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母の行き先を探すのは、スムーズには行かなかった。それはそうだ。父が本気で隠して、俺もあれだけ探し回ったのだ。いくら『さあ探そう』と言ったところで、現実が変わるわけじゃない。
それでも、変わったものもあった。
友人は俺の話を聞いてすぐ、屋上前に他の友人たちを呼びつけた。深い事情は話せないと前置きして、どうしても俺の母親を探したいのだと呼びかけた。
肝心なことを一つも聞いていないのに、彼らは一も二もなく頷いてくれた。
三人寄れば文殊の知恵。それどころか、俺にはもっとたくさんいる。
友人の言葉は本当だった。自分では考えもつかなかった方法を、彼らはいくつも持ち出してきてくれた。
連日の昼休みをすべて放棄して、俺たちは母探しに奔走した。
そうしてようやく光明が見えはじめたのが、あの屋上から三日後のことだった。
「これだけ探していないんなら、もしかして、精神科以外にいるとか」
ぽつりと落とされた言葉は、固定観念に固まっていた俺の認識を塗り替えた。たしかに、はっきりした身体症状が出ていれば、別の病棟に回されることもある。
だがそれは、選択肢が極端に増えたということに他ならなかった。絞り込む方法も見つからず、俺は友人たちが作った電話番号リストを手に、ありったけの病院に連絡をとった。それでも母は見つからなかった。
だが、昼休みの終わり際、ようやく事態が動いた。親身に話を聞いてくれた病院スタッフから、ひとつの可能性を得たのだ。
『もし、病院側でシャットアウトしていないのに見つからないのであれば……治験に協力しているのかもしれませんね』
完全に盲点だった。短く礼を言って電話を切って、そこから俺たちは、治験施設も捜索対象に追加した。
母の病気に関わる治験を行っている病院や施設はさほど多くはなかったから、作業の手間はそこまで変わらなかったのだ。
翌日の昼休み、手当り次第に治験センターに連絡を取り、とうとうすることもなくなって、ただ待って。
午後の授業がはじまり、五時間目が終わったころ、一本の着信に気付いた。さっき連絡した病院のひとつ、その臨床治験センターからだった。
慌てて教室を飛び出して、廊下の陰でかけ直した。センターのスタッフは、宗像静江という人物はたしかにうちにいる、と断言した。聞いた途端全身の力が抜けて、スマホを取り落しそうになった。
電話口のスタッフはためらうように、実は患者の夫に『息子からの連絡はすべて無視しろ』と言われていたのだと伝えた。
だったらなぜ、と問うと、母本人に確認したのだという。俺の言った言葉も、メールで送った学生証もすべて見せて、母はたしかに息子だと断言したのだとか。
どうしてもあなたに会いたがっていますと伝えられ、深い安堵の息が漏れた。スタッフの立ち会いのもと、短時間の面会なら許されると告げられる。思わず良いのですかと尋ねる俺に、電話口の声は迷うことなくこう言った。
『患者さま本人とそのご主人なら、私たちはご本人の意志を優先します』
ためらいのない言葉に、でも、と声が出る。
「でも、母の判断能力は、もう──」
『それは来ていただければわかります。とにかく、お待ちしていますから』
きっぱりと言われて、俺は面談の時間を決めた。放課後に向かうと伝え、電話を切る。どうせあれ以来、部活はずっと休止中だ。行かない理由はひとつもなかった。
友人にことの次第を話し、行ってくると伝えると、彼らは自分のことのように喜んでくれた。良かったなと掛けられるいくつもの声、向けられる裏のない笑顔に、三島にもこういう相手がいればよかったのにと、心から俺は思った。




