13
さんざん本屋を満喫して、手汗で若干やわらかくなった(と宗像が笑ってた)表紙をレジに通して、外に出て。てっきり帰るのかと思ったら、宗像はそのまま繁華街をぶらぶらしはじめた。
賑わった街並みをあてもなく歩いて、気になった店に気まぐれに入って、ああだこうだと喋ったりする。
(そうか、用事が終わったら帰る、ってわけじゃないのか……)
正直、カルチャーショックだった。取り立てて目的もないのに、ただ辺りをうろつくだけ、という行為は、俺にとって最も馴染みのないものだった。
そもそも繁華街を見て回ること自体、慣れていないのだ。何度も人にぶつかりそうになったり、俺だけ後ろに置いて行かれそうになったり、ただ歩くだけでも難儀する。
そのたびに宗像は立ち止まって俺を待ったり、わざわざ迎えにきたりした。
「わ、悪い……俺、また流されて」
「はは、見事な流れっぷりだったな。おまえ、別にちっさくもないのに」
なんでここまで流れてくんだろうな、前世は素麺かよ、とか適当なことを言われる。うう、ごめん、と小さくなっていると、宗像が楽しそうに笑った。
「いっそもう、どっか掴んどくか?」
ひら、と手を振られていやいやいや、と首を振る。それはいくらなんでも、絵面的にどうなんだ。
「こ、子供じゃないんだから」
「たぶん子供のほうが、もうちょっと上手に歩くぞ」
「ぐ……っ」
言葉を詰まらせてくちびるを噛む俺に、宗像はまた笑った。
「ま、大の男がお手手繋いで、ってのはねえか。ほら」
そう言って、ショルダーバッグのストラップを持ち上げる。その意味を取りかねて、俺はかすかに首を傾げた。ふ、と宗像が笑う。
「ここ、掴んどけば。それならまだマシだろ」
「う……わ、わかった」
正直、それはそれでものすごく躊躇したが。これ以上人波に流されていては、ろくに移動もできないだろう。仕方がなかった。
「ではその、失礼して……」
「はいはい、どうぞ」
そろりとストラップを握る。じゃ行くぞ、と言って、宗像はゆっくり歩き出した。
明らかに俺に合わせた歩幅、たまに視線が確認のようにこちらを向く。なめらかな瞳の表面に、戸惑いきった俺の姿が映っている。なんだかすごく落ち着かない。
そわそわする感覚をごまかすように視線をさまよわせて、あ、と小さく声が漏れた。気になるものを見つけたのだ。なに、と宗像がこちらを向く。
「いや、ちょっと気になって」
「見てく?」
「いいの?」
「そりゃいいよ」
宗像の苦笑する気配。
「じゃあその、失礼して……」
「ははっ、さっきからずいぶん礼儀正しいこと」
「う、うるさいな」
ぼそぼそと反論して、眼鏡を整えて。俺はそっと、可愛らしい雑貨屋のガラスをくぐった。中には女子がひしめいている。ものすごく居心地が悪い。
(う……これだけ見たら、すぐ出よう……)
なんだか空気からキラキラしていて、落ち着かないのだ。いい匂いもするし。俺は足早に、入口から見えていたキッチンツールの棚に向かった。
「……あった」
人間工学に基づいて作ったという、流線型のおたまとトングのセット。ものすごく使いやすいとSNSで評判で、気になっていたのだ。
サンプルのトングをそっと手に取ってみる。持ちやすい。挟みやすい。これはいいな、便利そうだ。くるりとおたまに持ち替えて、傾けたりしていると、ふと視線を感じた。
宗像が、じっと俺と、俺の手元を見つめている。ああ、と顔を上げた。
「これ、便利そうだと思って」
宗像はなにか言いたげな顔をしている。そうやってまじまじと見られると、なんだか落ち着かないんだけど。なにが言いたいんだ。
問いかけるつもりで見上げると、宗像は目をぱちぱちさせて、言った。
「おまえ、料理できんの」
「できるっていうほどじゃないけど。時間かかるの嫌いだから、簡単なものしかやらないよ」
なにせ俺は両親から、金で自分の管理を〝外注〟されているのだ。料理も片付けも洗濯も、自分でやらなきゃ誰もやってくれない。
「昨日も丼で済ませたし。洗い物、一個でいいから楽なんだよね」
どうせ自分しか食べないのだ。凝ったものなんて作る気にもならない。最低限栄養が摂れて、眠くならずに勉強ができれば、それでよかった。どうせ味なんて、ここ一年くらいは正直あまりわかっていなかったし。
「丼って」
「親子丼。モモ肉、安かったから」
「……買い物も行ってんの」
「そりゃそうだろ。買わなきゃ、食うもんないし」
うちの冷蔵庫に、食料はほとんど置いていない。母も父も外食が多くて、うちで食べるのなんて簡単な朝食くらいだからだ。誰かの食材と間違えることがないのは幸いだが、自分で用意しなければ簡単に食いっぱぐれる。
とはいえ、そういう細かい事情はさすがに話さなかった。俺は宗像の懐に入りたいのであって、彼を懐に入れたいのではない。心理的接近に対して自己開示が有効なのは知識として知ってはいたけれど、むやみやたらと自分の事情を話す気にはなれなかった。
その宗像はというと、目を軽く見開いて静止している。なんだよ、と視線だけで問いかけると、彼はなぜか、かすかに顔をしかめた。
「いつ勉強してるんだ」
「え? メインは朝だけど。早朝は頭を使うやつ、深夜は暗記もの、って定番だろ」
「何時に起きてる」
今日の宗像はどうにも質問が多い。俺は小首をかしげて、ええと、と記憶をたぐりよせた。
「五時くらいかなあ。朝って苦手だから、あんま早く起きれなくて」
「……」
「宗像?」
よくわからない表情で、宗像がじっと俺を見つめている。なんだ。
「今日も?」
「へ? まあ、うん」
いつも通りに起きて、いつもと同じように勉強して、朝食を食べて出てきた。正直今までは、もう三十分くらいゆっくり起きていたのだけれど。生研部に入ってからはずっと五時起きだ。
入部前は、放課後はいつも図書室で勉強していた。進学校の図書室だ、自習している人も多い。集中するにはうってつけの場所だったのだ。
だが今は、放課後の予定は部活動で埋まっている。その分は早朝や深夜に頑張るしかない。
とはいえ、そういう理由は言わないでおいた。
宗像は生研部も入って、朝の走り込みもして、ついでに部活の助っ人もして、なのに学年トップを取っている。そんな彼に、睡眠時間を削って生研部で開いた穴を埋めているなんて、絶対に言いたくなかった。
宗像はなにを考えているのか、じっ、と俺を見つめている。たまに見る、よくわからない、色のない静かな目だ。なめらかな表面に映るのは、疑問符を浮かべた俺の表情。
「な、なんだよ?」
宗像の静かな目、そこにゆっくりとまぶたがかぶって、瞳が隠れて。
黒に近い焦茶の瞳がまた現れたころには、あのよくわからない色は見えなくなっていた。
「……いや、悪い。なんでもない」
「そ、そう……」
(なんなんだ……?)
宗像は基本的に、なにを考えているかわかりやすい男だ。
というより、『なにを考えているか、わかりやすく表に出すように心掛けている』といった方がいい。表情や仕草や目付きを使って、わざと意図を汲みやすくしている。コミュニケーションが円滑に進むように、だろう。
そんな彼がたまにする、よくわからない表情。入部以来何度も見ているが、未だに真意は掴めない。
いずれあの目の意図が掴めるようになるとしたら、俺が奴の懐に、完全に入り込めた時なのだろうか。
(早くそのときが来ればいいのに)
そしたら俺は安心して、知識を信じることができるから。
持っていたトングとおたまを、そっと棚に戻す。もういいよ、と宗像に笑いかけた。彼はおう、と頷くと、
「なら、どっか入ろうぜ。こいつ触らせてやるよ」
ちら、と袖をまくってスマートウォッチを見せた。
どっかってどこ、と問う俺に、宗像は楽しげに笑う。
「三島の好きなとこでいいけど。喋ってても平気なとこなら、あそことか」
ちら、と指さした先、窓ガラスの外を見る。全国チェーンの有名ファストフード店の大きな看板が見えた。
え、と口が半開きになる。思わず言葉が漏れていた。
「お、俺、行ったことない……」
「マジか。じゃあ注文方法あとで教えるな」
つい言ってしまった、バカみたいな自白を、宗像は笑ったりしなかった。俺が先に注文するから、真似しときゃいいよ、とさらりと言う。
「おまえ何なら食えそう? 同じやつ頼むから。言葉そのまま真似しときな」
宗像がスマホを取り出し、さっと検索。メニューを見せてくる。液晶には似たようなバーガーが並んでいた。なにが違うかわからない。
途方に暮れて顔を上げる俺に、宗像はあー、と軽く天井を見上げた。
「うし、一個ずつ説明するわ」
「ま、待てって宗像。……ここで?」
「――あ」
はた、と宗像が静止した。実直な視線が辺りを見回す。
きらびやかなアイテムばかり並ぶ、女子向けの雑貨屋。
かわいらしい置物や、コースターやカトラリー、造花なんかが並んでいる。ふわふわした霧が漂う一角には、なんだかいい匂いまで漂っている。
あちこちから視線を感じた。といっても俺に対するものじゃない。宗像だ。
そりゃそうだろう、これだけ目立つ色男が、女子の巣窟みたいな店の中、でかい背を丸めて話し込んでいるのだから。俺が女子でも見る。
「あー……外、出るか」
顔をしかめ、気まずそうな声。宗像のこんな姿を初めて見た。
俺は思わず吹き出して、わかった、と肩を揺らす。宗像がちえ、と小さく舌打ちした。
「ほら三島。行くぞ」
催促のように持ち上げられたショルダーバッグ、ストラップをそっと見下ろす。俺はちらりと宗像を見上げると、笑みまじりにうん、と小さく頷いた。
ストラップの端を握る。それを確認した宗像は身を翻し、普段通りの大股で入口を目指していった。俺に歩幅を合わせないのはたぶん、早く女子の視線から逃れたいからだ。
(ははっ、珍しいもん見れたな)
宗像の無防備なところが見られたようで、なんだか気分がいい。
俺はくすくす笑いながら足を早め、宗像に引っ張られるまま、晴れた街並みの外へ出て行った。