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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【中編 / 03】 あやまった選択

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 ローテーブルに陣取って、俺は問題集を眺めてペンを走らせた。

正面には三島が座っていて、俺と同じように筆記具を操っている。


 テスト勉強と称しての行為だった。正直なところ、テスト勉強なんてしてもしなくてもいい。でも三島だけを勉強させれば、彼の矜持が傷つくだろう。なので一応のポーズとして、俺も問題集を解いていた。


 筆記具の音がさらさら響く。正面に座った三島の伏せたまつげの奥、不思議な色の瞳が何度かまばたきをする。

 それをひそかに眺めながら、俺はまた三島を部屋に上げてしまった、と考えていた。



 病院前のバス停で、俺は三島を置いて別のバスに乗ろうとした。家具屋に行くと告げると、無垢な顔で模様替えかと尋ねられる。ただ首を振ってそのままバスのステップに足をかけた。


 これ以上喋ると、余計なことをこぼしてしまいそうで、怖かった。逃げるようにバスに乗った。けれど。


「じゃあ、また生研部で」

「ま──待って!」


 俺の挨拶を遮ったのは、焦ったような叫びだった。


 急に飛び出した三島が、転げるようにバスに乗り込んでくる。その背後で、空気の抜ける音を立ててドアが閉まった。


 俺は呆然と「なにやってんだおまえ」とつぶやく。いきなり飛び乗ったせいか、三島は膝に手をついて息を整えていた。自分でもわけがわからない、という顔で「えっと、なんだろう」とか言っている。


 おまえにわからないものが、俺にわかるはずないだろ。言いたいのをこらえて、俺は小さく息をついた。しょうがないので三島を席に誘って、ふたり並んでバスに揺られた。


 その後の家具屋で、俺は〝カメラ〟の材料を買った。どういう目的で、どうやって使うのかを説明したとき、三島はなにも言わなかった。ただ半開きの口をつぐんで、下を向いて、手を握りしめて、それだけだった。そのことがなにより、助かった。


 俺は少しだけ考えて、迷って。前に誘えなかったファストフード店に三島を誘った。安いバーガーやポテトなんかを口に入れた。


 うちに勉強しに来るかと聞いた口の動きは、ほとんど無意識なものだった。三島はわずかに口をつぐみ、黙ったまま頷いた。そうしてまたバスに揺られて電車に乗って、今に至る。



「なあ、前の高校って、どこだったの」


 俺が問題解説を終え、三島が答えや過程をノートに書き取ったとき、興味深げな質問が飛んできた。俺は少しためらって、笑って言う。


「たぶん、三島は知らないと思う」

「そうか? 俺、受験のとき、全国の高校洗い浚い調べさせられたから、わりと詳しいと思うけど」


 不思議そうに首をかしげる仕草。その言葉ににじむのは明らかに、『わざわざ他府県から受験生が集まるような学校』を想定されていて、俺はなんとも言えない気持ちになる。


 そう、とだけ小さく言って、俺は正直に高校名を告げた。三島は少し考える仕草をして、わからない、という顔をする。それはそうだろう。


「やっぱりな。知らないだろ」

「ご、ごめん……」


 当たり前だ。あんなその辺にいくらでも転がってる、偏差値50以下の平凡な学校を、他県の三島がわざわざ調べるはずもない。

 俺はかすかに息を詰めて、それを隠して、笑った。


「すげえ近所の、普通の高校でさ」

「そうなんだ」

「通学時間短いのが良くて、選んだんだ」


 うっすらと本当のことを告げる。不思議そうにしている三島をよそに、話題は終わりとばかりにペンを取った。


 三島がこそこそスマホを操作しているのが見える。おそらくは、俺の高校について調べているのだろう。わかりやすい男だ。

 あまり深入りされたくなくて、連絡きたのか、なんて声をかける。三島は慌てたようにスマホを片付けた。


 痩せた手がシャーペンを取るも、書き始める気配がない。三島はぼうっとした表情で、なにやら考え込んでいる。

 俺はひらひらと彼の目の前で手を振った。はっ、と三島が顔を上げる。


「さっきから、ずっと手、止まってる」

「あ……ごめん」

「や、謝ることじゃないけど」


 そこまで言って気付く。三島の顔色が良くない。食事でも取ったら少しは良くなるかと思ったのだが、そんなことはなかったらしい。


 そういえばさっきのファストフード店で、三島はセットのポテトをほとんど食べなかった。食べずに捨てるのを惜しむ彼の代わりに、俺がほとんどのポテトを平らげたのを覚えている。


(……目の下、クマできてる)


 病院で見かけた三島の姿を思い出す。半月も経たないのに、二回も見かけた。痩せた身体、目の下のクマ、顔色もどことなく悪い。

 思わず「大丈夫か」と声をかけていた。三島がたちまちうろたえる。


「な、なにが」

「体調」


 ぴくっ、と三島の肩が震えた。視線を逸らし、とても小さな声。


「大丈夫。ちょっと、栄養足りてないだけ……」


 消え入りそうな声だった。じっと三島を観察する。

 青白い顔色、痩せた身体、思春期の男子にしては細すぎる腕。


(……本気で握ったら、すぐ折れそう)


 そんなこと、絶対にしたくなんてないのに。ああやりたいなと思う自分が、すぐ隣に座っている。自分が心底、嫌になる。


 俺はぼそっと、三島がそう言うならいいけど、とつぶやいた。三島がそっと腕を隠す仕草。見抜かれたような気になって、俺はさっと目を逸らした。


 痩せた指先がシャーペンを取り、ノートの上で軽くさまよう。俺はとんとん、と続きの場所を叩いてやった。三島は短く礼を言い、続きに取り掛かる。


 そこからは、また静かな時間が過ぎていった。

 する必要もないテスト対策じみたものを続けて、三島がときおり首を傾げたり、真剣な顔をしたりするのを、目の端でぼんやり眺めている。


 そのまま一時間ほど経って、俺達はようやく休憩を入れることにした。客用のドリップアイスコーヒーを片手に、どうでもいい話に花を咲かせる。


 クラスメイトを家に呼んで、勉強して、休憩時間にバカ話。まるで普通の高校生みたいだ、と思った。

 そんなことを考えてしまう自分こそ、〝普通〟とはほど遠いところにいるのだと、嫌でも実感させられて、苦しかった。


 俺は何気なく話題を振る。


「三島って、志望校決まってんの」

「え……えっと、いちおう……」

「ふうん」


 三島が勢いよくグラスをかき混ぜる。からからと、耳にやかましい氷の音。俺の無言の促しに、三島は小さな声で言った。


「たぶん……U大……だと、思う」


 予想通りの答えだった。あれだけ貪欲に、いっそ異常なまでに知識を取り入れているのだ。これでU大じゃなかったら逆にびっくりする。


「学部とか決めてんの。うちのクラスにいる以上、理系なのは確かだけど」


 特に考えなしに放った言葉だった。だが三島はえっと、と言葉を詰まらせて、うろうろ視線をさまよわせる。

 ゆっくりと落ちていく視線を見届けて、目を細めた。じっと返答を待っていると、三島はぼそぼそつぶやく。


「宗像は……どうなんだよ。学校とか、学部とか」


 やっぱ生物学なの、と問われて、うっすら笑ってしまった。どうだろうな、と答えるしかできなかった。


 これからのことなんて、なにもわからない。

 こうだったらいいなとか、こうでありたいとか、いつだってそういう理由で進路を決めてきた。

 でも、俺はいつまで続けられるのか。いつまで、耐えていられるのか。


「志望校は決まってるよ。S大」


 さらっと言葉が出た。三島がえっ、と口を半開きにする。目も丸くなって、なんだか間抜けな顔だった。俺は笑う。


「偏差値だけが全てじゃないだろ。学校ごとの特色とか、いろいろあるし」


 口に乗せたのは、染み付いた、いつも通りの嘘。選択肢がいくらでもある人間のふりをして、俺は笑う。


 本当はなにもかも嘘っぱちだ。選択肢なんてひとつもない。

 おそらく俺はU大を受験させられる。M高を受けさせられたのと同じように。

 そうして合格通知を受け取ったあと、父に頭を下げるのだ。お願いですから近所の学校に通わせてください、下宿だけはしたくないんです、と。


 きっと今度も同じことが起こる。確信していた。

 父は事あるごとに、俺を家から出そうとしていた。県外に追いやって下宿させてしまえば、母とのつながりや愛着も切れると思ったのだろう。


 俺は俺でそれに抗って、父さんの望むとおりの完璧な人間になるからと、ひたすら何度も懇願した。


(また、同じやり取りを繰り返すのか)


 射抜くような目で俺を見下す父と、お願いしますと頭を下げ続ける俺と、そんなことは何も知らない母。

 ぼうっと中空を見つめる。焦点が定まらない中で、空梅雨の、少しだけうっとうしい湿度が部屋を満たしている。


 うんざり、していた。

 俺はいつまで、戦っていればいいのだろう。今すぐなにも考えずに、蝶でもマウスでも三島でもいいから、好き勝手に傷付けて、ばらばらにしたかった。そんな自分がひどくおぞましく思えて、嫌だった。


「……知識は、俺を裏切らない」


 ぽつりと声がこぼれる。グラスを持ったまま窓の外を見つめて、薄曇りのはっきりしない天気が、ガラス越しに淡い光を投げかける。


 もうほとんど効力を失いかけている言葉、俺を守ってくれるはずだったすべて。それを口の端に乗せて、虚しさに耐える。


「身につけた知識は俺を裏切らない。誰に奪われることもない。俺の周りに誰ひとりいなくなっても、知識だけは俺のことを最後まで守ってくれる」


 ──わたしの、代わりに。


 その声が痛切に思い浮かんで、いやだ、と思った。


 俺はどうすればいい。いつまで耐えればいい。

 母の笑顔とこの言葉だけをお守りに、いつまで、あの現象と戦っていればいい。


「それ……」


 ぽそり、と三島の声がした。

 俺は夢から覚めたような気持ちで、ゆっくりと顔を巡らせる。

 三島の、あの不思議な色の瞳が、とても静かに俺を見つめていた。


「俺も、そう思う」


 小さな、でもはっきりした声。

 なんの飾り気もない、単純な肯定は、俺の心をひどく揺さぶった。


(──……っ)


 顔が歪みそうになるのをこらえて、それでも眉が動くことだけは耐えられなくて、ただ頷く。

 ずっと三島を見ているとなにかが溢れてしまいそうだったから、俺はまた窓の外を見た。


「……母さんが、そう言ってた」


 口の中で、独り言みたいにささやく。


 俺を守り続ける、たったひとつのこの言葉。あのときの、絶対に忘れられない思い出。

 抱きしめられた感触、タンポポと春先の西風、うす青いきれいな空。


 三島と比べたら、俺はまだ幸福だったと思う。

 たった一度でも、与えられることを知ったのだから。でも。


(俺は、いつまで──……)


 わからない。なにもわからなかった。


 三島がそう、とささやく声が、とても小さく聞こえてくる。

 そうなんだ、と言いたくて、言いたくなくて。俺は黙って、グラスを一気に傾けた。

 氷が崩れる音がして、喉の奥がひどく冷たかった。



 

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