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【完結・BL】転校生に学年トップを奪われたから弱みを握ろうと友達のフリして近付いたらとんでもない修羅場が待っていた  作者: Ru
【前編 / 03】 蝶のゆく先

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 土日が終わり、週が明けた。


 俺は大人しく処方された栄養剤を飲み、少しだけ丁寧に風呂に入り、勉強時間だけは減らさないまま、週末を過ごした。

 睡眠時間はまったく増えてはくれなかったが、栄養剤はプラセボでも効果を発揮したらしい。頭痛は少しだけましになっていた。


 放課後。俺はぼんやりと肘をつき、少し遠くで友達と談笑している宗像を眺めた。

 けらけらと肩を揺らして笑いあう様子はいつもとまったく変わらず、明るく、実直で、清潔で完璧だった。


 週末のあいだ、宗像から連絡は来なかった。珍しいことじゃない。むしろ宗像は俺がすぐ緊張するのを知っているから、必要もなく連絡してきたりはしない。

 それでも、あの土曜日の出来事があったせいで、俺はなんとなく落ち着かない週末を過ごすことになった。


 とん、とん、と爪の先でタブレットを叩く。画面には、じわじわとしか進まないゲーテのファウスト。週末に読もうと思っていたのだが、気が散ってちっとも読めなかった。


(宗像は……平気そうだな)


 あのバス停で、うつむいた横顔から漏れた言葉。

 知識は俺を裏切らない。

 その意味がわからないまま、俺は宗像に対する感情を、うまく判断できないでいる。


 宗像は、たぶんとても、いい奴なのだろうと思う。


 まっすぐで、実直で、誠実で、他の人のことを、きちんと正しく気にかけている。

 ストイックで、自分を律することを決して忘れない。

 きっと真正面から向き合って話をすれば、友達にだってなれるんじゃないかと思う。


(でも……)


 それでも、俺は、宗像と友達にはなれない。理由は上手に説明できない。

 俺が彼に近付いた最初の経緯はちっとも美しくはなかったし、こうして多少なりと互いのことを知った今になったって、俺の中にうずまく嫉妬じみた感情は消えてなくなることはなく、それに俺には宗像に話せないことが多すぎた。


 いや、話せないのは宗像に限った話じゃない。誰に対しても、だ。


 錨がどうとか、不安定な足元がとか、俺がいずれ無くなってしまうんじゃないかとか。そんなこと、誰にも言ったりできない。


 自分の中のいちばん弱くてやわらかい部分を、他人に晒すのは嫌だった。それに一度口にしてしまえば、俺の中のなにかに傷が付いて、どんどんみじめになってしまうんじゃないかと思って、怖かった。


(宗像は……どういうつもりで、あの言葉を言ったんだろう)


 知識は、俺を裏切らない。その真意を問うことはできそうもなかった。宗像の前には閉じたドアが広がっていて、俺はその周りをうろうろとさまよっているだけだ。


 何気なく時計を見て、ああそろそろ部活の時間だ、と思った。胸の底が少しだけ重くなった。


 生研部が楽しくないわけじゃない、でも、あの〝最終準備〟だけはどうにも気が進まないのだ。

 ストレス負荷マウスを作る作業は、着々と進んでいた。


 先週、宗像は電撃に加えて、いつまでも元気そうなマウスを死なない程度に水に沈めた。


 淡々と作業を行う横顔からはうまく感情を拾うことができなくて、俺はいつも研究テーマを探すふりをしながら、意味もなく学術雑誌をぺらぺらめくったりしている。耳をつんざくマウスの悲鳴に、少しだけ慣れてきた自分がなんだか嫌だった。


 だけど、宗像はぜんぶ承知の上で、自分の手で準備をしているのだ。ただ見ているだけの俺が、暗い顔をするわけにはいかなかった。


 俺がなにを言っても、彼は絶対に俺にボタンを押させてくれない。これは俺の研究だから、それだけを何度も繰り返して。


 ……気を遣われているのだろう、とは思う。

 その気遣いが、宗像の引いた一本の線、あるいは目の前に横たわる一枚のドア、のように感じられて、なんだか良くわからない感情がじわじわと湧いてくる。


 この男の懐へ、一歩でも深く近付きたいと思う、でも。

 その理由はなんなのだろう。俺は宗像と、どうなりたいんだろうか。


 視線の先では、宗像が友達と笑いながらバカ、と小突きあっていた。

 じゃれるような仕草は健全で、年相応の高校生らしさがあって、完璧ながらも親しみやすいものだった。どんなに見ていても、あの瞬間のように息が詰まることも、鼓動が鳴ることも、指先が震えそうになることもない。


(なんか……嘘みたいだな)


 宗像といるとときおり訪れる、あの〝なにか〟としか言いようのない感覚。

 まばゆいほどのリアル、流星にも似た圧倒的な質量、俺の内側で火花を散らす、生きている、と深いところが震えてくる、強い情動。


 たった一瞬で通り過ぎてしまうあの強烈な感覚に、もし身を任せてしまったら、俺はどうなってしまうのだろう。わからなかった。


 頬杖をついてタブレットを見下ろす。画面では、若返ったファウストに惚れ込んだ少女が、彼との逢瀬のため母親を薬で眠らせるも、投薬量を間違えて母親を殺してしまったところだった。


 とん、とん、と画面を爪の先で叩く。文字の内容はほとんど頭に入ってこない。

 ただ思い出されるのは、流星のように俺の内側を通り抜けていく、たった一瞬の〝なにか〟だ。正体のわからない、まばたきより短い間に逃げてしまう、強烈な情動。


 その正体に思いを馳せると、ひたひたと足元で、なにか暗いものがわだかまるような気配を感じる。

 うっすらとした、恐怖のような、それでいて高揚のような、明言しがたい陶酔の感覚。

 それに見ないふりをして、蓋をする。なんとなく、あまりそっちに行ってはいけないような気がしていた。


 そのとき、ふと宗像と目が合った。ひら、と手を振られ、俺はとりあえず会釈を返す。

 宗像が大股で近付いてきた。生物室行こうぜ、といつもの呼びかけ。頷いて、荷造りをする。


「三島の好きそうな話、バケガクの先生から仕入れてきたぞ」

「……なあ。今日もあれ、やるの」


 勝手に声が重くなってしまって、しまった、と思った。


「……水に沈めるやつ?」


 宗像の声がかすかに潜められる。俺はおずおずと頷いた。

 気遣いめいた視線がちらと俺を伺って、悪い、と小さな謝罪。

 ごめんなんて言わせたかったわけじゃないのに。俺はなにを言ってるんだろう。


「あ、謝んなよ。大丈夫だって言ったろ」


 宗像はわずかに黙った。じっと視線が俺を見つめる。あのよくわからない瞳。

 それが実験マウスを見つめるときのものととても良く似ていることを、今の俺はもう知っている。

 でも、それ以上のことは何もわからない。


 宗像が、さらっと表情を切り替えた。ならいいんだ、と明るい声。そういう声を俺のために作ったのだ、とわかっていた。

 荷造りの手を止めて、そっと宗像を見上げる。彼は笑って、俺の頭にぽん、と手を置いた。


「そうだ。帰り、一瞬うち寄るか」

「え。なんで」

「例の量子力学の本。読み終わったから貸してやるよ。すぐ読みたいだろ」

「あ……うん」


 これはつまり、『だから元気出せよ』というメッセージだ。

 それくらいのことが簡単にわかる程度には、俺は宗像のことを知っている。彼の気遣いも、心尽くしも、親切も。でも。


(……『でも』、なんだ?)


 わからない。独白の続きは、ちっとも出てこなかった。意味のないつぶやきだ。


 俺は最後にタブレットを鞄に詰め込むと、ジーッ、と一気に鞄を閉じた。

 持ち手を握って、立ち上がる。宗像が笑って俺を見た。


「じゃあ、今日も元気に部活動と行くか」

「……うん」


 頷きを返して、俺達は連れ立って教室を出ていった。

 帰りに一度電車を降りて、宗像の家に寄るのなら、うちに着くのは遅くなる。夕飯はすぐできるメニューにしないとな、と考えて、俺は宗像と肩を並べ、階段を一段ずつ下りていった。



 

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