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僕らの空は――虹色のレシピ――  作者: 音和さいる
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ACT.9 ホワイト・ヒート 9-1

 その週の日曜日、朝も早くから暖簾を出す前の「むすび屋」に顔を出したのは典生と美代子だった。Tシャツにジーンズという思いっきり普段着にエプロン姿の秀也と違って、二人の客人はとことんお洒落に気合いが入っていた。美代子は盛り髪に始まり爪はショッキングピンクの花デコネイル、透けブラックでさらさら素材の上下に足先は黒い編み上げのショートブーツ。対する典生はベージュのキャスケットをかぶり、「粋でセクシー」が売りのアティのオフホワイトのミリタリーポケットポロにミルクティー色のチノパンを合わせてダークな革靴で締めるという出で立ちだ。

 祖母の千夜は昼の開店のために腰を折り曲げて忙しく仕込みをはじめている。山積みの野菜の下ごしらえだ。今は酒屋が置いていったジュースのプラスチックケースを逆さまにした上に薄い座布団を敷いて座り、玉ねぎを剥いている。椅子は別にもあるのに、このケースの高さがちょうどいいらしい。実のところ、慌しい時間帯である。お茶を出す以外、秀也としてもあまり構っている暇はないのだが、二人としてもこの後はデートに行く予定なので、元々長居をするつもりはないようだ。

「しかし驚いたよ。湶琉クンが受けてくれるなんてね」

 お茶を啜りながら典生はやんわりと目を細めた。出されたお茶は濃さといい温度といいちょうどいい塩梅だ。

 インパクトだけは強かった出会いの日からちょうど一週間後の昨日、SEEDSには秀也と典生、それに一と湶琉が集まっていた。というより正しくは、湶琉は「むすび屋」から例によって秀也のバイクで現地に向かったわけである。その場でボーカルとしての参加表明があり、「それじゃあ」と当たり前のように典生が湶琉をその場から引っ張って消えてしまったのが昨日の出来事だ。これには秀也も一も驚いたのだが、「職人典生のやることだから」という結論に至り、何事もなかったようにその後は二人での練習に入った。

「いったい、昨日のお前の行動は何だったんだ」

 憮然とした表情で秀也が言う。結果の電話一つ入れなかった典生に釈明を求めているのだ。

「ボク?だってしょうがないよ。音域とか声量とか先に調べなきゃ曲だって作れないだろう。プロデュースしてくれる美代子にも歌詞作りのために会わせておきたかったし」

 美代子は昨日、デートの予定でもなかったのに、有無を言わせない調子の典生にいきなり呼び出された。場所は学生時代によく借りていた近所のスタジオだったので、出向くのに問題はなかったのだが。彼女はそこで声出しをしていた湶琉と初めて顔を合わせた。

「なに?あたし、プロデュース?」

 カウンターテーブルに前のめりになって胸を預け、典生の方に首をひねる。この高さはふくよかな胸を休憩させるにはちょうどよいのだ。

「そのつもりなんでしょ」

 典生は事も無げに言う。しかし、美代子も自分の主張は譲らない。

「あの子のことはとりあえずいいけど、歌詞は自分達で作りなさいよ」

「だめ?」

 典生は首を傾けて甘えてみたが、彼女には通じなかったらしい。美代子はチッチッチと指を顔の前で振ると、典生と秀也を一人ずつ指差した。

「アドバイスはするけど、作るのはあんた達よ」

「まぁ、それはさておき」

 これ以上この話をしても埒があかないと踏んだ典生は、秀也に話を向けた。

「湶琉クンね、きっちり三オクターブ出るよ。音細りもなく綺麗に。リズム感もほぼ問題ないと思う。ついでだからさ、うちで使わなくなったMDプレーヤーがあったから、ボクらの曲MDに入れて渡しておいたよ。歌とは関係ないけど、知っておいてもらわないとね」

「まぁ、な。しかし、三オクターブか。結構出るな」

「うん。嬉しいビックリだった。それで、歌う曲なんだけど…」

「何か思いついたか」

 秀也の問いに典生は小首をかしげた。

「まだ全然。ねぇ、ボクは曲作るから、今回は秀也が詩、書きなよ」

「なんつ~、いきなり」

 顔を引き攣らせながら身体ごと引き気味な秀也を、典生は軽く笑い飛ばす。

「あはっ、いきなりじゃないだろ」

「だって、タイトルも曲調も決まってないのに、イメージなんて湧かねぇよ」

 抗議する秀也の前に白い腕がにゅっと出された。

「はいは~い!じゃあ、タイトル」

「はい、美代子」

 先生と生徒よろしく、典生が美代子を指名する。

「発表します。曲のタイトルは」

「ドコドコドコドコ…じゃ~らんっ!」

 ドラムの演出は典生だ。

 美代子は口元に立てた指を当ててにっこりと微笑んだ。

「ギャンブラー」

「「ギャンブラー!?」」

 彼女の回答は二人には意外すぎたので、思わず疑問符がハモってしまった。しかし、美代子の表情は淡々と真実を告げる時の裁判官のように揺るぎない。

「まんま、あんたたちのことじゃない。今回の挑戦は『ちょっとした賭け』だって言ってたのあんた達よ」

「確かに言ってたけどさ。あまりに唐突…」

 典生はテーブルに突っ伏して頭を抱え込んだ。

「テンちゃんの曲調なら、ギャンギャンした感じで押せばそれらしくイケるんじゃないの」

「まぁ、イメージ出せなくもないけど…秀也、平気?」

 典生は顔をぐんと持ち上げて、秀也の表情を捉える。

「……」

「あ~」

「固まっちゃってるわねぇ」

 モアイ像のように石化した秀也は、まっすぐ前を向いたままポカンと口を開けていた。

「まぁ、言うことは伝えたしぃ~、行こっかテンちゃん」

 美代子は長い髪をサラッとかき上げて後ろに流し、立ち上がった。

「あ、うん」

 典生は後ろから首根っこを引いて促す美代子に頷いてみせると、立ち上がりざま秀也の高い位置にあるオデコへと手を伸ばし軽くつついた。

「任せたぞ。ここに」

 ショートパンツの裾をつまんで直しながら、既にお出かけモードの美代子がその後に言葉を継ぐ。

「そうそう秀也くん、私からのアドバイス。詩にしたいフレーズとか出てきたら、バラバラでいいから思いつくままにメモとか携帯とかに残しとくといいわよ。」

「……」

「そうねぇ、それと…歌詞って何度も歌うものだから、無意識のうちに自分の中に取り込んじゃうのよね。だから、湶琉くん自身のセルフイメージを高めるもの、プラスの動機付けをするものがいいわ。もしくは全くトラウマにかすらないような歌詞を作ること。以上、よろしくね」

 入り口近くで軽く手を振って、店を出て行く美代子に典生が続く。ふわりと甘い残り香が外からの風に煽られて店内に広がった。しかし、秀也の嗅覚は思考を豆台風にやられすぎて、それどころではなかった。

(任せると言った割に、無茶苦茶指示多かったぞ、あいつら)

 実際に指示が多かったのは美代子であるが、秀也の中ではセット扱いである。

(美代子さん、笑ってるだけなら大人な美人なのに…実は結構怖ぇ人なのかも)

「はぁ…」

 ようやく息をついて、思考に決着をつける。それぞれがやるべきことをやろうとしているのだ。向き不向きは別として、自分だけ何もやらないわけにはいかないかと、ようやく秀也も腹をくくった。

「秀也」

「うわぁっ!」

 秀也にしては突拍子もないほどに高い声だった。それだけ驚いたのだ。今の今まですぐ傍で聞いていたにもかかわらず、何一つ口出しをせずにいた祖母の存在を忘れきっていたのだ。それだけ彼女も自分の存在を消して作業に没頭していた証でもある。

「そこの布巾取ってくれるかい」

「あ、あぁ」

 秀也は流しの上にかけてあった布巾を千夜に渡した。投げるのではなく、手ずから作業中の彼女のそばに持っていく。

「ありがとう」

 千夜はそれを受け取ると、同じ姿勢を続けていたせいでこってしまった首を左右交互にぐるりと回し、肩を持ち上げて一気に落とし、ついでに大きく息をついてにっこりと笑った。

「いいお友達ができたみたいねぇ、湶琉さん」

「う~ん。まだどうなるか、わからないけどな」

 口を横にぎゅっと引き伸ばして言葉を締めくくる。

「ちゃんと本人と向き合って考えようとしてくれる人がいるんだもの。きっとよくなるわ」

「何が?」

「あなたも、湶琉さんも。そしてさっきのふわふわ髪のお嬢さん達も、もっともっと素敵になれるわ。ふふふ、彼女、私の若い頃みたい」

「げっ、婆ちゃんがあんな!?」

 イメージが重ならな過ぎて、秀也は再び素っ頓狂な声を上げた。千夜は小首をかしげて、後ろに丸く束ねた髪を手の甲でくいっと持ち上げる振りをしてみせる。手の平でなく甲にしたのは、食物を触っていた手で直接触るのがはばかられたからだろう。

「逆毛を立てるお洒落は私の若い頃にもあったのよ。ミニスカートなんかも流行ったし」

「へぇ」

「とりあえず、あなたは宿題をもらったみたいだし、小学校の時みたいに締め切り間際までだらだらしないのよ。あの時は夏休みの友が終わらないって泣きついてきたけど、もう誰も手助けしませんからね」

 八月三十一日、夏休みの最終日になると毎年のように秀也が祖父母宅に転がり込んできて、「教えて」と繰り返していた事実は変えられない。あの頃は秀也一家も皆元気で賑やかだったと、この上なく鮮やかなシーンが二人それぞれの頭をよぎっていた。

「ん~」

「返事は『はい』でしょ」

「…は、い」

「よろしい。じゃあ冷蔵庫の鶏肉を出して、下味のタレに漬け込んでちょうだい」

「あいよ」

 秀也はシルバーの冷蔵庫の中から鶏肉を取り出すと均等になるようにバットに並べ入れ、味が染み込みやすいようにフォークで二、三度突き刺してから、ガラス瓶に作り置きされている祖母特製のタレを注ぎ込んだ。

 どうやら今日の日替わりは鶏の南蛮漬けらしい。千夜は再びプラスチックケースに腰掛け、くず野菜入れ用にダンボールを引き寄せてニンジンの皮を剥き始めた。これは時々近くの小学生が取りに来る。実際に一緒に行って見たことはないが、学校の飼育小屋のウサギに食べさせるらしいのだ。来ない時はそのまま生ごみとして捨てる。その子達の不規則な訪れもまた千夜の楽しみの一つであった。

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