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僕らの空は――虹色のレシピ――  作者: 音和さいる
37/38

10-3

 十五時だ。ドラグーンの広い控え室では、やきもきした表情の典生が、机の上に置いた手を何度も組み替えながらイライラを募らせていた。磯貝はリハーサル後、一人でふらりと何処かへ行ってしまったので、典生の傍にいるのは時折チラ見で様子を伺いつつ離れた場所に座っている秀也だけである。全バンドがリハーサルを終えて一息という感じで、控え室はひっそりとしたものだった。ライブは十八時スタートのため、それぞれに食事に行ったり最後の打ち合わせをしたりしているのだろう。

 位置決めとライト、音量調整のためのリハは結局三人で行った。十二組と参加バンド数が多いので、演奏順ではなく来た順にリハが行われたせいだ。0Gの実際の演奏は九番目になっている。抽選だったので仕方がないが、中弛みが怖い時間だと秀也は思った。

「テンちゃん」

 美代子の声が空っぽの控え室に響く。出演者ではないが、彼女はバンドのサポートメンバーとして関係者パスを手に入れ、ここに出入りしている。

「ごめんね、お待たせ」

 赤いフリルたっぷりのティアードスカートを揺らしながら、美代子は典生の両肩に手を添えてぴたりと貼りつくと典生の返事を待った。しかし、典生はむくれたまま美代子の方を見ようとはしない。

「美代子さん、湶琉は」

 声をかけたのは秀也だ。部屋に入ってきたのが美代子だけなので、その所在が気になってしまう。

「あぁ、そこで照れてるのよ」

 美代子は典生の身体から手を離さないまま、入口の方に視線をやった。それを受けて、秀也は立ち上がって入口へと向かった。あくまでもゆっくりと。道端で見つけた野良猫が慌てて逃げないような速度で。

 ドアの影に立っていた湶琉は、入口には背を向けていた。

(しかし、真っ白な……)

 秀也はクスリと笑った。

(美代子さんと並ぶと、紅白で目を引いてきたんだろうな。すっげ~、おめでたいけど)

「そこの白いヤツ」

 湶琉のむき出しの肩がびくっとこわばった。

「待ってたんだから、来いよ」

 肩に手を当てて振り向かせる。ごく自然に。見慣れたふて腐れ顔をそこに想定して。

 振り向いたのは湶琉だった。

 間違いなく、知った顔のはずだった。

「!」

 秀也は固まってしまった。その間に湶琉は一人で部屋の中に入っていく。

(嘘だ……)

(美代子さん、こいつに何したんだ!?)

 心臓が一気にきつめのビートを刻みだした。

 一瞬で心拍数が振り切れて窒息するかと思った。

 そこにいたのは湶琉であって湶琉じゃなかった。

 元々目力が強かったのは認める。でも、あそこまで人を飲み込むような目じゃなかったはずだ。

(惚れた欲目?)

(いや!違う!!断じて惚れてないしっ!こいつ男だし!!)

 強く頭を振り回して飛びかけた気持ちをようやく落ち着かせると、秀也も控え室に戻ることにした。


 典生のお説教が一通り落ち着いたところで、他の出演者が外に出ていたのを幸いと、秀也は湶琉をステージに連れて行くことにした。ステージでの流れを説明しておかないと、本番で動けないだろうからだ。カップルの舌戦をBGMに二人は控え室を後にした。ほんのしばらくでも同じ部屋にいたおかげで、秀也にもある程度今の湶琉への免疫ができたようである。

 湶琉は初めての場所にきょろきょろと視線を泳がせている。バックステージの高い天井には、それぞれの用途は不明だが大小の配管が幾重にもむき出しではりめぐらされていた。どうやらそれが珍しいらしい。しかし、何の用途かと尋ねられたところで秀也にも答えられるほどの知識はなかった。

 様々な場所がぶ厚い暗幕で仕切られ、フロアから裏側が見えないように配慮されている。そのステージ手前の「下手入口」と表記されたプレートの前で秀也は止まった。

「演奏前はここで待機するんだ。静かにするんだぞ」

「わかってるよ。子供じゃないんだし」

(外見が変わっても中身は変わらねぇ…って当たり前か)

「ちょっと待ってろ」

 むすくれた表情の湶琉に笑いを噛み殺しながらそう言うと、秀也はステージ上のスタッフと二言三言交わして、ステージ袖に戻ってきた。

「行くぞ」

 秀也は再びステージの中央に立つ。湶琉も一瞬のためらいを見せた後で、遅れて続いた。

「歌う時はこのガムテープんとこで、立つ。動いてもいいけど、そう広くないからあんまり頑張らなくていい。カホンはスタッフさんがその辺に置いてくれるから、演奏の時は置かれたところに行けばOK」

 淡々と説明しているが、湶琉はフロアの方に目を奪われていた。

(SEEDSどころじゃない……広い。あんな後ろまで人が入るんだ。前はきっと、伸ばせば手が触れる距離)

 黒と白の正方形のタイルが交互に敷き詰められたフロアは、それだけで異質でマジカルな空間に思えた。ステージから奥に行くにつれて、後ろでも見やすいようにと段仕立てになっている。右奥が出入口。あそこからたくさんの人が掃除機のように吸い込まれてきて、そのうち中で飽和する。学校の朝礼の時の詰まり具合なんて目じゃないだろう。左奥にはドリンクカウンターがあり、今はまだ閉まっていた。でも、その脇には既にペットボトルの入ったダンボールらしきものが運び込まれている。この辺りの準備が始まるのももうじきだろう。二階を見ると、照明や音響、撮影用のスタッフルームが見えた。そこでは今も何人かが詰めて話をしているようだ。

 こういうライブハウスそのものが初めての場所なので、湶琉は戦々恐々としながらも見るもの全てを頭の中にインプットしようとしていた。握り締めた手の温度がどんどん冷えていくのを覚えた。

「湶琉、そろそろあいつらも落ち着いただろうし、皆でメシ食いに行こうぜ」

「ここ、出るの」

「他のバンドも今は皆ハケてただろ。食ったらまたとんぼ返りだ」

「これ、汚れないかな」

 白いシャツを指先でつまんで、不安げに俯く。

「そんなのよだれかけでも借りろって。ほら、行くぞ」

「誰がよだれかけなんかっ」

 文句を言う湶琉をいなしながら、作業中のスタッフに笑顔で会釈しながらステージを降りる。その様子を見て湶琉も遅ればせながら戸惑いを乗せた会釈で続いた。

 本番まで、あと僅かだ。すみやかなエネルギーの補給のために、四人はドラグーンを後にした。

二人が控え室に戻ってきた時に、典生が一瞬口元を拭っていたことを書き添えておく。


 十七時になると、チケットを持った客が二列になって、目の前の公園からドラグーン内へと誘導され始めた。入口でチケットをもぎられると同時に手の甲にオレンジでMJNのスタンプを押される。これを見せれば、本日中は何度でも出入り可能と言う仕組みだ。五百円と引き換えにワンドリンクのコインを手にした人々は、まだ開始まで時間があるので、コインロッカーに向かうものもいれば、先にドリンク交換に行くものもあり、行動には余裕がある。MJNの演奏順は、当日決まるので基本シークレットではあるが、演奏順が決まってからメルマガで流したり、口コミで知らせたりするのは問題ない。0Gの場合、十八時スタートで九番目となると、ロスタイムも含めて大体二十一時前後が演奏予定時刻になる。

 四人が戻ってきたのは十八時前だったが、磯貝が戻ってきたのは更にその後だった。ライブ寸前ということで当日参加組を狙ってギリギリで一本メルマガを打ってきたらしい。それで一人でも多く来てくれれば目っけ物だ。

 フロアでのざわめきが控え室にも届く頃になると、それぞれの参加者が緊張した面持ちで、客席の話やら今日のパフォーマンスの最終打ち合わせなどに余念がない。演奏直前の二組ずつが別の控え室に移されるが、それまでは大部屋だ。コンテストではないので、演奏が終わればそのまま帰ってもいい。しかし、楽器を撤収したら戻ってきて、客席から他のバンドの演奏を聴こうというグループも多いようだった(演奏時のスタッフ証で入場可能)。それは全くの自由である。

 二十時半過ぎになって、ようやく0Gも別室への移動を指示された。場を和ませるためなのか、本来なら部外者は立ち入り禁止なのであるが、美代子もぎりぎりまで一緒にいるつもりらしい。というか、他の参加者達は湶琉と美代子の紅白の取り合わせを見て、ツインボーカルのバンドなのだろうと勝手に解釈してくれていた。

 0Gメンバーが小さな控え室に移動して間もなく、先客の八番目の演奏者達が下手入口へと誘われていった。そちらに行ってしまえば、もう私語はできない。後は演奏して帰るのみだ。

「湶琉クン、死刑執行を待ってるみたいな顔してるよ」

 緊張して強ばった表情の湶琉を冗談でほぐそうと、典生が声をかけた。目の前に置いたウーロン茶をぐびっと一口飲んで、様子を見ている。しかし、湶琉は今、冗談じゃなく死にそうな気持ちだった。パイプ椅子に腰掛けて、紫になるんじゃないかというくらいに唇を噛みしめ、目は足元の一点を見つめていた。そんな湶琉からほど近い位置に美代子はいた。冗談を言うこともなく、パイプ椅子の背に手をかけて、離れずにじっと見守っている。一と秀也もそれぞれに距離を取って腰掛けていた。

「この間と同じことやるんだから、何も心配いらねぇぞ。オーナーもこっそり見に来るって言ってたし…って、言っちまったらこっそりじゃねぇな。あの人もお前の歌、気に入ってんだぜ」

「……」

 反応はない。まともなステージになるだろうかと各人に心配の影がよぎる。

「なっ」

 驚いたのは、急に美代子が後ろから椅子ごと湶琉を抱きすくめたせいだ。左を向くと息がかかるほどの顔のアップが見開いた目に映る。頭に手をかけてロックし、視線を外させない。

「何びびってんのよ。あの歌、サイコーじゃん。聴く人を騙して連れ去るハーメルンの笛吹き。あれぐらいになりきって歌わなきゃ、フロアには通じないわよ」

「あ…、はい」

 とりあえずは湶琉の反応を引き出せたことで、0Gメンバーは心の中で「お~!」と感嘆符をあげて美代子を見た。

「あんただけじゃないわ。さっきここを出て行った人達だって、まだ大部屋で待ってる人達だって、皆緊張してんの。間違えやしないかとか、フロアに受け入れられるかとか、どうにも不安で仕方ないのよ。でも、やるの。ここに来たからにはやるの。選ばれたからにはやるの。ただ弾くのが好きなだけじゃ、ここには立てないのよ。ここにいる時点で、あんたはたくさんの人を踏みつけにしてる。その人達のためにも、あんたはそれを黙らせるだけのパフォーマンスをしなきゃいけないの。輝いてみせなきゃいけないの」

 美代子は湶琉から手を離すと、肩に一度ポンと手を当てて四人の周りをゆっくりと歩いた。典生の傍に立つと、もう一度、湶琉に振り向く。湶琉は、そして他のメンバーも美代子の言動を見守っている。

「こいつらはどうだかしらないけど、あたしはあんたを甘やかしてやる気なんて全然ないわよ。変わりたいんでしょ。変わればいいじゃない。ステージの上だけでも、その服着てる間だけでも、なりたい自分になればいいじゃない。演じたっていいのよ。嘘ついてもかまわない。ステージはね、カッコいい嘘を見せ付けるためにあるものなの。極論、お前らはここまで上がってこられないだろうって客を見下してやるためでもいいわ。本当のあんたなんて教える必要はないの。なりきってしまえばこっちの勝ちなのよ」

 しんと静まり返った部屋の中で、美代子の言葉だけが熱を持った。それぞれが神妙な面持ちでその言葉を聞いていた。実際にステージでフロントを張っていた人間の言葉だ。説得力がある。逃げ続けていた彼らとは大きく意識が異なっていた。

 部屋をノックする音がした。十番目のグループが呼ばれてきたらしい。美代子の話はここまでだった。ほどなくスタッフが0Gのメンバーを袖裏待機のために呼びに来た。八番目のバンドがスタンバイしたのだ。彼らの緊張の余韻が残る袖口に0Gは導かれた。

 部屋を出て一度、美代子は湶琉を呼び止めた。振り向きざま、湶琉の胸元に自分の真紅に染まった唇をぎゅっと押し当てる。誰が止める間もなく、湶琉の胸元には真っ赤な花が咲いた。あまりに想定外の出来事に、湶琉は声もなく、ただ口をあんぐりと開けて目をぱちぱちさせていた。

「なんか色が足りないと思ったのよ。お守り代わりにそのまま付けていきなさい。私はフロアで見てるから、ばっちりいい音聴かせてよね」

 そう笑うと、美代子はひらひらと手を振って大部屋の方に戻っていった。ここから先は演奏者しか入れない。彼女はそれをわきまえていた。後姿が少しずつ小さくなるにつれて、湶琉もようやくリアルに引き戻されてきた。

「美代子さん…」

「ほら、行くぞ」

 見送っていた湶琉に秀也が声をかける。その後ろには軽く首を傾げて口元を上げた磯貝が、そして微妙な笑みを浮かべた典生がいる。

「うん」

 湶琉の瞳はより深く黒味を増した。


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