4 勝手にジロジロ見させていただきます
そして迎えた日曜日。
俺が住む湘南台から辻堂までは、バスから私鉄に乗り換えて、さらにJR線に乗り換えないと行けない。
到着などギリギリでいいのだが、時刻表の都合で約束していた時間より十五分も早く到着してしまった。
辻堂は駅とショッピングモールが繋がっていて、休日は特に人通りが多い。
人の流れを見ながら、俺は隅でウンコ座りをして、ライターで煙草に火をつけてそれを吸い始めた。
私服だし、別にバレはしないだろう。
「こら、高校生が煙草なんか吸ってんじゃないわよ!!」
突然、俺を怒鳴る声にビビッて体がビクンと震えてしまう。
安達かと思って、慌てふためきながら地面に煙草をグリグリ押し付けた。
「……吉岡?」
改めて顔を上げると、安達ではなくて吉岡だった。
ピンクのトレーナーに黒のキュロットと、白のダッドスニーカーという私服姿の吉岡は、不機嫌そうに仁王立ちをして俺を見下ろしていた。
安達かと思ってヒヤヒヤしたが、吉岡ならギリギリセーフか。
「辻堂の駅周辺って路上喫煙禁止でしょ? そもそもあんた高校生でしょ?」
「んだよ……火ぃ消したからよ、もういいだろ」
「ダメ。そもそも吸ったらダメでしょ、吸ったら。また停学になるわよ?」
「オメーが言わなきゃ学校にはバレねーよ」
「じゃあ、安達先生に言っちゃおーかな?」
吉岡は上を向いて、調子良さそうに俺を脅してきた。
「なっ……おい、マジで言ってんのか?」
「安達先生にチクられたくなかったら、これからは禁煙すること」
「わ、わかった。吸わねーよ、もう……」
「それでよし。イマドキ煙草なんて嫌われるわよ、優子にもな」
「…………ちっ」
そもそも櫻井からどう思われているのか分からないものの、たかが煙草ごときで櫻井に煙たがられるのも嫌だ。
ニコチンが切れたらイライラするので禁煙できる気はしないが、櫻井との関係と安達への密告がかかっているなら、禁煙にトライしてみようと心に誓った。
俺が立ち上がると、吉岡は俺を上から下まで、舐めまわすように見た。
「……んだよ、ジロジロ見やがって」
「岡崎……あんた、本当にそういう服しか持ってないのね」
「そういう服って、コレのことかよ?」
そう言いながら俺は自分の服の裾を引っ張った。
「まさか本当に、いかにもヤンキーですって服を着てくるとは思わなかったわ」
「うるせーほっとけよ。これでも俺の手持ちで一番綺麗な服なんだよ」
今日の俺の服装は、上下黒のパーカーとスウェットで、上のパーカーには金色でアルファベットの文字と、背中には骨を加えた犬のイラストが記されていた。
返り血を浴びても目立たないので、黒い服は好きなのだが、この服は一度も喧嘩で使ったことがないので、俺が持っている服の中では比較的綺麗な代物。
だから着ていたというのに、吉岡は俺の服装を見てため息を吐いていた。
「そういうオメーだって、なんだそのピンクの服は……」
「これ可愛いでしょ? 有名なインフルエンサーも愛用してるのよ?」
「おお、そうか……」
「なによ、なんか文句あるの?」
「なんでもねーよ」
いわゆるイソスタってヤツで人気だとでも言うつもりなのだろうか。
確かに似合ってないわけではないが、派手さで言ったら大差ないだろ。
「まあいいわ。それより、ちょっと早いけどお昼にしましょう?」
「昼? 昼ってなに食うんだよ。この辺カフェしかねーだろ」
「私のリサーチ力をナメるんじゃないわよ、いいからついてきなさい」
「おい、ちょっと待ってよ。辻堂は俺、詳しいんだよ。勝手に歩くなよ」
既に昼を食べる予定の店に目星をつけているのだろうか、ずかずかと歩き始めた吉岡の後を文句を言いながら追った。
自信満々に足を進めた吉岡に連れていかれた飲食店とは、辻堂駅からほど近いビルの中に店舗を構えていた。
入店すると、おもむろに吉岡は端末を操作する。
「カウンターでもいいわよね?」
「……ってオイ、オメーこれ、寿司屋じゃねーかよ」
「あらいいじゃない、百円回転寿司って万能なのよ?」
「なんでだよ!! たけーだろうが……」
「食べ方よ、食べ方。寿司でお腹を満たそうとするから高いのよ」
言いながら吉岡は端末から発券して、二人で並んでカウンター席に座る。
「……最近の回転寿司って、寿司流れてねーんだな」
「注文したら注文品が高速スライドしてくるのよ。ほら、あんたも頼みなさいよ」
そう言いながら吉岡は端末を指差して、それを操作するように促してきた。
「なんだコレ、寿司屋なのにラーメンとかうどんまであるのかよ」
「イマドキの回転寿司って、寿司が食べられるレストランなのよ」
「なるほど、アラカルトで腹を満たせってことか」
とりあえずラーメンと唐揚げと寿司をいくつか頼み、届くのを待つ。
吉岡はスマホを弄りながら商品を待っていた。
吉岡の顔を見ながら、俺は素朴な疑問を抱く。
「……おい吉岡、一つ聞いてもいいか?」
「なによ?」
スマホに目を向けたまま返事をしてきた。
「今日の買い物、なんで俺に頼んだんだ?」
「どういうこと?」
「他にいねーのかよ、頼める男子」
「なによ、私と買い物に来るのが嫌だって言いたいの?」
「そういうわけじゃねーけどよ、オメーにも世間体ってモンがあるだろ。俺と休日に出かけていたことが噂にでもなったら、めんどくせーんじゃねーの?」
そう聞くと、吉岡は静かにスマホをポケットにしまった。
そして顔を上げて、真顔で俺を見つめた。
「私、あんたしか話せる男子いないのよ」
想像よりも単純で、しかし俺の胸を高鳴らせるには十分すぎる回答だった。
「な、なんだよ、その理由は……」
「しょうがないでしょ、男の子の友達っていないの。だから男の子から感想を求めようと思ったら、現状で頼める相手って岡崎しかいないの」
言われてみれば、吉岡が学校で他の男子と話している姿を見たことがない。
俺が周りに興味がないだけなので、見ていないだけという可能性も否定はできないものの、少なくとも俺の知る限り、吉岡と仲がいい男子は確かにいない。
そうなると同盟関係にある俺を誘うのは自然というか、当然ではある。
「言っとくけど、俺と世間の野郎どもの価値観が同じとは限らねーぞ?」
「別にいいのよ。あくまで一個人としての参考意見が欲しいだけだから」
「そうかよ……」
注文した商品が届いたので、レーンに手を伸ばして皿を取った。
「……お前さ、高瀬のどこを好きになったわけ?」
「え? 高瀬くんの?」
「真面目なオメーがよ、ただイケメンだから好きになったわけじゃねーんだろ?」
「それはもちろん、カッコいいなぁって思ったのはあるんだけど……」
頬を赤らめて語る吉岡の表情は、完璧に乙女のソレであった。
それにしても意外と面食いだったのかよ。
「去年の文化祭でね、軽音楽部のライブで高瀬がギターとボーカルやってたの」
「へぇ、ボーカルねえ」
確かに高瀬が軽音楽部であるのは知っていたが、随分と目立つポジションで文化祭に望んでいたようだ。
俺は面倒くさくてサボっていたから記憶にないが。
「その時の演奏している姿とか、歌声とか、MCとかめちゃくちゃカッコよくて」
「なんかジャニーズをガチ推ししてるのとあんま変わんねーような……」
「さ、最初はそうだっの!! 同じクラスになって、優しい人だと思ったら、好きになっちゃったわけです」
ラーメンを啜りながら吉岡の話を聞く。
最初は憧れだったけど、間近で見れる環境になって、人柄が良さそうだから見ているうちに隙になったというパターンか。
確かに高瀬のヤツ、あの甘いマスクと明るい人柄から、男女問わずに人望はある様子で、特に女子は高瀬に黄色い声を浴びせるヤツも多い。
高嶺の花のような気はしなくもないが、本人が好きなら別にいいか。
「そういう岡崎は、優子のどこを好きになったのよ」
「あ? 別にどうでもいいだろ」
「よくないわよ。私には聞いたのに、自分は答えないなんて不公平よ」
俺が答えるのを渋っていると、そんな俺の態度に吉岡は不満そうに睨んできた。
「わかった、答えるって……櫻井って、誰にでも優しいだろ?」
「まあ、あの子は誰にでも隔てなく接する子だよね」
「まあ、その、俺みてーな不良にも物怖じしないで、笑ってくれるからよ……」
「……岡崎、あんたって単純なのね」
「うるせーよ。イケメンのバンドマンに惚れたオメーにだけは言われたくねーよ」
「はいはい、岡崎あんた顔真っ赤だよ」
「うるせーつってんだろ、こっち見るな」
気分が落ち着かなくて、とりあえずラーメンのスープを飲み干した。
「けど、岡崎が優子のこと好きなのは意外だったわ」
「なんでだよ?」
「だって、あんたってそもそも人間に興味なさそうなんだもん」
「つんまねーヤツには興味ねーよ」
「へえ~、ちなみに私のことはどう思ってるのよ」
「オメーはうるせー女」
「は? 喧嘩売ってんの?」
「事実を言ったまでだ」
吉岡はイライラしているのか、ジト目になって目元がピクピクしていた。
「そういうオメーこそ、不良は嫌いだったんじゃねーのかよ」
「不良は嫌いよ。下品だし、校則違反ばっかりするし、人に迷惑かけるし、最低」
散々な評価である。
最も、吉岡のような真面目な人間の視点から見たら、当然の評価ではあるが。
「じゃあ事の成り行きとはいえ、なんで俺と普通に一緒に居れるんだよ?」
「そうね……多分あんたって、根っからの悪人じゃない気がするのよ」
それは先日も似たようなことを言っていた気がする。
吉岡のやつ、本気で俺に対してそのような評価をしているのだろうか。
「二年に上がって速攻停学食らって、過去には警察の厄介にもなった俺がか?」
「あんたがやってきた事時代は悪だし、それについては私も嫌だと思うよ」
「そう思うんなら、結局のところ俺って悪人だと思ってんじゃねーの?」
「けど、岡崎は嫌っているはずの私の醜態を見て、情けをかけてくれた」
そう語る吉岡は、いつになく真剣な面持ちだった。
「根っから悪いヤツなら、私を陥れるためにアレをネタにするはずよね?」
「何回も言ってんだろ。俺にそういう趣味はねーんだよ」
「そういうところ。あんたグレてるけど、根っこの所はそこまでの悪じゃない」
「……知ったような口聞いてんじゃねーよ」
「うん、知らないよ。だから私、岡崎のこと知りたいと思ってんの」
それを聞いて、吉岡から目を逸らしていた俺は、思わず顔をあげて吉岡のことをガン見してしまった。
吉岡の顔つきは真剣そのもので、本心からソレを言っている事が伺える。
「思い返せば、私はあんたを不良だからって先入観だけで敵視してたと思う。でも今回のあんたの対応を見ていて、間違っていたのは私のほうなのかなって。だから岡崎がどんな人なのか、ちゃんと見定めようって思ったの」
こんなことを言われる日が来るだなんて、想像もしていなかった。
今までの人生、俺のことをここまで公正に評価してくれる人間が、一体何人いたというのだろうか。
ゼロではないかもしれないが、少なくとも多いとは言えない。
中学生の頃、被害者面をしてきたクソども。一方の言い分を鵜呑みにして、全責任を俺に押し付けてきた教師。俺の話に聞く耳を持たず、俺を"いないもの"として除け者にしている家族。
その誰もが、今の吉岡ほど客観的に物事を見ているとは思えなかった。
ただ一方的に、一方の言い分を信じて、俺を悪者として扱ってきた。
そういう態度を取られること、面倒だから一人の悪者を作って済ませようとする社会のクソ加減にムカついて、むしゃくしゃして今まで好き勝手に暴れてきた。
━━どうせ俺が悪いんだったら、もうワルでいい。
そうやって俺は、今日の今日まで生きてきた。
だから俺をワルだと決めつけてきていた今までの吉岡は、大嫌いだった。
大嫌いだっただけに、今の吉岡には正直、困惑している。
そういう正当な評価が出来る人間だとわかっていても、俺自身が納得できない。
「……勝手にしろよ」
納得できないから、そういう素っ気ないことしか言えなかった。
「うん、勝手にジロジロ見てることにします」
そのセリフに俺は、一切の返事をしなかった。
どうせ吉岡は無言は肯定とみなすタイプだろうから、騒ぎ立てても意味がないと思ってダンマリを決め込むことにした。
吉岡と話をしていると、調子が狂う。