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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【中編 / 02】 境界を保つための

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 ごそごそと、自室の本棚から本を引っ張り出す。三冊そろったそれを袋におさめて、俺はドアの方を振り返った。

 三島は玄関で待っている。さっさと行ったほうがいいだろう。


 階段を下りて玄関に戻る。三島は所在なさげにぽつんと玄関に立っていた。上がっていけばいいのにと思ったが、夕飯を作るからと断られたのだ。


(夕飯、ね……)


 三島がもし家族のぶんまで作っているのなら、帰らなければならないと言うのも頷ける。だが、三島の口からは家族と口をきいたという話すら出てこないのだ。

 彼の家の中で、なにが起こっているのか。俺には類推すらできなかった。


「待たせた。ほい、これ」


 胸元に本を押し付ける。三島は慌ててそれを受け取ると、あれ、という顔をした。

 ちょい、と指先で中を見ろと指示する。三島は素直に袋を覗き込んで、ぱちぱちとまばたきをして俺を見上げた。子供みたいな仕草だった。


「おまけ。同じ作者の本、買ったから。ついでに付けとく」

「え。いいの?」

「いいの、いいの。お礼ってことで」


 さらりと言うと、三島はなんのことかわからない、という顔をする。

 量子力学はともかく、この作者の文章は面白かった。それは間違いなかったので、俺は素直に本を褒める。

 途端、三島が目をきらめかせて前のめりになった。


「だ、だ、だろ!? 面白いんだよ、量子力学!」


 ものすごい勢いだった。未分化の整った顔が紅潮して、宝石みたいな目がきらきら光った。硝子レンズ越しに、不思議な色合いが揺れる。きれいだなと思った。


(ほんと、普段からこれくらい喋ればいいのに)


 そしたらきっと、こいつだってもっと友達とか、大切な人とか、できるかもしれないのに。


 思わず笑ってしまい、三島があっ、という顔をする。

 恥ずかしそうに肩をすくめる彼に向かって、違う、と手を振った。疑わしげな目が俺を見上げてくる。


「元気出たみたいでよかったな、と」


 その言葉は、思ったよりずっと素直に口から出た。

 三島はえ、と口を開いた。またその顔だ。無防備でいとけない、子供みたいな顔。


「……」


 俺は少し黙って、なにかを考えようとした。でも、疲れ切った頭の中はちっともうまくまとまらなくて、喉の奥から勝手に言葉が漏れ出してくる。


「最近ずっとやってる、マウスの準備、あるだろ」


 三島が表情を固くした。こくん、と頷く。それきり彼は下を向いてしまった。

 やっぱり気にしてるんだな、と思う。


「あんなの、三島は絶対、良い気分しないってわかってたのに」

「それは……えっと」

「嘘つかなくてもいいよ」


 半ば作為的な、わざと作った口調と言葉で、誠実を演出する。自動的に出てくる俺の〝完璧〟が、勝手に仕事をはじめる。


「なんだかんだ行っておまえ、小さい生き物にやさしいから」

「そんなこと、べつに……」

「うちの蝶のことだって気にかけてたろ」


 本当は、気にかけてほしくなんてなかった。誰にも見せたくなかった。

 俺の中身なんて気付かれたくはなかったのに。

 どうして俺はよりによってこんな男を、あの部屋に入れたのだろう。


 なんだかよくわからない、ぐちゃぐちゃした気分になった。

 なにもかもを振り切るように、俺はごめん、と小さく吐き捨てる。ぼそりと言った。


「……嫌な思いさせたな。入部を許可した俺が悪かったよ」

「っ……」


 三島はただ、黙って息を呑んでいる。俺は自分の言葉が本当なのか嘘なのかもわからずに、ただ手を握りしめていた。自動操縦の勝手な〝完璧〟の運用が、俺の本心をわからなくする。


 じっとなにかを堪えていると、俯いた三島の顔から、ちがう、と小さな声がした。えっ、と思わず声が出る。


 三島は下を向いたまま、ぎゅっと胸元を握りしめて、半ば裏返った声で小さく叫んだ。


「か、勝手なこと言ってんなよ。そんなん謝られても、俺、嬉しくない……!」

「……三島」


 ぽつん、とした俺の呼びかけに、三島はますます下を向いて、言う。


「だ。だ、だって。俺、生研部に入って、……良かったと、思ってる」


 なにを言うこともできなかった。


「ほ……ほんと言うと、生物より、物理の方が好きだった。今もそう。でも、あそこに来たおかげ俺、知らないこと、いっぱい知れたし」


 三島はたどたどしい言葉で、必死だと明らかにわかる様子で、子供みたいに言葉を重ねた。

 その手元が、緊張にか恐怖にか、小刻みに震えていた。


「おまえが持ってくる本とか論文、いつも、すごい面白かったし、それに、えっと、なんか、その……」


 語尾がふらふらよろめいて、小さくなって消えていく。

 三島はそのまま、肩を落として黙り込んでしまった。胸元がかすかに上下して、呼吸が浅く、早くなっている様子が見て取れた。


(……ああ、)

 胸の奥でなにかが光った。確信があった。


 三島はもう──俺に敵対心を抱かない。

 むしろまったく逆の感情を持っている。それがわかった。


(俺の目的は、果たされたのか)


 ずるくて卑怯で最低の、俺の天敵みたいな男。

 弱みを握ろうと近付いてきた不穏分子を、逆にたらしこんで、取り込んでやろうという俺の魂胆。


 目的は達せられた。三島はもう、二度と俺を敵視しないだろう。

 そう思ったのに、安堵も達成感も、ひとつも湧いてこなかった。


 目の前で息を浅くして、緊張やいたたまれなさに震えながら、それでも俺のために言葉を選んでいる男。

 湧いてくるのはむしろ、彼に対する、よくわからない情みたいななにかだった。


 この玄関で口にしたのはすべて、誠実さを装った、半ば作為的な言葉だった。でも。


 ──それが〝半ば〟というならば、残り半分はどうなんだ。


 自然に浮かぶ問いかけに、どうしても上手に答えることができない俺がいた。わからない。俺はぐちゃぐちゃで、自動操縦が勝手に動いていて、もう本当に疲れていて、それでも最後まで抗いたくて、自分のことがなにもわからない。


 それでも、目の前で震えているこの男のために、なにか言ってやるべきだと思った。

 だから、じわじわと胸を満たすものに任せて、俺は笑った。


「……ありがとな、三島」


 自分でも聞いたことのない声が出た。

 それは母の前で出す声に少しだけ似ていて、でもどこかが決定的に違う、俺の知らない声音だった。


 三島が顔を上げる。ぼうっとした瞳が俺を見た。呆けたような顔のまま、こっちこそ、と小さくつぶやく。

 俺は吐息だけで笑うと、じっと三島を見つめた。


 素直で、いとけない顔だな、と思った。湧いてくるのは間違いなく情みたいなものなのに、同時に俺の底では〝現象〟がずるずるとうごめいていて、この男を加害したい、その欲求が、日に日に強くなっているのを感じている。


 不思議な感覚だった。胸のあたりがじわじわとにじむような感じがして、感情は快と不快が複雑に入り混じっていて、たぶん諦念にいちばん似ていた。


 三島が、詰まったような声で帰る、と言う。イントネーションもめちゃくちゃで、ほとんど片言みたいなそれに思わず笑ってしまった。


「なんで片言」

「えっと……わ、わかんない」


 そりゃそうか。わかってたら普通、ここまでぐずぐずにはならない。

 俺は小さく吹き出して、手を持ち上げた。三島の髪を少し撫でて、頭を二度ほど叩いた。


「……気を付けて帰れよ」

「う……うん」


 どこか気恥ずかしそうな顔で三島が頷く。素直な、いとけない、子供みたいな。今すぐにでも、捻り潰したくなるような。


 俺の中で嫌悪と欲望が同時に湧いてきて、でも、じわじわした不明な情が、その全てを覆い隠している。

 三島はドアに手をかけると、そのまま手を止めて。


「えっと……また生研部で」


 まるで約束みたいな言葉を口にした。ああ、と返事をする。


「……よろしくな」


 俺の言葉に、三島はこくりと頷くと、ドアを開けて出ていった。

 音もなく閉じたドア、その鍵を静かに回して、俺は誰もいなくなった玄関ドアをぼんやりと見つめた。


 三島のことを考えた。

 何度も何度も懸命に告げられた、大丈夫、という震える声。

 たったいま与えられた、誠実で真摯な、たどたどしくも拙い言葉。


 間違いなく、じわじわとした感情で心が動くのに。こびりつくように脳裏にちらつくのは、マウスの悲鳴と蝶の色彩、そして三島のピアスだった。透明な海の底みたいな、青くて小さい、とてもきれいな。


 息を吸って、吐いた。胸の内で小さく唱えた。


 三島は──きっと悪い奴じゃない。

 それはわかっている。でも。


 思い浮かぶ三島の姿が、脳裏にちらつく加害を誘う存在が、さっきもらった真摯なものを塗りつぶそうとする。強制的にあちら側に引きずり降ろされる感覚と、この男のせいで破滅する、というたしかな予感。


(──三島だけは、だめだ)

 確信に近いものを噛み締めて、思った。


 三島はだめだ。あいつだけは、絶対にだめだ。

 目的は果たされた、三島はもう俺を害さない。

 それどころか、俺の味方になってくれるだろう。俺の行為はもう、なんの意味もない。


(だから──あの男に、深入りすべきじゃない)


 それは警告を通り越した、いっそ悲痛な叫びだった。

 関われば破滅する、それがはっきりわかる。それでも。


 思い出されるのは震える声、たどたどしい、真摯な言葉。情と同時にやってくる加虐欲。ぐずぐずに混じり合った自己嫌悪。


「…………三島……」


 俺は靴下のまま三和土に立ち尽くして、嘘っぽい明かりが照らし出す玄関の中、じっと黙っていた。

 胸の中がよくわからないもので乱れて、うまい方法や正しい答えが、ひとつも思い浮かばなかった。




 

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