表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【最終話】 時は止まらない

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

97/105

96

 それからと言うもの、俺と三島の関係はさらにこじれていった。

 もうキスのひとつだって油断できないと拒絶を続ける俺に、三島は手を変え品を変え、あらゆる方法で加害を迫った。


「っ……いい加減にしてくれ」


 今もそうだった。

 早めに終わった部活のあと、忘れ物をしたからと戻った教室で、俺は三島に引きずり倒されていた。


 まだ夕暮れには早い教室内で、馬乗りになった三島が俺を見下ろす。あのときと同じアングル、あのときに付けた耳の傷を見上げた。赤黒いそこは、まだちっとも治りきっていない。表情が歪んだ。


「乗り気になれない?」


 目の前にカッターナイフをちらつかせ、三島が笑う。「なるわけねえだろ」と吐き捨てた。

 きっ、と彼を睨み上げる。この角度は、光景は、心臓に良くない。


 押し倒された体勢から身をよじった。抵抗をはねのけて、起き上がろうとする。

 だが、目の前でカッターの先端が、ぴたりと痩せた首筋に押し当てられた。びくっ、と身体が固まる。悪魔じみた笑い声。


「宗像が下手に動くと……刺さっちゃうかもな」

「っ……」


 息を呑んで動きを止める。見上げた先、やわらかい皮膚に、少しだけ沈んだ刃物の先端。もう少し押し込んだら血が出てしまう。ぞくり、とした。慌てて欲望を振り払う。


 目を逸らし、ゆっくりと身体の力を抜いていく。ぐたりと床に横たわると、嬉しそうに三島が笑った。「お利口」と満足げな呼びかけに、目元が歪む。


「我慢しなくていいのに」


 楽しげに覆いかぶさられ、耳元にささやきが落ちてくる。

 握っていた手を、やんわりと指の一本ずつ開かれた。無防備に開いたそこに、そっとカッターを掴まされる。


「……我慢なんかしてない」

「それは説得力なくない?」

「してない」

「嘘つき」


 だってこんなに震えてる、と誘うような声がした。指先が、喉仏をつうっと撫でていく。思わず唾を飲み込んで動いたそこに、三島がうっすら目を細めた。「なあ」と甘ったるい呼びかけ。


「ほら、ちゃんと握って。ほんとは首がいいけど……腕とか胸でも我慢できるから」


 ゆるゆると、カッターを握らされた手を、てのひらで包まれる。きゅっと握り込まれ、持ち上げられて、俺は嫌だと首を振った。


「嫌だ……俺は、おまえの望むようには」

「そんなの、とっくになってるくせに」

「それでも、嫌だ……っ」


 ふうん、と意にも介さない声。かりかりかり、と神経質な音を立て、俺の親指を使って刃が送り出される。

 長く伸びたカッターを、俺の手ごと見せつけて、ほら、と三島が俺を誘った。


「いいんだ。宗像になら、なにをされても許すよ。友達だろ、俺たち」

「っ……違う。俺たちは、友達じゃない」


 最初から、今だって、俺とおまえは友達じゃない。そんな演技だけの関係を、嘘まみれの欺瞞を、免罪符になんかしたくない。俺はおまえと友達になんかなりたくない。でも。


 ふ、と三島が息をついた。少しだけ冷めた目が俺を見下ろす。薄いくちびるが、無造作に開かれた。


「じゃあ──友達じゃないなら、なんなの」


 しん、とした声だった。ぴく、と指先が震えた。

 そろそろと、俺にまたがる三島を見上げる。彼はなにかを探るような、問いかけるような、深い眼差しで俺を見つめていた。くちびるが、かすかに動く。


「それ、は──」


 友達じゃない。なら、俺たちはなんだ。

 問いかけに、どうしてもうまく答えられない。なにもわからない、と思った。


 三島の誘いに乗りたくない。人間でいたかった。落ちてしまいたくはなかった。

 でも、その理由がどうしても、俺にはちゃんと答えられない。


 俺を押し止めるものなんて、もうひとつも残っていない。失うものすら何もなくて、こうまでして落ちるのを耐える理由なんかどこにもない。


 三島は俺を置いて、ひとり先にあちらに行ってしまった。そして悪魔みたいなささやきとキスで、同じ場所まで俺を引きずり落とした。


 だけど本当は、俺はそこに行きたくはなかったのだ。

 たとえ母がいなくなっても、守りたいものも守ってくれるものも、何ひとつなくなってしまっても。俺はどうしても、三島の思うようにはなりたくなかった。


(でも、なんのために? 誰のために?)


 それだけがどうしても、わからない。

 蝶を殺して、マウスを殺して、猫を飛び越え、三島に惹かれて、悪魔に魂を売るようなことばかりしてきた。三島の首に手をかけた。その肌に爪を立てた。刃物だって使った。罪ばかり重ねてきた。


(それでも)


 俺は本当は、落ちたくなんてなかったんだ。

 人間でいたかった。友達でもなんでもない三島と、一緒に。


 どうしてと、何度も自分に問いかけた。答えはやっぱり、見つからない。ただ悲しみと後悔だけがじくじくと胸を満たして、俺は泣きたい気持ちになる。

 必死に耐えて、それでも目元が熱くなることだけは堪えきれずに、ずっ、とかすかに鼻をすすった。三島のため息。


「……やっぱ、いくじなしだよ、おまえ」


 呆れきったような、失望のような声が落ちた。ほぼ同時に、ぐっ、と両手首が押さえつけられる。

 え、と口が半開きになった瞬間、


「ッ──!?」


 俺に乗り上げた三島が、ガッ、と背後の机を蹴り飛ばした。

 けたたましい音を立て、椅子を巻き込み、机がいくつも倒れていく。


「な──」


 思わず上体を起こしかけたとき、三島の手で肘を引っ張られた。

 かくん、とバランスが崩れる。ぐらついた上半身、「うわッ」と声を漏らす。ぐるっ、と視界が回った。


 どっ、と咄嗟についた片手の横に、三島の顔と、床に散らばった髪が見えた。

 体勢が入れ替わって、俺が三島を組み敷く形にされる。


「おまえ、なにし──」


 言いかけた言葉が消えた。三島が、すうっ、と微笑んだからだ。

 ぞっ、と嫌な予感がした。思わず飛び退こうとして、でも、三島の方が早かった。


「宗像」


 ほとんど掠れ声、みたいなささやきと共に、ぱしっと手首を掴まれる。

 宙に浮いたままの、カッターを握ったほうの手を。


「あ──っ」


 しまった、と思っても遅かった。思い切り手首を引き下ろされ、抵抗が間に合わない。

 ひ、と喉の奥で声が潰れるのと──俺の握った刃物が三島の頬を切り裂いていくのは、ほとんど同時だった。


「ッ……!」


 ビッ、と血が飛んだ。床に点々と散らばる赤い点。

 ざっくりと耳の横まで頬を切られて、すぐ傍に突き立ったカッターの刃先が、音を立ててぱきんと折れる。

 くるくると回転しながら床を滑っていく刃を、自然と目で追って、そして──


 閉めたはずのドアが開いていることに気が付いた。

 一瞬で血の気が引いた。


 そろそろと視線を持ち上げる。いくつもの靴、立ち尽くした男女複数の人影、完全に青ざめた表情が並んで、俺と三島を呆然と見つめている。


「あ……っ、ちが──」


 けたたましい悲鳴が、俺の声をかき消した。「先生ッ!!」と叫びを上げ、女子が数人、走っていく。身を起こし、あ、とドアへと手を伸ばしたとき。


「……見られちゃったな」


 どうしても笑みをこらえきれない、みたいな声で、三島がささやいた。明らかにわざとだと、嵌められたのだと、俺に思い知らせる声音だった。


 かっ、となって三島を問い詰めようとする。だが俺がなにを言う間もなく、室内に駆け込んだ男子たちが俺を引き剥がした。

「待て、違う!!」と叫ぶのを、落ち着けと怒鳴られて封じられる。


「違う! そうじゃない、俺は──」

「三島、大丈夫か!?」

「……うん、俺は、平気……」


 わざとらしい弱者の声。腕を掴まれ、助け起こされた三島が、かすかによろめいた。

 渡されたハンカチで頬を抑え、痛々しく俯く。だが、眼鏡越しの視線がちらりと持ち上がって、笑うみたいに細くなるのを、俺は確かに見た。


「っ──三島、おまえ……ッ!」

「怖かった……」

「ッ……!!」


 完全な大嘘だ。でも、それを疑う人間は誰もいない。

 糾弾の目がいくつも向けられる。そうじゃない、どんなに首を振っても、信じてはもらえない。


「違う、俺は、そういうんじゃなくて、放せ……ッ!」


 放してくれと叫びながら、羽交い締めにされて、ずるずる三島から引き離される。

 数人がかりで押さえつけられ、本気で力を込めても振りほどけない。「いい加減に落ち着け!」と怒鳴られて、違う、という悲壮な叫びは、誰にも聞き届けられることはなかった。


 三島は、俺から少し離れたところで、うつむいたままじっとしていた。俺の必死な呼びかけにも、燃えるような視線にも、ぴくりとも動かなかった。

 そうこうするうちに、廊下からばたばたと高い足音が聞こえてくる。


「今、先生来たから!」

「こっちです、こっち……!」


 ばたばたと大勢に踏み込まれ、一方的に踏み荒らされる。違うと叫んで身をよじって、羽交い締めにされた力がますます強くなる。


「三島くん、もう大丈夫だから、保健室行こ? 歩ける?」

「だ、大丈夫……歩けるから……あっ」

「大丈夫じゃねえじゃん! 掴まれって」

「ありがと……」


 クラスメイトに連れられて、三島がドアに向かって歩いていく。

「待て……!!」と叫ぶ声はあっという間に腕力で制止された。


「待てよ三島……っ!」

「宗像も落ち着け!! 行かせろ早く!」

「ほら、行こう。ゆっくりな」

「うん……」


 よろめきながら遠ざかる、痩せた体躯。全身に力を込めて暴れて、でも、それ以上の力でねじ伏せられる。

 教師と女子に連れられて、三島が教室のドアをまたぐ。


 三島が最後にちらりと投げた一瞥は、完全に〝罠にかかった獲物〟を見るそれだった。

 かっ、と頭の後ろが熱くなる。



「っ……三島──ッ!!」



 一瞬で脳に上った血、それが下がりはじめるより先に。

 からりと動いた戸板が淡く笑う三島の横顔を隠していって、ぱたん、と閉じた。



 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ