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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【中編 / 01】 一人目のファウスト

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 その一週間後だ。

 俺は橙色に染まった廊下を歩いて、教室に戻るところだった。


 帰宅したら読もうと思っていた本を忘れたのだ。

 どうせ学校ではほとんど読めないのに、せめて通学中だけでもと鞄に入れたのが間違いだった。なにかのついでに学校の机に入れてしまったのは、もっと間違いだったと言える。


 生物室のある一階からわざわざ二階に上がって、また玄関まで戻るのはおっくうだ。どうせなら帰宅時じゃなく、部活が始まる前に思い出せば良かったと思う。どうせ部員は俺一人だ、遅れたところで誰に何を言われるでもない。


 人気のほとんどない廊下を、黙って歩く。スニーカーが床とこすれる音。誰もいない中で俺の足音だけが響いていて、なんだか少し安心した。


 いつだって俺の周囲には、自然と人が集まってくる。それはわかっていた。そうであるように振る舞ってきたからだ。


 なにをやらせても完璧な、あらゆる点で欠点のない、人望あふれる優良な人間であるよう、ずっと自分を制御してきた。


 ときどき、たまらない気持ちになる。

 俺の心臓の奥、ずっとずっと深いところに、あの〝現象〟が眠っている。

 誰もそれを知らない。知らせるつもりもない。でも、誰も知らないということは、誰も俺を〝そいつ〟から守ってくれない、ということだ。


(でも、それでいいんだ)


 誰にも見せず、知らせずに、ずっと静かに、大人しく放っておいたら。

 いつかそいつが、消えてなくなってくれるかもしれない。そうだったらいい。そうであってほしい。


 こういうことを考えられるのは、周りに人がいないときだけだ。夕暮れに染まった廊下を歩きながら、俺はつかの間の思考にふけった。俺のうちに眠るものや、そいつとの付き合い方や、俺を守ってくれるはずだった存在について。


 そしてようやく教室の前にたどりついた、そのとき。


「──……っ、ありえねえだろッ!?」


 唐突に、教室の中からガンッ、とものすごい音が聞こえた。ぴくっ、と足が止まる。

 俺はそっとドアに歩み寄った。音を立てないよう、そうっと引き戸を開ける。


 そこには、クラスメイトの誰かが、足を振り上げて机を蹴り飛ばしていた。

 他の誰でもない、俺の机を。


(……あー……)


 思わず頭をかきむしる。

 こういうことは、昔からたまにあった。完璧な人間を作っていればいるほど、面倒な輩は絶対にどこかで湧いてくる。集団とはそういうものだ。


 目の前では痩せた眼鏡の男が、ガン、ガン、と何度も机を蹴り飛ばしている。

 置き弁だらけの机はさぞ重いだろうに、まるで飛び跳ねるようにがつがつ揺れていた。


「なんなんだよ! 意味わかんねえよ! 学年トップのスポーツ万能で、人当たりも良くて、顔もイケメンで背も高くてガタイも良くて!?」


 吐き捨てる悪態が耳を突き刺す。正直、どれも努力の末に勝ち取ったものなので、ああだこうだ言われても別に堪えない。

 むしろ、鼻をすすり、涙目になって何度も机を蹴るこいつの方が、よっぽどつらそうだった。


「転入早々女子にきゃあきゃあ言われて、男子からの信頼も厚くて、リア充陽キャで文武両道で顔も頭も性格もいい人気者!? はっ、んなわけねーだろ!」


 いっそ悲痛な絶叫に、あるんだよなあ、とため息をつく。

 とりあえず見なかったことにして、この場から離れてやるのがこいつのためだろう。俺はそっと踵を返そうとして、しかし。



「──ああいう奴に限って、陰で猫とか殺してんだよ!!」



(──ッ……!)


 びくっ、と肩が跳ねた。

 すうっ、と一気になにかが引いていく気配。まばたきの裏に蘇る、黄色と黒の散った翅。潰された胴体。


 俺は引き返すのをやめて、じっとその場で待った。

 教室では例の彼がスクールバッグを振り抜いて、俺の椅子を吹っ飛ばしたところだった。ガン、ゴン、と音を立て、こちらへ椅子が転がってくる。


 はあっ、はあっ、と肩を上下させ、彼はずっ、と鼻をすすった。手の甲で眼鏡を押し上げ、涙をぬぐうような仕草。

 可哀想に、と表面上だけでうっすら思って、俺は彼がこちらに気付くのをじっと待った。


 数秒もなかった。泣きそうな顔で眼鏡を整え、彼の視線がそっと椅子の行方を追う。

 

 その眼差しがはっ、とこわばって、ゆっくりと持ち上がっていくさまを、俺は淡々と眺めていた。

 

「……宗、像」


 絶望的な顔が俺を見た。

 思ったよりきれいな顔をしていた。なんというか中性的で、危なっかしい、未分化な感じがする。

 

 眼鏡のレンズの向こうで、呆然と目が見開かれた。丸くなった瞳が、薄い硝子板ごしに揺れている。うまく表現できない、不思議な色の瞳だった。

 

 俺は自分が恐ろしく冷たい気持ちになっていることを自覚しつつ、教室に踏み入った。ずかずかと彼に近付く。


 本当なら蹴り飛ばす程度、見ないふりして立ち去ってやったって良かった。

 こんなのは今までいくらでもあったし、こうやって俺に噛み付く奴らだって、ちゃんと相手をすればみんな、友達の一歩手前くらいにはなれた。でも。


 拾った椅子を席に戻す。

 俺の椅子を飛ばした犯人は、こわばった顔でこちらを見つめている。怯えきった、凍りついた表情。

 

 俺はちらと横目で彼を見た。ふうん、と思って、近付く。

 びくっ、と彼は一歩下がって、机にしたたか腰をぶつけていた。

 

 なんとなく手を伸ばした。彼はますます顔をこわばらせ、ぎゅっ、と目を閉じる。自分で危害を加えておいて、いっそ悲痛なくらいの表情。

 俺は小さく息をつくと、すげー顔、と言った。

 

「へっ」


 ぽかん、と目を見開く男。口まで半開きになっている。

 そのみっともない顔をスルーして、俺はさっと彼の二の腕に触れた。ずいぶん痩せた腕だった。

 軽く力を込めても表情に変化がないことから、筋を痛めたりはしていないようだ。

 

 力を込めた瞬間、このまま本気で握ったら折れるかな、と一瞬だけ思った。悪い予感のようによぎったそれを振り払い、俺はそっと手を離す。

 

 ついでにあちこち確認するが、彼はただ驚き、うろたえるばかりで、どこか痛めたという感じはなかった。

 ふむ、と俺は頷く。遠慮がちな声が降ってきた。

 

「だ……大丈夫だから」

「みたいだな」


 俺の頷きに、反射的にだろう、こくりと頷く仕草が素直だ。

 これ以上こいつに触れていたら、俺の〝現象〟が妙な気を起こしかねない。どこも悪くないならいいか、と俺はさっさと忘れ物を回収する。


 踵を返し、教室の外に向かった。

 彼の視線が、じっと俺の背中を追いかける気配。

 まあそりゃそうだろう。机を蹴り飛ばされた当人に、こんなリアクションをされたら、普通は戸惑う。ただ、俺には自制すべき理由があった、それだけだ。

 

 教室から一歩外に出て、そのまま帰ろうと思ったのに。さっきの発言が脳裏にちらついて、俺はつい、足を止めていた。

 

 腹の底で存在を主張する凶暴で冷えたもの、あの現象が動き出す気配、それをぐっと飲み込んで、呼びかける。

 

「おまえ、名前なんだっけ」

「え……三島……三島凪」

「三島ね」


 口の中でつぶやいた。

 念のため覚えておこう。逆恨みとか、あったら面倒だし。

 

 俺はゆっくりと顔だけで振り返った。

 スクールバッグを胸に抱き、バカみたいな顔で俺を見つめる、三島とかいう男。

 呆然とした瞳が、ガラス一枚を隔てて俺を見つめている。揺れ動くのは名前のない宝石のような、不思議な色合いの瞳。思ったよりはきれいな顔。

 

(三島凪、か。まったく──見る目のある奴だよ)

 それこそ、忌々しいほどに。

 

 思わず、薄く笑う。しきりに脳裏にちらつく、鮮やかな蝶の色彩。

 俺はできるだけまっとうそうな笑みを浮かべたまま、ものすごい嫌味を込めて、言った。

 

「俺、さすがに〝猫は〟殺さねえよ」

「──ッ……!」


 さっ、と三島が顔色を変えた。

 たじろぐように視線が落とされる。ちょっとした牽制にしては、過剰なくらいの効果だった。

 

 十分な成果に喉の奥だけで笑って、俺は廊下を歩きだす。

 もうここに用事はなかった。どうせ相手は小物だ、追いかけてくるようなこともないだろう。

 

 きゅ、きゅっ、と歩くたびにスニーカーが床を鳴らす。教室が遠ざかる。

 耳障りな音を聞きながら、俺はようやく、三島が例のファウストの男であることに気が付いた。

 

(ふうん……)


 ずっとタブレットに伏せられていた顔は、想像よりはきれいだった。なんとなく危なっかしい感じの、なにかふたつの間で揺れるような、未分化の。

 

 あんな顔立ちしてるくせに、教室での存在感がゼロとか、いっそびっくりする。もっと喋ったり、笑ったりすればいいのに。

 

 まあいいか、と気持ちを切り替えた。階段を一段ずつ下りて、玄関に向かって角を曲がる。三島の叫びが蘇る。猫殺し。何度もそれを否定した。

 

(違う。俺は、大丈夫だ)


 だって猫は殺してない。

 哺乳類には手を出してない。

 虫なんて誰でも殺す。俺は大丈夫だ。

 大量発生のすえ生態系を乱すかもしれない昆虫を、定期的にひとりで駆除しているだけ。


 言い訳だなんてわかっていた。俺はとっくの昔に契約済みで、悪魔に魂を売っている。

 それでも俺は、他に方法を持たない。うまいやり方も、きれいな扱い方も、上手な取り繕い方も、なにも。

 

「あいつ……最低だったな」


 ぼそっ、とつぶやく。

 三島凪。見えないところで罵倒しながら人の机を蹴り飛ばす、ずるくて、卑怯で、最低な男。まだ大丈夫なはずの俺を、猫殺し呼ばわりした奴。

 

 それでも、俺は彼を尊重しなければならない。円滑な人間関係を築かなければならない。

 だって俺は、契約に基づいて、完璧でいなければならないのだから。

 

(完璧で、瑕疵のない、完全な人間でなければならない)


 でなければ俺は、もっとも大切な人を奪われることになる。

 俺を守ってくれるはずだった、たったひとりの人。あたたかい、春先の西風みたいなにおいの、思い出すだけで泣きたくなる、本当にやさしい人。

 

 転院は大丈夫だったろうか。急に環境が変わって、発作的な行動がさらに増えていなければいいけど。

 それでも、陽性症状があそこまで酷いまま前の病院に放っておかれるよりは、ずっといいはずだ。

 

 もう何年も見ていない、あの笑顔を思い出す。

 咲きはじめたタンポポみたいな、あたたかくて、やわらかくて、泣きたくなるようなあの表情。たぶんもう、二度と見られることはない。

 

「……。……帰るか」


 感傷を振り切る。俺はことさらに背筋を伸ばすと、校舎のドアをくぐって外に出た。

 橙色に染まった空を見て、薄く目を細める。

 

 思い浮かべた今は無き笑顔、早く次の面会ができることを、心から願った。



 

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