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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: ルー
【中編 / 03】 あやまった選択

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 静かになる。がらんとしたLDK、人の生きる気配が感じられない室内に、こちこちと秒針の音ばかりが響いている。


 俺は思い切りため息をつくと、しょうがない、と覚悟を決めた。立ち上がり、三島の身体を椅子からずらす。背中に乗せ、膝の裏に腕を通しておんぶの形を取る。安定させるため、垂れてきた三島の両手首をぐっと握った。ゆっくりと立ち上がる。


(軽っ……)

 本当にこれが十七歳の男子なのか。

 三島の手首は骨ばって細かったし、もっと負荷がかかるかと思った立ち上がる瞬間も、思った以上にすんなり済んだ。


 俺はできるだけ揺らさないように廊下を歩いて、三島の部屋まで彼を運んだ。どれが三島の部屋なのかはすぐにわかった。他の部屋は、人の生きている感じがほとんどしなかったからだ。


 本棚だらけの部屋に入り、ベッドに三島を寝かせる。眼鏡を外して、布団をかけてやって、顔色を観察した。


 見た感じ、まだ発熱は続きそうだ。ずいぶん汗をかきはじめているから、あとで着替えさせた方がいいかもしれない。


 ずらずらと看護の方針を考えて、聞くこととかやることを列挙する。

 喋れそうなら症状の聞き取りと、いつからとか、どう変化したかとかを聞かないと。あとは体温をはかって、着替えと水分と、吐かないのなら栄養だって必要だ。だが、この家に病人食なんてあるのだろうか。


 あれこれ考えているうちに、三十分ほど経っていた。ベッドの脇に座っている俺、その視界の中で、三島がごそりと身じろぎする。かすかにまつげが震えた、かと思うと、そっと瞳が現れた。はっ、と小さく詰まったような息。


 三島の手が、ごそごそと枕元をさまよう。指先に触れた眼鏡を引き寄せて、かけた。ぼんやりしたまばたき。

 俺は立ち上がると、三島の顔を覗き込んだ。三島が、むなかた、とたどたどしく俺を呼ぶ。


「どう。具合」

「えっと……ちょっとだけ、頭、いたい……かもしれない……たぶん……」


 煮え切らない返事。得られる情報がまるっきり安定しない。俺は思わず大きなため息をついた。


「あのなあ。症状の確率を勝手にどんどん下げるな。正直に言え」

「だ、だって……言っても、どうにも、ならない、し……」


 思わず目が細まった。三島は焦点の定まらない目で空を見つめて、ぼうっとした声でぽつぽつと言う。


「あたま、いたいのも、熱いのも、ぼーっとするのも……服張り付いて、きもちわるい……吐き気とか……っても、変わんない……」


 へろへろの声でなにを言うかと思えば。あまりにも無茶苦茶な言葉に、思いっきりため息が出る。なんなんだこいつは。病人ならもうちょっと病人らしく振る舞え。


「やっぱ具合悪いんじゃん……言えよ……」

「……だから、言ったって、どうにも」

「看護の方針があんだよ。ほら、ちょっとだけ頑張って身体起こせるか」


 俺の言葉に、三島はふえ、みたいな声を上げた。

 聞き取った症状はそれはそれはバリエーション豊かだったが、一番手近にできそうなのは着替えだ。たぶん食事は無理そうだし、水分も、あと十分くらいは様子を見たほうがいいかもしれない。


「気持ち悪かったら、すぐ言えよ」


 背中に手を差し入れて、ゆっくりと身体を起こす。もっと力がいるかと思ったが、やっぱり三島は軽かった。

 ベッドに起き上がった三島は、ぼんやりした目でうつろを見つめている。俺は着替えのありかを聞いた。それから、開けていいのかということも。


「なんで……」

「だから、着替え。汗、ひどいから。ほっとくと悪化する」

「あー……」


 いや、俺の言ってることわかってんのかこいつ。思いっきりぼんやりした顔のまま呆けている三島に、着替えの場所をもう一度確認する。開けていいか尋ねると、いい、と返事が返ってきたので、もう容赦なくタンスを開けることにした。


 タオルと着替えを取り出して、三島のもとに戻る。念のため額に手を当てると、ものすごく熱かった。三島が気持ちよさそうに目を細める。


「んー……ちなみに今、寒い? 熱い?」

「あつい……」


 少しほっとした。寒気があったらもっと上がるということだ。これだけ額が熱いのに、さらに上がるとなると俺の手に負えなくなるところだった。


「なるほど。じゃあ、もうちょっと頑張ったら下がるかもな。体温計ある」

「わかんない……」


 予想通りの回答だった。まあ、これから下がっていくなら、神経質に計る必要もないだろう。


「じゃあいいや。着替え、できそう」

「……たぶん……」


 それなら、と三島の膝の上にタオルと着替えを置く。だが、いつまで待っても動き出す気配がない。ぼうっとした顔のままだ。これはたぶん、俺の言ってることがわかってないな。

 案の定、三島はぽーっとした顔で俺を見ると、なんだっけ、と首を傾げた。なんだじゃない。


「もう一度聞くけど。着替え、できそう」

「あー……」


 着替え、きがえ、とたどたどしく繰り返す。三島の細い指がもたもたとボタンをたぐった。だが、力が入らないのか細かい作業ができないのか、ちっとも外れる気配がない。


 業を煮やしたらしい、三島はがば、と服をまくりあげた。だが、いきなり動いたせいだろう。たちまち上体がぐらりとかしいで、倒れそうになる。慌てて背中を抱き止めた。ため息が出る。


「おまえの自己申告、まるっきり当てになんねえのな」

「ご、ごめん……」

「いい。頭ぼーっとしてたらそんなもんだ」


 つまり、症状を正しく伝えられないほど意識が朦朧としているということ。状態は良くない。


 俺はじっとしてろ、と呼びかけると、三島のボタンに手をかけた。赤の他人に服を脱がされるのは嫌かな、と思ったが、三島は素直にされるがままにしている。そこまで気が回らないのだろう。


 だったら、とさっさと服を脱がせた。はー、と息をついて目を細める三島の身体を清めて、上も下も同じようにして、体位や重心をあれこれ移動させて、着替えさせる。母のときに培った技術が、こんなところで役に立つとは思わなかった。


 ひととおり着替えを終えて、よし、終わり、と言う。


「ほんとは下着も変えた方がいいんだけど、さすがにそれはな。我慢してくれ」


 それに本当は、シーツや枕カバー、布団なんかも取り替えたい。ただ、初めて入る他人の家でそれは不可能だった。


 三島はぼやけた表情で、ありがとう、らしき言葉をごにょごにょ呟いている。呂律が怪しく、ほとんど言葉になっていなかった。


「あー……さっきより意識レベル下がってんな……」


 これはもう、とっとと寝かしつけた方がいい。俺は三島の背を支えると、そっと横たわらせた。布団をかけてやる。とん、と最後に一度胸元を叩くと、三島はぼんやりした目で浅い呼吸を繰り返した。


 そのまま目を閉じようとするので、俺はベッドに腰掛ける。苦笑して、そっと三島に手を伸ばした。


「おまえ、眼鏡したまま寝んの」


 閉じかけていたまぶたが、ゆっくりと開かれる。ぼうっとした視線が俺を捉えて、レンズ越し、あの不思議な色の瞳に、俺の姿が映っていた。


 そっと手を伸ばして、眼鏡を外してやる。枕元に置いてから三島を覗き込むと、髪が少し乱れていた。なんとなく、頬にかかった髪を指先で払いのける。


 はら、と落ちた髪の隙間から、透明なピアスが見えた。

 あ、と思った。


 三島の、名前のない宝石みたいな瞳が、じっと俺を見上げている。

 初めて見る、レンズを通さないその瞳は、未分化の、よくわからない危なっかしさで不安定に揺れていて、きれいだった。


 ──ああ、いいな。すごく。


 ぞくぞくする感覚が一気にこみあげて、俺は自分の指先が、三島の耳を軽く撫でていくのに気付く。

 そっと表面をなぞって、耳たぶの端で控えめに存在を主張する、透明なピアスへと。


 そのあいだ、三島はずっと、俺を見つめていた。

 なにも遮るもののない、あのきれいな目が、俺を静かに映し出して、なにか待つような気配がじっと俺を待っている。


 〝現象〟が、腹の底で大きく波打つのがわかる。底のない海みたいに巨大で、暗いものが、ぐうっと一気に膨らんで、俺を飲み込もうとする。


 親指と人差指で小さなそれをつまんで、全身を走っていく、びりびりした電流みたいな衝動に震えた。心臓の鼓動がちっともおさまらない。

 俺は乾ききってしまったくちびるを軽く舐めて、こくりと喉を鳴らして、指先に力を込めた。


 ゆっくりと、つまんだものを、引っ張っていく。

 少しずつ、少しずつ、ピアスホールが引き伸ばされていく。

 透明で小さなものが、ゆっくりと耳の端を引きつらせていく。


(ああ、これが青だったら、もっとよかったのに)


 透明もいいけれど。あの青いピアスだったら、血の赤がもっと映えて、ずっと気持ちいいに違いない。それだけが残念だ。

 むなかた、と三島が熱っぽい声で俺を呼んで、その声もすごくいい、と思って、でも。


(──っ、だめ、だ)

 今、あちら側に、落ちそうになっている。


 そのことを怖いくらいにはっきり自覚して、俺は恐怖か歓喜か、どちらかわからない感覚に震えた。

 ぞくぞくと背を駆け上がるもの、恐れと喜びと諦念と抵抗と、その全てが入り混じってぐちゃぐちゃになった、ちっともうまく表現できないもの。


 やめてくれと思うのに、手が止まらなかった。

 一定の速度で淡々と引き続けた耳の端、ほとんど線みたいになったピアスホールの端から、とうとうぷくっ、と赤い雫が盛り上がった。


 ──ぞくそくっ、と全身の産毛が逆立つような感覚。


 ほとんど陶酔に近いものが、俺を引きずり降ろそうとする。

 ぎりぎりの場所で耐えていたものが、崩れてしまいそうになる。


 目の前で、三島の目がかすかに歪んだ。枕に散らばった黒髪、赤くなった頬で蕩然と俺を見上げる瞳、その不思議な色合いはさっきからずっととてもきれいなままで、自我を喪失した俺がなめらかな表面に映っている。


(このまま、最後まで──)

 全身の皮膚をなぞられているような感覚に痺れながら、ぐっ、と指先に力をこめたとき。



「……それ、もっとしてほしい……」



 信じられない声が聞こえた。

 うっとりと目を細めた三島が、淡くくちびるを開いて、俺に微笑みかけていた。

 蠱惑的で誘惑的で、ほとんど悪魔みたいな笑みだった。


(ッ──だめだ──)


 我に返る。びくっ、と全身がこわばる。

 落ちかけていた自我に力をこめて、ぎりぎりの境界でなんとか踏みとどまる。


 弾かれるように手が離れた。まるで言うことを聞かない右手を、反対の手でぎゅっと握りしめる。

 三島はとろけるような目で俺を見上げていた。

 耳の端で光る赤が、つうっ、と枕の方へ伝い落ちていく。ぞくぞくする。それはだめだと叫ぶように思う。


「──……は、……」


 熱っぽい、満足げな吐息をひとつこぼすと、三島はふうっと目を閉じた。

 それきり、規則的な寝息が聞こえてくる。

 どうやら──ようやく意識が途切れたようだ。


「っ……」


 はあぁーっ、と長いため息が漏れる。

 俺は一気に、がっくりとうなだれた。そろそろと顔を覆う。


「──……どうして」


 絞り出すようにつぶやいた。

 喉の奥が苦しい。指先が、小刻みに震えていた。怖かった。


(……危な、かった……)


 恐る恐る、震える呼吸を繰り返す。

 覆ったてのひらをゆっくりと外して、俺は呆然と三島を見つめた。


 さっきまでの熱狂など感じさせない、あどけない寝顔だ。熱で赤くなった頬、布団の下で胸元が規則的に上下している。


「三島」


 そっと呼びかけても、返事はなかった。俺はかすかに安堵して、こわばった身体の力をそうっと抜く。ゆっくりと肩を落として、ふーっ、と息をついた。


 手を伸ばし、指の甲で頬に触れる。熱を帯びた赤い顔は、ぬぐいきれない汗でうっすら湿っていた。

 こうして見ると本当に、ただ具合が悪くて寝ているだけの人に見える。だが枕元にぽつんと落ちた赤い点が、さっきの出来事が本当だと証明していた。


(三島……)


 すうすうと寝息を立てる三島を眺めながら、俺はこの男について考えていた。


 三島は、悪い奴じゃない。それはわかる。

 単純だしわかりやすいし、いっそ愚かなくらいだが、真面目で、努力家で、小さな生き物にとりわけやさしい。

 たった一言の『大丈夫』に操を立てて、大丈夫なんかじゃないくせに、震えながら俺の実験に付き合っている。


 プレゼントの入った鞄を、大事そうに抱える姿が思い出された。それから、タブレットを胸に抱く仕草も。


 三島は明らかに、家族に大事にされていない。それも、俺が思ったよりずっと深刻なほどに、だ。

 身の回りの世話をひとつもされていない。冷蔵庫の麦茶すら自分で淹れている。

 U大を目指す三島を、予備校にも行かせていない。

 どこからどう見てもひどい体調なのに、ちゃんと姿を見たはずなのに、まるで気付かない。


「……」


 目の前で眠っているのは、愛されることにひとつも慣れていない男だった。


 俺の行為ひとつで一喜一憂して、ちょっとした身体接触で舞い上がって、家に上げれば『こういうのは慣れていない』と言った。三島の好きそうな話題を、ちょっと親しげに話すだけで喜んだ。


 おそらく三島は、友達らしい友達なんて、今までひとりもいなかったに違いない。誰とも話すこともせず、異常なまでに知識を詰め込む姿は、なにか彼の事情を感じさせた。


 友達が、ほしくないわけではないんだろう。だってそうじゃなきゃ、俺の一挙手一投足に、あそこまで嬉しそうに笑ったりするはずがない。こいつはずっと、欲しいものを手に入れられなかっただけなのだ。


(三島は──いい奴だ)


 バカで単純でわかりやすいけど、真面目でやさしくて、心底誠実だ。知識は俺を裏切らない、そんな押し殺した独白に、『俺もそう思う』と言ってくれた。


 じわじわと湧いて出るのは、この男への、言葉にならない情のようなもの。だけどほとんど同時に湧き上がるのは底が抜けるような恐怖と嫌悪で、俺はかすかに目元を歪める。


 俺は──どうすればいいのだろう。


 三島はいい奴だ。無垢で哀れな人間だ。

 愛されるに値する誠実を持っているのに、それをひとつも知らないで生きてきた。


 助けてやりたいとか、守ってやりたいとか、そういう感情が、一切ないといえば嘘になる、でも。

 三島がまず、真っ先に何から守られるべきかと言えば。それは〝俺自身から〟というほかないのだ。


 俺はとっくに契約済みで、悪魔に魂を売っていて、ぎりぎりの縁でずっと耐えている。それでも、三島といると、不意に訪れる瞬間がある。強烈な誘惑、現象がうごめく気配、あちら側に引きずり降ろされる感覚。


 この男は俺を破滅させる。三島といると、良くないことが起こる。痛いほどそれが確信できるから、俺は自分をどういう方向に持っていけばいいか、まったく決めることができなかった。


 ごそ、と身じろぎの音。三島が寝返りを打って、枕に顔をすりつける。いとけない、子供みたいな仕草だった。無性に胸が苦しかった。


 誰でもいい。俺じゃない誰かが、この男を大切にしてやればいいのに。

 感情は思った以上に強く、俺の心を揺さぶった。


 俺はそっと手を伸ばして、三島の髪に触れようとして、でもやめた。空に浮いた手を握り込んだ。俺が触れてしまうと、またあの〝現象〟に餌をやることになりそうで、怖かった。


「……早く良くなれよ」


 ぼそっ、とつぶやく声は、本棚まみれの部屋の中に散って、あっさりと消えていった。


 俺はそれから一時間ほど三島の様子を見ていたが、日が暮れはじめたことを言い訳に、彼の覚醒を待たずに家路についた。

 言葉なく歩く俺の足元に、消えかけた橙の夕日が、長い影をだらだらと伸ばしていた。


 

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