3 作戦会議
翌朝。
いつものように家族とは一ミリも言葉を交わさず、家を出た。
今日学校に行けば明日は土日なのだが、家に居たくない俺としては土日のほうが苦痛でしかないため、どうやって土日の暇を潰そうか考えながらの登校だった。
玄関で靴を脱いで、下駄箱を開ける。
「……あ? なんだこれ」
またしても一通の手紙が入っていた。
今度はちゃんと吉岡千夏という差出人の名前も書いてあるし、宛名は岡崎紘斗と俺の名前がフルネームで記されていた。
封を切って中身を取り出し、それを黙読する。
━━昼休み、いつも岡崎がいる四階の踊り場に行ってもいいですか?
という短い内容だった。
そういえば吉岡とは、昨日から互いの恋を成就させるための同盟を締結しているので、それについての話し合いだと言うのだろうか。
教室に入った直後は悪目立ちするので、今日はたまたま実験の関係で移動教室があったため、その際にさりげなく返事をしようと吉岡に近づいた。
吉岡の横を早歩きで通り過ぎようとした時、俺は吉岡の肩をポンと叩く。
「今朝の手紙の件。いいぜ、来いよ」
一瞬びくんと体を震わせた吉岡が、きょとんとした顔でこちらを見た時、今朝の手紙の返事を吉岡にしか聞こえない声のボリュームで告げた。
それから迎えた昼休み。
いつものように購買でパンと飲み物を購入してから、憩いの場へと移動した。
階段を上った先には、既に吉岡が体育座りで待っていた。
━━白だった。
いや、俺はなにを見ているだよ。
しかし俺は悪くない。悪いのは、無防備にパンツを晒している吉岡だ。
見てはいけないものを見た俺は、咄嗟に吉岡から視線を逸らした。
「遅かったわね」
「購買が混んでたんだよ」
そう言いながら吉岡の横であぐらをかいて、パンの袋を切った。
「昨日も思ったんだけど、あんたっていつも購買のパンなの?」
「あ? そうだよ。親は俺のこと見捨ててるからよ、弁当なんて食った事ない」
「ふーん」
吉岡は返事をしながら弁当箱の蓋を開けた。
親が作ったのか、自分で作ったのか、それは不明だけど綺麗な弁当だった。
右サイドに白米を寄せて、左サイドにウインナーソーセージとブロッコリーや人参などを炒めたサラダ。そしてエノキを塩と胡椒で炒めた付け合わせ。
「そういうオメーは随分とうまそうなもの食ってんな」
「こう見えても手作りなの」
「オメーが作ってんの?」
「うち、両親が共働きでお母さん変則勤務だから、料理は私が当番なの」
自慢げに語っているものの、共働き故に料理は手前で作る必要がある。
吉岡も吉岡で大変なんだなと、思わず感心してしまう。
「はい、これ」
突然、吉岡は右手に持った箸で摘まんだウインナーソーセージを、左手を添えて俺に差し出してきた。
「んだよ、コレ?」
「あげる」
「は? なんで?」
「パンだけじゃ不摂生でしょ、いらないの?」
どういう風の吹き回しなのかと吉岡のことを気味悪がってしまったが、実際俺の食生活は不摂生極まりないし、手前で食べて何の害もないのだから、毒など仕込んでいるわけがないだろう。
突っぱねるよりは、腹に対して素直になろうと思った。
「……これ、どうやって食うんだ?」
「あーんしてあげるから食べなさいよ」
「は? んな恥ずかしいことできるかよ」
「皿もないのにどうやって食べるのよ。これは妥協よ、はやくして」
恋人でもない俺に、随分平然とあーんで食べさせようとしているけれど、考えてみれば皿がないので、これは吉岡の合理的な判断ということなのだろう。
きっと他意はない。
ここなら誰にも見られていないし、というわけで俺は口を開けて、吉岡から差し出されたソーセージウインナーを口に含んだ。
噛んだ瞬間、程よい焼き加減と肉汁の食感が舌に伝わった。
口腔内に染み渡る濃厚な味わいは、まさに想定外と言えた。
「……どう?」
恐る恐ると言った感じで、吉岡が感想を求めてくる。
「味覚ってのは人それぞれだけどよ、これはまあ……美味いんじゃねーの?」
「ほんと?」
「お世辞言ってもしょうがねーだろ。これなら高瀬の胃袋も掴めるんでね?」
「そっか。高瀬君の……えへ、えへへへへへへ」
クレヨンし●ちゃんみたいなニヤケ顔だな。
これまで吉岡の仏頂面と怒った顔しか見なかったため、吉岡がここまで笑うヤツだとは思わなかった。
「岡崎、これも食べなさいよ。野菜も摂らないと健康に悪いわよ」
そう言いながら吉岡は、今度は箸にブロッコリーを摘まんで差し出してきた。
断る理由もないのでそれを口に含むと、これもエノキと同じで味付けは塩と胡椒がベースなのだろうか。
いい塩梅の味の付け方で、しょっぱすぎず無味すぎずといった感じだ。
「……美味ぇ。お前、料理上手いんだな」
「そう? まあ、これでも毎日作っているから、当然よね?」
なぜそこまでドヤ顔ができるのかは知らないが、料理が上手いことは事実だ。
他人の味覚と俺の味覚が同じである保証はないが、少なくともこの出来なら高瀬の野郎も美味いと答えるハズである。
しかし問題は、どうやって高瀬に弁当をあげる状況まで持っていくかだよな。
「ところでオメー、何の用なんだよ。弁当食わせに来たわけじゃねーだろ?」
「は、そうだった。本題を忘れるところだったわ」
焦った様子で吉岡は我に返った。
本題の内容、忘れていたのかよ。
「ずばり私たちのことよ。どうお互い、好きな人とお近づきになるのって話」
「大方そんなことだろうとは思ったぜ」
「まあ優子は上手いこと話すきっかけを作るとして、問題は高瀬くんよね」
「まあ俺もお前も、高瀬と仲がいいわけじゃねーからな」
挨拶をしたことがある、声をかけられたことがある程度で、俺も吉岡も高瀬とは友達でも何でもなく、むしろ赤の他人と表現するほうが自然。
そんな高瀬と吉岡を、どうやっていい感じにくっ付けるかだ。
「まあ、一番手っ取り早いのは直に告ればいいんじゃねーの?」
「無理無理無理無理!! いきなりは無理よ!!」
顔を真っ赤にしながら、吉岡は首を横にブンブン振り回した。
「ラブレター渡す度胸はあるのにか? てか、もう一回ラブレター出せば?」
「ラブレターは、もういいわ……トラウマがあるのよ」
俺との一件トラウマになったのかよ。
「じゃあどうするんだよ……話す機会がねーと何の進展も……話す機会?」
俺は今、天才的なことを閃いたかもしれない。
「そうだ……何もオメーと高瀬がタイマンで会う必要はねーじゃん」
「ちょ、それってどういう意味?」
「まだ五月だろ? なんか適当に親睦会でも開けばいいんだよ。クラスが変わって慣れてきたところで親睦を図りましょう的なヤツだ」
俺は微塵も興味がないけど、ああいうパーリーピーポーな人種はそういう行事が大好きなハズだから、都合をうまく空けて参加してくれるハズだ。
「そうか……それナイスアイディアね!! 岡崎、あんた意外と頭キレるのね!!」
「そんなじゃねーよ。パリピの生態観察して、これなら来るだろ思ったたけだ」
「具体的にはどういう感じでやるのよ」
「そうだな。適当に休日に飯食って、ゲーセンで遊んで、カラオケで歌うって感じでいいんじゃねーの?」
放課後の僅かな時間よりも、丸一日時間を作ったほうがチャンスは多くなる。
その一日を吉岡に有効活用してもらって、高瀬と距離を縮めてもらう算段だ。
「それはアリね……岡崎、あんた本当にいいこと言うじゃないの」
「褒めたってなんもでねーよ。じゃあ、ネタは与えたから、後は頑張れよ」
「そうね、あんたも一緒に頑張りましょう」
「……は? なんで? 俺も行くの?」
「え? なんで? 逆にあんた来ないの? 言い出しっぺなのに?」
二人の間に沈黙が訪れる。
今の話、吉岡と高瀬の距離を縮めるための会だから、俺は関係ないだろ。
「……いや、俺が行ってもクラスの連中ビビり散らかして楽しめねーだろ」
「これを機にあんたも溶け込めばいいじゃない。そういう話なら私は優子のことも誘うし、私は高瀬くんと距離を縮められるし、あんたは優子と仲良くなれてクラスのみんなとの壁も壊せて一石二鳥でしょ?」
自信満々に腕を組んで、俺が参加することのメリットを演説してくる。
吉岡としては、俺と優子との関係をついでに縮めさせる魂胆なのだろう。
「……いや、俺は行かねーよ。どう足掻いても歓迎されねーだろ」
行ってもつまらない未来が見えるので、俺は親睦会に行くのが嫌だった。
「それはクラスのみんながあんたを怖がっているからよ」
「だから行ったらまずいだろ」
「だからこそ行くの。まあ、私も長いこと誤解していたから、あんまり大きな口を叩けるわけじゃないんだけど……ほら、あんた意外と筋通ってるし、思ったよりも口数多くて、話してたら全然普通じゃん?」
俺って、吉岡からそういう評価を受けていたのか。
一昨日から今日にかけての豹変ぶりには驚かされていたが、よほど俺が約束を守って弱みをネタに何もしなかったことが大きいらしい。
「私と高瀬くんのこと手伝うんだよね? じゃあ来ないとおかしいじゃない」
どこまでが本音かはわからないけれど、恐らくこれが最大の理由だろう。
「……わかったよ。行くよ、しょうがねーな」
「よし、決まりね。早速、今日帰りのホームルームが終わったら告知するわ」
「行動力すげえな……いつやる気だよ」
「来週、日曜日……空いてるわよね?」
「日曜? ああ、まあ……」
どうせ家に居場所はないから、土日はだいたい徘徊している。
暇つぶしだと思って参加すればいいのか。
「じゃあ決まりね。それとあんた、今週の日曜日って空いてる?」
「まあ、俺は土日は暇だけど……」
「じゃあ買い物に付き合って。ていうか、あんたも服買いなさいよ」
「あ? なんでだよ、勝手に決めんじゃねーよ」
「別にいいでしょ暇なんだから。私、高瀬くんとのことで失敗したくないから、服について男の子の感想が欲しいの。それにあんただって、どうせジャージとかスウェットの類しか持ってないんでしょ?」
女子だからなのか知らないが、吉岡って妙に鋭い。
確かに俺の私服は柄物のシャツか、金の刺繍が入ったジャージか、たまむらで買ったようなダボタボのスウェットくらいだ。
パチンコで勝った売上金がまだ残っているから、服を買う金くらいはある。
「……勝手にしろよ」
「じゃあ決まりね、日曜午前十一時に辻堂駅前集合で。それで大丈夫?」
「別に構わねえよ」
「じゃ、私は教室戻るから」
そう言いながら立ち上がって、吉岡は小走りで階段を駆け下りていった。
「……日曜、午前十一時に辻堂か」
考えてみたら、これはデートではないとはいえ、そもそも女の子と休日どこかに出かけること自体、俺の人生で初めてのイベントでは。
相手が吉岡とは言え、その事実を意識すると妙に緊張を覚えてしまう。
この日は五限で終わり日なので、面倒くさいとは思いつつ出席した。
そして帰りのホームルームが終わり、安達が教室から出て行った瞬間だった。
「はい、みんな黒板に注目!!」
遂に、予告通り、吉岡が動き出した。
「もう二年生になって、クラスが変わって一ヵ月。みんな今のクラスになってそろそろ慣れてきた頃だと思うので、来週の日曜日にでも親睦を深めようと、みんなで遊びに行こうかなーというのを企画中なんですが、いかがでしょう?」
吉岡の問いかけに、クラス中がざわめきだした。
よくやるよ、吉岡のやつ。あんな恥ずかしいことを堂々と、みんなの前で発言できるのは流石、風紀委員と言ったところだろうか。
ざわめきを切り裂いて最初に挙手をしたのは、やはり予想通りの人物だった。
「いいんじゃないかい? おれは吉岡さんの提案に賛成だよ」
吉岡にとっては嬉しい展開だろう。
あの高瀬が、吉岡の提案に賛同したのだ。
「高瀬くんが行くなら、あたしも行こうかなー?」
「あー、うちも行く」
「俺も行くわ!!」
「俺も!!」
流石はクラスの中心人物である高瀬。
高瀬が行くことを仄めかした瞬間、クラスメイトの多くが高瀬に便乗して俺も俺もと出席表明をしていく。
やはり俺の目論見通り、パーリーピーポーな人種はイベント事が大好きだ。
「それじゃあ決まり。詳細は後日、クラスMINEに送りますので、各自確認しておいてください。以上、今日は解散ということで!!」
吉岡のお開き宣言により、クラスメイト達はそれぞれの放課後を過ごす為に教室の外へ出て行った。
トントン拍子に事が進んでいく。
開催が決定した以上、もう後には引くことはできない。
当初、俺には関係ないつもりでいたものの、俺も参加しなくてはならない上に櫻井との仲もかかっている以上、謎の責任感を感じていた。
吉岡とアイコンタクトを交わす。
━━これで決まりね。
そう言っているかのように、俺には思えた。