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冷房の効いた磯貝の部屋で自分のギターを弄りながら、秀也は我が物顔で寛いでいた。ヘッドホンを付けて正座し、何やら試行錯誤している典生とは対照的である。モノトーンで統一されたシンプルな個室は1枚のポスターも貼っていない綺麗なものだ。デスクの上にはタバコや灰皿などがいつでも取れるように放置され、デスクトップの自作パソコンが鎮座ましましている。そのパソコンからはシェルフのプリンター他、いくつかの機器と接続された電脳エリアができていた。飾りといえば、やりもしないサッカーボールが部屋の片隅のハンモックの中で揺れているくらいだろうか。その下に使い込んだギターとベース、も一つオマケにさっきまで使っていて無造作に立てかけられているベース。ベランダがあるおかげで外が見える開放感が、八畳の部屋をより広く感じさせる。
後は真ん中に低めの四角いテーブルがあって、奥にベッド、箪笥に本棚とよくある家具が並び、見たところオーディオ関係が一番場所を取っていそうだ。三段ボックスをいくつも並べて積み重ねたようなCDラックには、ぎゅうぎゅうに詰まったたくさんのCDがこれ以上はどこに収容するんだとばかりに並んでいる。いざ何か聞きたいと思っても探すのは一苦労だろう。辛うじて本人には、どこに何があるかわかるような分類になっているのかもしれないが。
「麦茶」
「ありがとう」
「おう、サンキュ」
一息入れようと階下から有り合わせのお菓子を運んできた磯貝は、二人の前にそれぞれお茶を置いた。グラスの中で揺れた氷がカラコロと音を立てる。
今日はここで先日の曲を仕上げてしまおうという話になっていた。個人の家なのでそこまで大きな音は出せないが、大体の合わせができればそれで十分だ。
磯貝はお茶を一口飲んで、次の行動を躊躇っている。二人は相変わらずの集中度合いなので、磯貝の秘めた重さにはまだ気付いていない。
これを言ってしまうと、下手をしたらもう二度と今のような雰囲気で集まることができなくなるかもしれない。三人の関係に死を告げる呪文、そう言っても過言ではないこの言葉…。それを言うのは果たして今なのか、それとももう少し引っ張っていてもいいものか、彼はずっと迷っていた。そして、その迷いは今のところ自分にしか与えられていないだろうことが歯がゆくもあった。
「なぁ…」
「ん?」
磯貝の珍しく歯切れの悪い感じの問いかけにも、秀也は楽しそうな表情のまま顔を上げた。
(ホントにこいつは…バカだな、どうしようもない)
これ以上はないくらい弾くことを楽しんでいる無邪気な笑みを見ると、出しかけた言葉も消化不良を承知の上で飲み込まざるを得ない。
(やっぱり…なるようにしかならないか)
それが意味のないただの足踏みにしかならないとしても、それを選択したい時もあって。一人で空吹かしたところで、他の部品がその気にならなきゃスピードも出ないだろう、と。
(でも、いつかは…)
(ずっと一緒ってわけにはいかないんだよな)
(この気のいいバカ達とも)
「いや、ちょっとは休憩しとけ。指痛めるし」
「あぁ、そうだな。よ~っし、テン、休憩。お茶しようぜ」
秀也は明後日の方向を向いていた典生の肩を揺さぶって振り向かせる。典生は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに破顔すると二人に向かって座りなおした。
「そういや最近どうなんだよ、美代子さん」
水を向けたのは秀也である。美代子は典生の彼女だ。
「な、なんだよ。藪から棒に」
典生は急の問いかけに頭が付いていけていないが、反射的に首筋から頬にかけて一気に朱を散らす。
「だって、休憩だしぃ」
女子風味を装って秀也がおちょくる。図体のデカい奴がやった所で可愛くもないのは承知の上だ。
「そういや最近、ストリートにも来てくれてないな」
磯貝も興味を示す。
「極めて順調、元気だよ。色々と忙しいみたいだけど」
「はぁ~、年上だもんなぁ」
左手で頭を掻きながら、秀也は大きく息をつく。
「美人だし色気あるし、また差し入れついでに顔出してくれると嬉しいんだがな」
磯貝も思い出しながらニヤつく。
「く~、勿体ねぇっ!」
秀也が顔をくしゃくしゃにして不満を表明する。
「何が勿体ねぇんだ」
「オレの方がいい男なのに」
「背負いすぎだよ」
「同感」
秀也の軽口は二人の早すぎる突込みに簡単に一蹴された。
「吸っていい」
「どうぞ」
デスクの上に放り出してあったタバコを手にした磯貝の問いかけに典生が答え、秀也は頷いてそれを促す。それを受けて、磯貝はベランダの窓を細く開けると、その脇に寄りかかる。
「あのさ」
一拍置くと、外を向いて一つ大きく煙を吐き出してから言葉を続ける。
「俺達、学生の時はおっさんの口利きでFMのジングルやらせてもらったり、深夜枠の地元バンド紹介にゲストで出たり、しただろ」
「うん」
「あれ、面白かったな。実際のスタジオって意外と地味なトコでさ」
「で、だ」
磯貝はタバコを手持ちの灰皿に押し付けると、再び元の場所に戻って胡坐をかいた。
「今度ドラグーンで素人バンド参加のフェスあるだろ。ミュージックジャンクナイトって言う。前に作ってた音源で、勝手かもしれないが、オーディションにエントリー出してみた。もうすぐ返事も来ると思う。この際、ついでにレコード会社にデモCD作って送りつけるとか、今の俺らにできることをやってみないか」
「何?いきなりどうしたの」
「すっげ~、やる気モードじゃん」
「らしくない…よな。でも、俺達このままダラダラしてるわけにもいかないだろ」
「ふ~ん」
軽く受け流そうとしている秀也に、磯貝の中でプツリと切れるものがあった。
「考えろよ、秀也。俺とテンはこのままどっちつかずでも生きていける。でもお前は…。家とバイトをケジメなくうろうろしやがって、この先いったいどうすんだ」
「なんで、オレ!?」
「コネ作ってサポートとしてでも音楽で食っていきたいのか、単なる趣味だけで終わらすのか、そろそろ本気で考えろよ」
「それは…、お前らだってそうだろ」
「俺らは一応社会人で、保険や税金、厚生年金だって払ってる。音楽からの逃げ口上はいくらでも打てるさ。でも、お前は…本気になってくれなきゃ困る」
「ガイ…」
いつもの明るい表情を失った蒼白な秀也を見て、典生が心配そうに宥めに入ろうとした。
「テン、お前だって考えないわけじゃないだろ?この先彼女と生活していくなら安定した仕事をって、今の会社選んだくせに」
「そう…だけど」
目を伏せる典生を横目に、秀也はケースとギターを別々に掴んで立ち上がった。
「ごめん。そういやオレ、用事あったの思い出した」
一つ作り笑顔を残すと、振り向きもせずにその場を後にする秀也を二人は追わなかった。不安げな表情で見つめる典生に磯貝はあえて不遜な態度を崩さない。
ドアが閉まる音、バイクのエンジン音。聞こえてくるそれらは、遠ざかる様子を如実に伝えてきた。
「いつか、言わなきゃいけなかったんだ」
「うん…でも」
「あいつに本気がないなら、周りが迷惑被るだけだからな」
典生は丸く膝を抱えて座りなおした。
「また凹むんだろうなぁ」
「勘違いしやすいから、それくらいで丁度いいさ。あいつ、俺らに付き合った四年間、就職活動一つやってないし。俺らには卒業って区切りがあったけど、あいつには何もなかったからな」
「ずるずると腐れ縁っていうのも問題かな」
手元のヘッドセットを弄りながら、淡く苦笑いを浮かべて磯貝を見る。
「ある意味お幸せなピーターパンだ。もしくは考えなしの流され侍」
「ガイ、それ本人に言わないでよ」
「そう暴言じゃないだろ」
「傷つくよ。いくら本当のことでも」
「お前もそう思ってる時点で同罪」
「あ~、もう…」
典生は一つ大きくため息をついた。
「でも、確かに考えなきゃいけないよね。秀也んち、お婆さんと二人きりだったし」
「下手したら、自分の都合で振り回してんのは俺達だとも言えるからな」
「愛だね」
「ねぇよ」
クスクス笑う典生を尻目に、麦茶に手を伸ばして一区切りつける。
「さて、とりあえずはこっちの作業を進めるとするか」
磯貝はグラスを置いた右手に付いた水滴を服で拭うと、その手で傍らのベースを引き寄せた。まだ日は高い。出かけている家族が帰ってくる前に、二、三曲アレンジを加えるくらいなら十分にできるだろう。
本当は考えなければいけないのは自分自身のこと。それを秀也に擦り付けて責任転嫁しているのだとも磯貝自身気付いていたが、それらは音でかき消すことにした。
行き先は特にない。とりあえず、バイクを走らせているだけだ。
秀也は昼下がりの公道を信号のままに走っていた。
納得いかなかった。
自分にも。
何もかも。
バイトも休みを入れて、折角三人揃って合わせられると喜んでいたところで、思いっきりぶつけられた。
背中に引っ担いだギターが重い。
あいつらとはいる場所が違う。
それは五年前からわかっていたはずなのに。
それでもずるずると流されてきたのは確かに自分だった。
(婆ちゃんにも言われたばかりだったな、「進歩がない」って)
とりあえず、目の前にやることがあったからそれをやる。それで、不満はなかった。
今に不満がなかったから、変えようとも思っていなかった。
そんな毎日の繰り返しは、自分に変化を生まない、何一つ変わらない。
でも、日一日と周りは変わっていた。自分が意識するしないに関わらず。
(あいつらは…そうだな、変化を受け入れている)
(取り巻く事情だって変わっていて不思議じゃないのに、オレだけがそれに気付こうともしないで)
(気付かないんじゃなくて…認めたくなかっただけか)
(――オレが本当にやりたいことは)
後ろに止まっていたグレーの普通車から忌々しそうにクラクションが鳴らされた。信号が変わっていたのに気付かないほど、呆けていた訳だ。このまま運転しているのも向かなそうだと、秀也は家に戻ることにした。カンカン照りの下を走ってきたせいで、汗で張り付くお気に入りのTシャツも鬱陶しいくらいだった。
秀也が家に着くと、千夜と湶琉がカウンターを挟んで歓談しているところだった。
「あ、そうか。課題」
戸を開けるなり、挨拶よりも思い出したことが口をついた。
「お帰り、秀也」
「…こんにちは」
「よ、よう」
戸惑いながらもこちらに挨拶を向けてきた湶琉には何かしらの変化があったのだろうか。笑顔ではないものの、いつもほどの刺々しさはない。
「ちょっと待ってろ、着替えたら戻ってくるから」
指を差して一方的に指示を出すと、肩掛けのギターを外して立てかけ、カウンターにバイクの鍵を放り出し、Tシャツを脱ぎながら秀也は二階に駆け上がっていった。
「もう、みっともないったら。ねぇ」
千夜は眉間に皺を寄せて、二階を仰ぎ見ている。口ではそう言いつつも口元が笑っているあたり、あんなに大きかろうとも可愛くて仕方がないのだろうとは湶琉にもわかる。ドタバタと慌しく人が動く音が聞こえてきて、今までの二人だけの空間は一気に色を塗り替えられた。
「じゃあ、今日は秀也のこと宜しくね」
「い、いえ、こちらこそっ」
「あなたはお婆ちゃん専用の公然のスパイなんだから、しっかり働いてきてちょうだい」
「あはっ、それって大役ですね」
あえてキリリと背筋を伸ばして畏まった態度を取る千夜に、闖入者によって固まっていた湶琉の表情筋もようやく緩む。ちょうど秀也も洗った顔をタオルで拭きながらゆっくりと階段を下りてきたところだった。
「んじゃ、婆ちゃん。また行ってくるわ」
「はい、行ってらっしゃい。二人とも気をつけてね」
「行ってきます」
湶琉は軽くお辞儀をすると、秀也の後に付いて出た。
「慌しいこと」
音が一斉に消えてしまった店の中で千夜はそう独り言ちた。
「秀也はいくつになったら後片付けを覚えるのかしら」
千夜は入り口の壁際に置き去られたギターを手に取ると、生活スペースの方に運んだ。同じものを使い続けているせいで、そのケースは端が擦れて傷だらけだ。新しいのを買えないはずはないのに、よっぽど愛着があるのだろう。中のギターが同じものかどうかは開けたことがないからわからないけれど。




