」

 仁は持っていたドリンク類を一に託すと、空いた手で湶琉を引っ張って大通りに向かった。もう一方の手には湶琉が持っていた紙袋を早々に取り上げている。二十二時というこの時間帯、この界隈ならそう探さなくともタクシーなど簡単に止められるはずだ。それでも先に行ったのは、仁が湶琉と二人っきりになれる口実がほしかったからだ。

「わかりやす…」

 そう呟きながら、三本の缶ジュースを手にした一は秀也の戻りを待った。ほどなくして戻ってきた秀也はぐすっと鼻をすすっていた。どうやら、スタッフの人と話しているうちに泣かされるようなことがあったらしい。それがわかったけれど、今日の一は突っ込まなかった。折角の感動に水を差すほど野暮じゃない。

「どれか飲むか」

「うわ、ガイってば気が利くじゃん、珍しい」

「珍しいは余計だ。さっき、可愛い女子からの差し入れ。0Gさんへって」

「くっそ、会いたかった~。まだいるかな」

「いや、もういないな」

「って、あれ?湶琉は」

「タクシー拾いに行った。追いつこう」

「しっかし、あいつ、よく頑張ったよな。美代子さんじゃないけど褒めてやりてぇ。弾きながら横で見ててもぞくぞくしたもん。超ヤバいって。あのレベルの女がいたらオレはイチコロだな」

「そうか」

 一は何かを思ってにやっと笑った。秀也は前を向いていて、それには気付かない。

「あ、あれ、湶琉じゃね?隣は…」

「うちの弟だ」

 秀也は今までの上機嫌はどこへやら、眉間に皺を寄せ、怪訝な顔つきになった。

「何で」

「友達だから、だろ」

 秀也は湶琉の手を引いて前を歩く仁を見て、苦々しいものがこみ上げてくるのを感じた。日常の湶琉の「線引き」にも未だ納得がいかないのだが、それをやすやすと越えられる人間がいることにも理不尽さを感じていた。

「お~い!兄貴~!!」

 車を止めたらしい仁が大きく手を振って一達に合図をする。

「るせっ、静かにしろ」

 相手まで聞こえるか聞こえないかの抗議を舌に乗せ、一は走りかけた。が、足を止めたのは、秀也が遅々として進もうとしないからだ。

「秀也、一つ教えてやる」

 それまで泳いでいた視線が一を捉えた。

「湶琉は、女だぞ」

「は~~~~~~!?」

「るっせ!お前も静かにしろ。とりあえず、走れ」

 今まで気付かなかった衝撃の事実を聞かされ、秀也は開いた口が塞がらなかった。そういえば、最初から勘違いで始まった。中学生と思ったら大学生で、そして…。

「待てよ!おい」

 弟に追いついた一を追って、秀也も走った。

 まだ何も始まってはいない。全てはほんのスタートライン。

 夏の夜空に浮かぶのは満月を過ぎた半割れの月。空を覆う遥かなるスクリーンの天辺では、勇者ヘラクレスが夏のダンスを踊っていて、時折流星の汗を散らす。見上げていた湶琉がその欠片をみつけた。

「ほら、上、流れ星」

「え?」

「どこだ」

 既に車に乗りかけていた二人は残念ながら見ることができなかった。

「ほんとだ」

 進行方向でもあったので、偶然秀也は同じものを見ることができた。

「いいことあるぜ、きっと」

 湶琉は猫のように目を細める。そしてまた空を見上げた。秀也はその細い首筋に目を奪われつつも助手席に乗り込むと、湶琉にも「早く乗れよ」と促した。家ではきっと、待ちくたびれた千夜がご馳走を作り過ぎながら皆の訪れを待ちかねているに違いない。

「東谷商店街までお願いします」

 やたらと大きな人間ばかりが詰め込まれたタクシーは密度が濃く、いかにも重そうだ。パワステじゃなければ、運転手は泣きが入るだろう。

 タクシーはネオンの街をすり抜ける。たくさんの眩しすぎる都会の明かりを横に流し、徐々に移り行く風景の仄かな明かりに人心地つく。走行中は仁が興奮気味にライブの感想を話し続け、それに一と秀也が応じていた。


 湶琉は空を見ていた。ドアにべったりと寄りかかるようにして首を上向け、ただ空を見上げていた。

 車の中から見る空は、外で見ていたときよりも星がわかりにくくて。

 窓を開けようかとも思ったけれど、今はこのままでもいいかと思って。

 ただずっと、空を見ていた。

 ―――そうして。

 湶琉にはようやく気付いたことがある。

 気付けたことがある。

 神様はそこにいなかった。

 空はまさに空っぽで、答えを求めるべき場所じゃなかった。

 どうりで返事がこないわけだ。

 求め続けたものは、決して外にはなかった。

 それは、皆が教えてくれた。

(そこにずっとあったのに、僕が答えを受け取りそこなっていただけ……)

 空っぽだったはずの自分の中に生まれたものは、まだ小さくて微力な種。

 否、生まれたんじゃない、あったのに気付いていなかっただけだ。

 気付けたから、今度は自分で育てていく。

 気にかけていく。

 水をあげるのも栄養を与えるのも、これからはきっと自分でできる。

(僕は誰よりも僕であることを楽しむよ)

(約束する)

(約束…)

 空の向こう。

 誰かがクスッと声を立てて笑ったようだ。

 その声を、誰か聞いただろうか。


                                 〈了〉


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