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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【中編 / 02】 境界を保つための

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 その日は部活が禁止だった。なんでも、教員たちの研修があるらしい。

 放課後、鞄の中身を詰めながら、俺はつらつら考えていた。

 三島のことだ。部活がないとなれば、今日は三島とあまり接触できない。


 本当は、ストレス付与実験のせいで三島の心が不安定な今、彼のフォローをしておきたかった。せっかくここまで来たのだから、逃げられるのは本意ではない。三島と会話しないことで、状況が悪くなるのは避けたかった。


(しょうがないな)


 餌と健康状態を見ることを口実に声をかけて、せっかくだから帰り道にどこか誘うか。三島はファストフード店にまだ慣れていないから、連れて行ってあれこれ世話を焼いてやるのもいいかもしれない。そうしよう。


 大股で歩み寄り、鞄を詰めている三島の前に座って、声をかける。

 マウスの世話どうする、と聞けばちょっと寄る、と返ってきて、少しだけほっとした。とりあえず、全てを放り出して逃げるほどではないようだ。


 三島の身支度を待ちながら、俺は机の上のタブレットを取る。表示されているのはゲーテのファウストだった。相変わらず異様に読むのが遅いが、それでも前よりはずいぶん進んでいる。

 進んでんじゃん、と声をかけると、三島は頑張ってるから、というようなことを言った。


 何気ない会話を流しながら、手慰みに参考書をめくる。相変わらず、ものすごい量の書き込みだった。

 そこかしこにマーカーが引かれ、注釈を書くスペースが足りないのだろう、紙面にはびっちりと付箋や紙が貼り付けられている。

 めくってもめくってもそれが続いていて、三島の予習はそうとう先まで進んでいるようだった。


(……いくらなんでも、異常だよな)


 俺の言うことではないかもしれないが、三島の知識に関する執着は少しおかしい。

 どうしてこいつは、ここまで必死になって、知識を頭に詰め込んでいるのだろう。


 参考書の横、タブレットが目に留まった。

 これの中にだって、ただの高校生が読むには難しすぎる本が、いくらでも入っている。

 一冊の値段だって馬鹿にならない、中二病の格好つけで買うには高すぎる書籍たち。そのほとんどが読了済みなのも知っていた。


 異常なほどの知識を詰め込んだ、傷まみれのタブレット。

 母からもらったというそれに、かすかに眉根が寄った。


 おそらく三島は、あまり家族に大切にされていない。

 それどころか、あの様子を見ていると、他人から正しく大事にされたことなど、一生で一度もないのかもしれない。それなのに、三島はこんなものを後生大事にしているのだ。


 なんだか──いたたまれなくなった。


 思い浮かぶのは春先の光景だ。

 うす青い空、西風とタンポポのにおいと、抱きしめられたやわらかな温度。

 耳元で大切にささやかれた、今も俺を守り続けるあの言葉。


 すっと視線を持ち上げた。目の前には、どう見ても愛されてなどいないのに、ぼろぼろのタブレットを買い換えられない男がいた。胸の奥が、少しだけじくりとする。


(俺はまだ──幸福だったんだろうか)


 たったひとときでも、与えられることを知っていたのだから。三島と違って。


 じわじわとした感情がしだいに胸の内側の色を変えていって、俺は三島から視線をそらす。

 ぺらぺらと参考書をめくって、意味もなく間違いの指摘なんてしたりした。


 俺の指摘にすごい、とばかりに目を丸くする三島へ、たまたま得意分野だったから、と言う。半分は本当で、半分は嘘だった。

 昆虫に関する分野に強いのは本当だったが、正直高校の内容なら、得手不得手関係なくひととおりはさらっている。


 ふと、三島が胸を押さえて目を伏せた。たまにやる仕草だった。俺はそっと彼を見つめる。

 思ったよりまつげが長い。レンズで屈折した光を受けて、まつげの合間から見える瞳がほんのり光っていた。やっぱりこいつ、ちゃんと見ればそれなりにきれいな顔をしている。


 俺はどうした、と三島の顔を覗き込んだ。たちまち三島ははっとして、勢いよく首を振る。

 いや、とかなんとか吃りながら、昆虫ってなんの、と尋ねてきた。


 一瞬だけ答えに迷った。

 でもここで嘘をついてもしょうがないと判断して、俺は口を開く。


「蛾とか蝶。今もいちおう、プライベートで生体の観察してる」

「へえ……って、いつやってんの、そんなの」

「家で普通に。一部屋使って飼育して、記録取ったり」


 言うと、三島はすごい、と目を丸くした。身を乗り出して、興味津々という顔つきだ。表情は無防備で、無警戒で──正直、ぞくっとした。そんな風に思う自分に、心底うんざりした。


 ぱた、と手が勝手に参考書を閉じる。

 くちびるが開かれて、気が付けば言葉が出ていた。


「……じゃあ、見にくるか?」


 三島がえっ、と口を半開きにする。本当によくその顔をする男だ、と他人事のように思って、俺は淡々と『今日は両親がいないから』と彼女を家に連れこむときのような文言を口にした。三島がよければ、という退路を作ることも忘れなかった。


 三島はあれこれと考え事をしていたようだが、小さく息を漏らすと、ためらうように俺を見た。


「い……行って、いいの」

「そりゃいいよ。だって俺が誘ってんだから」

「……うん」


 三島がほっと息をつく。そのガードの緩すぎる顔を見ながら、俺は自分に問いかけていた。


(俺はどうして、こんなことを言ってるんだろう)


 今日はファストフード店に誘う予定だった。

 家になんか上げるつもりはなかった。

 蝶を見せるなんてこと、一生、誰にもするつもりはなかった。


 あの蝶は俺の中身に直結している。

 誰にも見せてはならない、気配すら悟られてはいけないはずの、どろどろしたあの中身に。

 飼育室になんて、誰も近付けない方がいいのに決まっている。それなのになぜ。


 立入禁止の警告表示と同じ色、黄色と黒の翅が脳裏にちらつく。

 三島の目が俺を見て、おずおずとまばたきを繰り返す。

 ぞわぞわする感覚が嫌になって──俺は考えることを放棄した。


(これはきっとそう、好感度の調節だ)


 ストレス付与実験で下がってしまった好感度を、もう一度持ち上げるための。そうに決まっている。

 だってそれ以外に理由など、あるはずがないのだから。


 俺は完璧な顔で笑うと、おまえの好きそうなもん色々見せてやるよ、と軽い口調を作った。

 三島は嬉しそうに頷くと、最後に鞄のジッパーをジッ、と閉じた。



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