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僕らの空は――虹色のレシピ――  作者: 音和さいる
16/38

5-2

 バイト先のSEEDSのロッカールームには、秀也の他にも今日シフトの仕事仲間の面々が顔を揃えていた。雨足だったせいで着替えをしている者や鏡に向かって髪をセットし直している者などそれぞれだ。

「社会科見学?」

 フロアの準備に入る前に軽くこの話を持ちかけた時、SEEDSオーナーの日向は露骨に眉間に皺を寄せた。二人は九十度の位置で、四角いテーブルを真ん中に座っている。肘を突いて組み合わせた腕を前に、迫力のある視線はガンと秀也に向かってくる。

「なんだそれは。説明が足りなさすぎる」

「えっと、込み入った諸事情で、というか俺も正直あまりそいつのこと知らないんですけど、一時の間うちの親戚をここに出入りさせてほしいんです。そいつ、まともに人付き合いができないんで、それを学ばせるためというか…」

「引きこもり?」

「そうじゃない…と思うんですけど、近いかもしれない…です」

 日向は腕を組み、左上に視線をやると一つ息をついた。

「面倒なことはごめんだが」

「すみません。多分…問題は起こさないとは思います。ここに来ることで、同い年くらいの人間に関われるようになる切っ掛けが掴めれば、と」

「なるほど」

 語尾を上げるようにして、日向は話の続きを促す。

「それで、女?」

 この店のバイトは女子禁制だ。昔、バイトの女子を巡ってごたごたがあったせいで一気に人が減り、シフトが無茶苦茶になって大変だったことがある。その愚を再び犯さないためにも日向はそういう面では神経質にならざるを得ない。

「いや、大学生の野郎です」

「音楽は好きなのか」

「う~ん、よくわからないんですけど、この前うちの婆ちゃんとは歌ってたみたいで」

「………」

「オレもその時しか聞いたことはないんですけど、多分嫌いじゃないんだろう…とは思います」

 日向の視線が一度落ち、再び標的に戻される。

「俺は…人使い荒いの知ってるよな」

「えっと…ほどほどだと思いますけど」

「忙しい時は、そこにいたら他人でも使うぞ」

「それは…」

 にやりと片頬をあげて目を細める日向の意思はどうやらOKに傾いているらしい。一先ずその波に乗らない手はない。

「オレじゃ上手くできないけど、オーナーの言うことなら聞くと思います。年季が違うし」

「おい、今言外に『ジジイだから』って言ってないか」

「え?滅相もないっすよ!オレ、オーナーの人望には一目置いてますもん」

「まぁいいさ。よし、お前らも聞いてただろ。そういう理由らしいけど、いいか?」

 慌ててフォローする秀也を受け流し、ロッカールームで支度中の面々に声をかける。鏡を見たままの者も振り返った者もオーナーの決定に特に異論はないらしい。

「構わないっすよ」

「はい」

 それぞれの反応を見回していた日向だったが、それで確認は取れたということで親指と人差し指を丸く合わせた右手でOKサインを出した。

「他の連中には俺から言っとくから、まぁやってみろ。問題を起こすようなら、即刻出入り禁止にするけどな」

「ありがとうございます、オーナー。あと皆も。迷惑かけるかもしれないけど、よろしくお願いします」

 秀也は改めて立ち上がると深々と頭を下げた。自分のためではなく、人のために動くというのはこういうことなのかと、祖母からの課題がようやく動き始めた。人のために頭を下げるのなんて勿論初めてだったが、それは思っていたほど不快なものではなかったことに、秀也は少し驚いていた。それ以上に胸の奥に温かいものがこみ上げてくる。

「じゃあオレ、コーヒーでもサービスしちゃおっかなぁ」

 ほっとしたところで、いつものお調子者が顔を出す。

「おぅ、頼む」

「お前って、ホント調子いいよなぁ」

「今日はブラックでよろしく」

「了~解」

 オーダーを聞き終えると、秀也はキッチンへとコーヒーをセットしに向かった。足取りは軽く、自分達のオリジナル曲を口ずさみながら。まずはここから。今日の仕事はこれから始まるのだ。



 頭がガンガンする。

 イラつく。

 自室で机に向き合ったまま、湶琉は吐き出せない苦味を口に中に抱えていた。カチカチカチカチと、さっきから何度もシャープペンシルの芯を出したり引っ込めたりを繰り返している。

『お前、あんま自分を苛めんなよ』

 あの時の秀也の一言が、間違って飲み込んでしまった魚の小骨のようにじくじくと疼く。

 訳知り顔でそんな事を抜かすアイツが嫌いだ。

 勝手にそれを何度もリピートする自分の頭ん中も嫌いだ。

 千夜さんは、あんな「上から目線」のヤツから何を知れというのだろう。確かに背では完璧に負けるから上から目線なのは仕方ないかもしれないけれど、それはともかく、何であんなにエラソーなんだ。

「あ~!もう!!」

 予習をしようと開いていた英語の教科書を閉じ、湶琉は席を立った。気分転換にコーヒーでも淹れようと部屋を出て階下に降りる。自分専用のごつごつした砂地のマグカップにインスタントの粉を入れてポットのお湯を注ぐ。これに少しだけ冷蔵庫の中の牛乳を足して、湯気を上げて香り立つカップを手にスプーンでくるくるとかき混ぜる。

 くるくるくるくる。

 くるくるくるくるくるくる。

 もう十分混ざっているように思われるカップの中身を、それでも湶琉は執拗に混ぜ続けていた。



 アガパンサスの紫が先程までの雨の名残をその花弁に残している。いくつもの花が少しずつ蓄えた水が、時折その色を伝い合い、光を孕み、まとまって雫を落とす。その横を、花には一瞥をくれることもなく、早足で歩き過ぎる男達がいた。

「あなただけならいつでもうちで段取りを取らせていただく所存です。失礼ながら、今の会社にいらっしゃるよりも幾分多目にお出しできると思いますし」

「だから何度も言うが、俺はあいつらと一緒じゃないとやらない。何時からいたのか知らないが、お宅もよっぽど暇なんだな。会社前で待ち伏せまでするなんて、失礼だと思わないか。大体あんたの事務所は何でそこまで俺に執着するんだ」

 すぐ後ろをついてくるスーツの男と目を合わせることもなく淡々と喋りながら、歩くスピードは不親切なまでに落とさない。たとえ振り返らなくても、自分のものではないぺちゃぺちゃという足音が付かず離れずの距離を保っていることを教えてくれる。

「あなたにはそれだけの価値があると踏んでいるからです、磯貝さん」

 面倒なのは嫌いだ。単に斬って捨てる気なら、いくらでも処し方はあった。

 ただし、もしこいつらの気が変わって「三人でうちの事務所に」という話にでもなれば、この線は生きてくる可能性がある。そう考えて磯貝はこの顔だけは馴染みのスカウトを無下にすることができないでいたのだ。

「あんたが買ってくれてるのはわかってるし、ありがたいと思ってる。でも今の条件ではNOとしか言えない」

「わかっていますよ。でももう少し賢くなりましょうよ。あなたが一人でも名を立てれば、オマケとして彼らを引き上げることもできる。そうでしょう?やってみましょうよ。ただ、うちがあなたを押せるのにも賞味期限があること、忘れないでくださいね。どんなに良いものでも、トウが立てば価値は下がる。おわかりでしょう。早目のいいお返事をお待ちしていますよ」

 男は口の端でにっと笑うと、あえて歩みを止めて磯貝から距離を置いた。

 磯貝は答えも振り返りもせず、暗く落ちていく残光の中にその身を溶け込ませていった。この間三人で合わせたばかりの曲が、サビの部分だけ何度も頭の中で回っている。そのリズムだけが徐々にスピードダウンして、フェイドアウトしようとしてはまた戻ってくる。繰り返し、繰り返し。このままずるずると、このループは途切れないのか、それとも。

(俺自身はどうしたいのか)

 モラトリアムはいつまで許されるのか、その答えは未だにわからないままだ。

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