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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【中編 / 03】 あやまった選択

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 自宅前の角を曲がった瞬間、目を疑った。

 見覚えのあるスーツが、玄関前で俺を待っていたからだ。


 ひたひたと、嫌な予感が押し寄せる。くちびるを噛み締めて不安に耐えて、俺は気付けば止まっていた足を、ため息交じりに動かした。


 玄関に向かって、数歩近付く。うろたえたように立ち止まった背後の三島に、ぐいと鞄を押し付ける。うわ、と小さな声は、ほとんど耳に入らなかった。


 父の目が、鋭く俺を捉える。それをじっと睨み返して、俺は呆れ混じりの声を出した。


「あのさあ。だから嘘の予定を──」

「またやったんだな、達也」

「……」


 相変わらず、前置きとか、段階とか、そういう情緒をまるで介さない父親だ。思わず舌打ちが漏れた。


 心臓が、冷たく脈打っている。ほとんど確信じみた、嫌な予感に身が震えた。


 昨日の夕方、三島の家から帰ってきて以来。あの〝現象〟はどうしても大人しくしてくれなかった。俺の内側でうずまくどろどろした感情を餌に、いつまでも大きくなり続けた。


 朝になってもそれは悪化するばかりで、俺は耐えきれずに蝶を殺した。かなり念入りに埋めたはずだが、あの父のことだ、俺以上の執念で掘り当てた可能性は十分ある。


「やってない。ていうか、庭先をぼこすか掘り返すの、いい加減やめろよ」


 ほとんど無意味な抵抗だとわかっていても、そう言うしかできなかった。

 父がここまではっきり断言するのだ。おそらくは、限りなく証拠に近いものを握っているに違いない。


 訪れるのはなにか冷え切った諦め、それよりもっと強烈な恐怖。震えそうになるのを必死で耐える。

 父が糾弾じみた声を出した。


「おまえが言うのか、それを」

「だから、やってないって言って──」


 けれど今回、父のターゲットは俺ではなかった。鋭い目が俺の隣を見て、手招きの仕草。三島がえっ、と口を半開きにして、疑うようにあたりを見回した。


「え、えっと……なんですか」

「三島くんだったか。君にも証人になってもらう」

「え……」


 父は無言で、スーツの内側からスマホを取り出す。俺は顔をしかめ、震えながら、おそらくは確実に訪れるどうしようもないものを、どう受け止めたものかわからずにいた。


 父が、すっとスマホをこちらにかざす。動画だ。映っているのはどう見てもうちの裏庭で、それで俺は、父がなにをしようとしているのか悟った。


 さっ、と血の気が落ちる。ばっと三島の方を振り返って、動いた。


「ッ……やめろよ! 三島は関係ないだろ!」


 どうしてかわからない。でも、こみ上げる、三島には見られたくない、という感情が、俺を衝動的に突き動かした。


 父と三島の間に割って入って、やめろ、と食って掛かる。

 父はどけ、と短く俺に命じた。反射的に命令を聞いてしまいそうになる自分に、うんざりした。


「おまえがしたことを、人様に見てもらうといい」

「それで問題になるのは俺だけじゃない、父さんもだ」


 父は支配的な人間だ。他人を巻き込んで、ことを大きくして、人を従わせるのに長けている。でも。

 それでも──三島だけには、見られたくない。理由はわからない。


 父は嘲るような声で、脅しの質が悪いな、と言った。


「どきなさい」

「やめろ」

「どくんだ、達也」

「よせよ!」


 ぐっ、と肩を掴まれて、それでも、どくことはできなかった。三島はおそらく、俺の行為を知っている。直接見てはいなくても、うすうす察しているだろう。それなのに、どうしてこんなに三島に見られたくないのか、わからない。それでも──引き下がるわけにはいかない。


 ほとんど揉み合い、みたいな状況になって、俺はやめろと連呼する。状況は最悪で、俺の立っている道が絶望にしか続いていないことは明らかで、それでも、諦めたくなかった。


 それなのに。


「いい加減にしろって! 三島も、……──」


 せめてもう少し背後に下がってもらおうと振り返った、そのとき。


 三島の目が、呆然と見開かれているのが、見えた。

 その瞳ににじむのは、驚愕と、それからなにかの確信だった。


 もしかして、と震える声が勝手に漏れる。すうっ、と血の気が引いていくのがわかった。


「──見えた、のか」


 三島が、黙って頷いた。

 よくわからない暗い感覚で、ひくっ、と喉が鳴る。もうだめだ、と思った。


 俺はだらりと両腕を垂らし、ただ立ち尽くすしかできなかった。

 父がはっ、と笑う気配が、どこか遠くで聞こえてくる。


「監視カメラをしかけておいて正解だった。静江の妄言も、たまには参考になる」

「……そういう言い方、するなよ……」


 普段だったら怒るような言い回しに、この程度の抵抗しかできない自分が情けなかった。

 怖くて、不安で、頼りなくて、これから待っているものが恐ろしい。

 負の感情がいっぱいに俺の内側を満たして、震えてしまいそうになる。


 父は心底軽蔑する、というような声で、言った。


「やはり狂人の息子は、狂人というわけか」


(っ──母さんは……)


 あの春の光景が、ぶわっ、と一瞬で蘇った。

 抱きしめられた感触、あたたかな温度、春先の西風、タンポポの色、うす青いきれいな空。

 大切に落とされた、俺を守ってくれるはずだった言葉。


 ──あの美しいものを、否定しないでくれ。


「母さんは関係ない!!」


 思い切り叫んだ。びりびりと鼓膜が震えて、それでも構わなかった。喉が裂けてもいいと思った。

 だが父は動じた様子もなく、ため息をつく。またそれか、と呆れたような声。そして。


「おまえ、隠れて何度も静江に会ってるそうだな」

「……ッ!」


 それは約束された絶望に向けて、また一歩、歩みを進める言葉だった。目隠しをされて、長い板の上を先端に向かって歩かされるような。


 じわじわと、足元からせり上がる恐怖が、俺を混乱させていく。やめてくれと思う。それでももう結末は決まっていて、どうしようもない。


「……ちがう……」

「看護師を問い詰めたらすぐ話してくれた。なんだったら、証言書を書かせてもいい」

「そうやって、すぐ他人を巻き込むの、やめろよ……」

「おまえも同じやり方をしたばかりだろう。三島くんをだしに使って」


 ちがう、と言おうとして、できなかった。三島が俺をかばったのは本当だ。それが俺の関知しない出来事であったとしても、どんな手を使っても俺を断罪したい父にとっては関係ない。


(もう──……)


 とにかく、と父が話をまとめにかかる。怖い。やめてほしい。これ以上言わないでほしい。今すぐ時を止めてほしい。そんな願望、叶うはずがない。


「おまえには失望した。なにもかも完璧にこなすから、父さんの満足するような人間をやってみせるから、着替えの差し入れだけは許してほしい。そう言われたから、ここまで譲歩してやったんだ。それを……親の期待を裏切って」


 どうしようもない出来損ないにかけるような、苦々しい、吐き捨てるような声だった。胸の底で震える小さな抵抗が、俺のくちびるをかろうじて動かす。


「父さんの期待なんか知らない。俺は、俺はただ、母さんに会いたくて──」

「だが、おまえは約束を破った。それも、二つも。だったら、わかっているな」

「……っ!」


 とっくの以前に、言われることがわかっていた言葉だった。それでも、実際に耳にすると、その刃は容赦なく俺を刺した。


 絶望的な気持ちで、そろそろと顔を上げる。父は忌々しいものを見る目で俺を見下して、断罪を宣告するみたいな口調で、言った。


「約束を破った以上。もう二度と、おまえが静江に会うことはない」

「な──っ」


 表情が凍った。約束なんて言葉でも、あれはたしかに契約だった。破ればひどい罰がある、そんなこと、わかりきっていたのに。


 待ってくれ、と自分のものじゃないみたいな声が出る。俺の懇願を無視して、父ははっ、と吐き捨てた。


「やっぱり、温情をかけたのが間違いだったか。何度も言っただろう、おまえのためを思ってのことだと言うのに──」

「……俺のため?」


 心臓の奥、胸のいちばん底から、ふざけるな、という気持ちがこみ上げてきた。


 いつもいつも俺のため、宗像家のため、そんなことばかり繰り返して、母の聡明を褒めそやしていたはずなのに、病気になった途端放り捨てて。俺のことだって、道具みたいにしか思ってないくせに。


「っ──なにが俺のためだ、俺の発育に悪影響、ってなんだよ!? 父さんは母さんの語る言葉が怖いだけだろ!? でも、病人が語る物語に本気で巻き込まれるほど、俺だってもう子供じゃない!」

「だったらあの蝶はなんだ! おまえも母親の仲間だろうが!」

「それは──」


(やめろ)


 こんなことで、俺の汚い行いで、母の名前を出さないでくれ。

 あの人はなにも悪くない。ただ病気なだけ、ずっと苦しんでいるだけだ。俺がおかしいのは母さんのせいじゃない。


(だったら、俺は、なんのせいで──)


 わからない。どうしてこんなことばかり起こるのだろう。


 多くを望んだ覚えなんか一度もない。

 みんな健やかで、幸せで、平和だったらそれでよかった。悪いことなんてひとつも起こらなければよかった。

 それだけのことが、どうして、叶わないんだろう。


 言葉を失った俺に、父が勝ち誇ったように鼻を鳴らす。いいか、と低い声がした。


「あれは知らないところに転院させる」

「え──待っ、待ってくれ!」


 今すぐに、という口調に、俺は慌ててすがりにかかる。だが父は侮蔑的な表情を浮かべるだけだった。


「今から私は病院に向かう。その足で手続きする。どこへ移すかは教えん。探し回っても無駄だ」

「な、そんな、待って、それだけは」

「なにを言ってももう聞かん。おまえの嘘も言い分も聞き飽きた」

「いやだ、頼む、なあ……だったらせめて、一度だけでも顔を」

「駄目だ。おまえは来るな。転院の書類を覗き見でもされたらたまらんからな」

「じゃあ、声だけでいい、頼むから……!」

「ったく……いい加減にしろ!」

「あ──っ」


 取りすがった腕を激しく振りほどかれ、俺はふらりとたたらを踏む。

 その横を、父が荒々しくすり抜けていく。


(いやだ、だめだ、お願いだから)


「待ってくれ……!!」


 ほとんど涙じみた叫びに、父は振り返らなかった。スーツの背中が、吐き捨てるような言葉を投げつける。


「いいか、狂ったふるまいは二度とするなよ。おまえを監視しているからな!」

「待っ……──」


 その背中は振り返らない。大股が遠ざかり、どんどん小さくなっていく。

 絶望的な気持ちで目を見開いて、息がひとつもうまくできない。

 去っていく父、その手前に、立ち尽くす三島がちらちら見えて、ああ、と思った。


 心のなかで、どうして、と痛いほど叫ぶ。

 なんでこんなことになった。なにがいけなかった。

 たとえ避けられない終わりだったとしても、もっと、もう少しでも、なにか。


(……三島)


 視界の端で立ち尽くす、痩せた男の影。

 こいつのせいだ、と思った。


 三島なんかを選んだせいでこんなことになった。

 この男にほだされたりしたから、ここまでひどい終わりになった。


 なんで俺はあの生物室で、母さんを選ばなかったんだ。三島のことを選んでしまったんだ。

 もしあのとき母さんを取っていたら、せめて最後に、たったひと目だけでも会えたのに。


 どろどろした感情がうずまいて、息が苦しくて、なにもできないまま。去っていく父の背中を、ただ、呆然と見つめていた。


 無駄に仕立てのいいスーツ、それが角を曲がって消えていったとき、少し遅れて本当の実感がやってきた。もう二度と母と会えないという実感が。


「……っ、……」


 指先が絶望に震えた。なにもかももう駄目だと思った。

 俺を止めてくれるものも、抑えてくれるものも、すべて奪い去られてしまった。

 俺の傍には誰もいない。もうなにも、なにひとつ、俺を守ってくれるものはない。


 崩れ落ちるのを止めることができなかった。がくりと膝をつく。衝動のまま地面を殴りつけて、打ち付けた部分がひどく痛んだ。背を丸めて、勝手に嗚咽がこぼれだす。


「……くそ、くそ……ッ……!」


 あんまりだと思った。

 俺にはもうなにもない。誰も傍にいてくれない。守ってくれるものがない。

 これから一生、ずっとひとりで戦っていくのか。


 ぼたぼたと涙が地面の色を変えて、そのとき、ざっ、と静かな足音がした。三島だった。

 ああ最低だ、と思って、それなのに、したたる水を止めることができない。


(嫌だ──嫌だ……ッ)


 叫ぶように何度も繰り返す。

 胸の内を、失意と絶望がしきりに打ちのめした。嫌だった。叫ぶように思った。


 他の誰でも構わない、でも、こいつだけは嫌だ。

 こんな最低の、卑怯で、ずるくて、ちっぽけで、見苦しい奴の前で泣きたくない。

 ここまで最低の終わり方、その原因になった、こんな男の前なんかで。


 ひどい嫌悪と情けなさとみじめさが入り混じって、ありとあらゆる感情が胸を乱した。ぐしゃぐしゃになった精神で、それでも体裁を保とうとする。見苦しい咳が何度か吐き出された。


 俺はぐっと目元を拭って、立ち上がろうと腿に力を込めた。だが、それより先に、目の前に影が落ちた。三島だ。痩せた人影が、俺の前にひざまずいていた。


 そっと手を伸ばされ、熱を帯びた指先が頬に触れる。訪れたのは間違いなく、この男への嫌悪と反発だった。それなのに、なにかが尽き果てた俺は、三島のことを払いのけることすらできなかった。


 そっと顔を上げさせられ、生っ白い、思ったよりはきれいな顔が、静かに近寄る。

 眼鏡ごし、薄いガラスを隔てて、あの名前のない宝石のような色の瞳が、俺をじっと見つめている。

 それが薄く細まって、発声の直前の呼気の音、三島のくちびるが開かれて。




「なあ宗像、──俺にしなよ」




(……──なんだ、それ)

 耳に流し込まれたのは、信じられない言葉。

 俺は呆然と目を見開いて、三島が微笑んで言葉を続けるのを、ただ聞いている。




「蝶なんかじゃなくて、俺を、引きちぎればいい。好きにしていいんだ。なあ、宗像」




(なにを──言って……)

 呆然と目を見開く。ほとんど絶望的な気持ちで息が詰まって、喉の奥が小さく音を立てた。


 目の前の最低な男が、淡く目を細めて微笑んでいる。

 今までに一度も見たことのない顔。悪魔みたいな誘惑の言葉、差し伸べられた熱っぽい手、うっとりと微笑む、天敵みたいな男。


(俺は、俺、いやだ、……──)


 抵抗と諦念と嫌悪と情と、ありとあらゆるものが胸をかき乱して。





 ──俺の中のなにかが動き出す、どうしようもない音がした。









 18歳未満のファウスト・中編

         ── 宗像達也の抵抗 ──

               《了》


 

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