1 誤爆ラブレター
━━すごい、紘斗くんピアノのコンクールで優勝したんだ。
━━あの難関の英林館中学校に合格するだなんて、凄いわ紘斗くん。
━━何が牛村だよ、お前なんてウジ村だろ。
━━な、なんだよ岡崎。
━━痛い、死ぬ、死んじゃう!!
━━やめろ岡崎!!
━━いい加減にしろよお前ら、牛村がやめろって言ってもやめなかっただろ。
━━岡崎君、君がやったことは立派な傷害事件だ。
━━紘斗、アンタって子は他人様にあんな大怪我を負わせて。
━━岡崎紘斗、以下の者を退学処分とする。
━━アイツだろ、同級生を半殺しにして私立退学になった岡崎って。
━━お前は岡崎家の恥さらしだ!!
上等だよコラ。
俺だけ悪者だって言うならよ、お望み通りワルになってやるよ。
見てろよ、俺だけを糾弾したクソみてーな大人どもと、他人のことを踏みにじっといて、それを止めようとした俺だけを悪に仕立て上げたクソ野郎どもと、こんなことを容認して俺を始末して事なきを得ようとする社会。
クソ野郎どもにも、クソみたいな社会にも、徹底的に反抗してやっからよ。
…………。
…………。
重たい瞼を開けると、見慣れた自室の天井だった。
なんだ、夢かよ。
目覚めが悪いし、寝汗で俺の部屋着はびっしょりだった。
起きて部屋のタンスの上に置いてある、両親の間に挟まれて何も穢れを知らない笑顔で笑っている少年の姿を見て、その写真に俺は唾を吐いた。
何が神童だよ。
何がコンクール優勝だよ。
何が難関私立合格だよ。
「クソが、ヘラヘラ笑ってんじゃねーぞ、ガキが……」
写真の少年に文句を垂れながら着替えを済ませ、洗面台に行って金髪を整髪料とドライヤーでオールバックに整える。
それから居間に出ると、俺の家族の姿が目に入る。
黙って新聞を読む父親。
そんな父親の弁当を作っている母親。
そして母親が焼いた卵焼きをオカズに朝食をとる中学生の妹。
そんな三人を後目に、袋に入っていた食パンを手に取って、適当にトースターで焼いて食べる俺。
岡崎家における長男である俺の扱いはゴミ以下であり、もう長らく母親の手料理など食べていないし、父親からは説教を受ける以外で会話をすることはない。妹に至ってはもう三年ほどマトモに口をきいていない。
せいぜい、妹が声をかけてくるのは俺に対して文句がある時だけ。
だから朝食は親が買い置きしている食パンしか食べていないし、昼食は学校にある購買で適当に済ませているし、晩飯も基本はお小遣いから弁当を買ったり、パチンコで勝った時は外食をして済ませている。
いよいよ生活が厳しい時、頼りになるのは瑛士だけだが、瑛士だって夫婦共働きで赤ちゃんを育てているんだから、あまりアイツに迷惑をかけたくはない。
もう親は、俺に飯を与えることさえしない。
ただ金だけ払って、高校を卒業するまでは家にいる許可を出しているだけ。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい栞」
「気を付けるんだぞー」
妹の栞が学校に行く時、両親は温かい言葉を栞に送る。
一方、無言で家を出る俺に対し、両親は俺を視界にすら入れようとしない。
勿論、栞が俺に声をかけることもない。
「……上等だよ。こんな家、言われなくても卒業したら出てってやるよ!!」
玄関を出て、啖呵を切りながら俺は自宅のドアを蹴飛ばした。
定期代くらいは情けなのか出してくれるため、高校へはバスと電車を乗り継いで通学をしている。
勿論、俺と通学路で会話をするような友達はいない。
俺が進学した聖稜高校は至って普通の普通科高校であり、俺と同類の不良はそんなにいるわけではなく、入学早々に二年と三年の不良グループは俺が潰した。
少数いる他の同級生のとっぽい連中は、三年グループのパシリ。
連中は三年を倒した俺に媚びてきた。強者にヘコヘコしているだけで、俺個人に対する情などは一切ない連中、俺は興味がないから構うつもりはない。
中学の頃は瑛士を始め、不良仲間は居たものの、高校では完全に浮いた存在。
腫れ物として孤立を極めた俺に、挨拶をするようなヤツは殆ど存在しない。
好かれるようなことは一切していないし、学校のヤツらはつまらなさすぎて仲良くしようとも思わない。
欠伸をしながら下駄箱を開けるまでは、いつも通りだった。
「……あ? なんだこれ?」
ピンク色の小さな包みに入った手紙が、俺の下駄箱に入っていた。
人違いかと思って宛名を確認してみるが、そもそも宛名が書いていない。
誰宛てかもわからず、差出人の名前も書いていない手紙。中身を確認するために、俺はハート型のシールを剥がした。
そして中に入っていた手紙に、目を通した。
━━あなたに伝えたいことがあります、放課後体育館裏へ来てください。
随分と可愛らしい文字で書かれている。
ラブレターなのかと思ったが、可愛い文字を書く不良の果たし状だろうか。
いや、果たし状に違いない。
恨みは買っていても、他人に好かれるようなことはしていない。
「上等だコラ……誰だか知らねーけど、喧嘩ならやってやんよ」
俺は手紙を握りつぶして、それをポケットにしまい込んだ。
来るべき放課後。
俺はくしゃくしゃになった手紙を開き、文面を再確認する。
体育館裏。それは聖稜高校の中でも特に目立たない場所であり、多少の揉め事を起こしても発覚までは時間がかかる。
どうせ喧嘩だと思って、俺は気合いを入れて指定場所まで足早に歩いた。
「あ? ……あいつ」
意外な人物がそわそわしながら外壁に寄りかかっていた。
━━吉岡千夏だった。
吉岡は落ち着かない様子で俯いたり、しきりに左右を確認したり、つま先で石を転がしたり、誰かを待っている様子だった。
ポケットにしまい込んでいたくしゃくしゃの手紙を、再び広げる。
まさかこの可愛らしい文字といい、この手紙の差出人は吉岡だというのか。
「ナメた真似しやがって……」
吉岡のヤツ、どうやら俺を徹底的に侮辱したいらしいな。
上等。その喧嘩、買ってやる。
俺はズカズカと歩き始めて、その気配に気づいたのか、吉岡がこっちを見た。
そして吉岡は真顔になり、俺を見ながら固まった。
「おい、吉岡てめえ……」
「な、なによ岡崎。なんであんたがここに……」
「とぼけんじゃねーよ。この手紙、オメーが俺の下駄箱に入れたんだろ」
手紙を見せびらかした瞬間、吉岡の表情が絶望に染まった。
「ちょ、ちょっと……なんでそれ、岡崎が持ってるの?」
青ざめた顔でぷるぷる震えながら、人差し指を俺に向けてきた。
「テメー、俺に喧嘩売ってんのか? テメーで手紙を入れたんだろーが」
「入れてないわよ!! あんたの下駄箱になんか……だって、だってそれ」
「あ? なんだよ、言いたい事があるならハッキリ言えや!!」
大声で怒鳴りつけると、吉岡はびくんと体を震わせて萎縮した。
そのまま俯いて黙り込んでしまい、いつまで経っても言葉を発しない。
「シカトこいてんじゃねーぞ!! テメーやっぱ俺に喧嘩売ってんだろ!?」
しかし次の瞬間、俺は度肝を抜かれて一気に体から力が抜けた。
あまりにも突然のことだった。
両手を握り締めて震える吉岡の頬に何かが伝い、涙は地面に沁み込んだ。
あの吉岡が嗚咽しながら、ポロポロと涙を流し始めたのだ。
「お、おい、吉岡……」
「なんで……なんで岡崎の下駄箱に!! うぅ……なんでこうなるのよ……っ!!」
遂に吉岡は地べたに座り込んでしまい、声にもならない声で泣き始めた。
「おい、ちょっと落ち着けよ……なんだよ、事情を説明しやがれよ」
「ひぐっ、うう……それ、岡崎に宛てたわけじゃないのよ……」
「あ? じゃあ誰なんだよ?」
「見たでしょ。中身、見たんでしょ? じゃあわかるでしょ……っ」
「わかんねーから聞いてんだよ。宛名も差出人も書いてねーしよ」
「…………え?」
目元を真っ赤に腫らした吉岡が、力のない声を出して顔を上げた。
「ほら、これ見ろよ。なんも書いてねーべ?」
「う、うそ。私、私……っっっ」
なんとなく、吉岡が現在置かれている状況が理解できた。
恐らく、コレは、俺が考えている通りで間違いないが、一応確認は取ろう。
「まさかオメー、これ本当にラブレターなのか?」
「ええそうよ!! 高瀬君に渡すつもりだったのよ!! てんぱっちゃって、間違えてあんたの下駄箱に入れちゃったのよ!! 文句あんの!?」
逆ギレかよ。
しかし俺の推測は正しかったようで、やはりこれは俺と出席番号が近い人間に宛てたラブレターだったようだ。
しかも相手は高瀬かよ。
高瀬は確か同じクラスで、出席番号は俺と近かった男だ。
「……ふ、ふふふっ」
吉岡が突然、不気味に笑い始めた。
「なんだ、どうした?」
「笑えばいいじゃん」
「あ? なんで?」
「岡崎、私の惨めな姿を見て笑えばいいじゃん。こんな、こんな失態を……」
顔を真っ赤にして、目元を腫らして、涙を流して、自嘲気味に笑って。
あれ、なんだこの気持ちは。
なんだよ、俺はひょっとして吉岡のこと、可愛いと思っているのか。
普段は鬱陶しい女のくせに、こうして好きなヤツのことを想って、失敗して恥ずかしさと惨めさから泣いてしまって、そんな反応をしている吉岡のことを不覚にも可愛いと思ってしまった。
バカかよ、俺。
こんなヤツ、同情するだけ無駄だと思う。
「どうするの? このネタ、バラ撒くの? それとも私のこと脅すの?」
だけど、吉岡は俺にできないことをしようとした。
結果的に失敗したとはいえ、俺には吉岡のことを笑う資格はない。
たとえ吉岡のことを嫌いだとしても、吉岡が本気であることは一目瞭然。
少なくとも、それを嘲笑うほど、俺は落ちぶれてはいない━━。
「なんもしねーよ」
吉岡に背中を向けてそう言い放った。
吉岡がどんな顔をしているか知らないし、見る気も起きない。
「……え?」
声が零れるのを聞いて、俺は歩き始めた。
「俺にはできねえ告白をしようとしたヤツの勇気を、笑わねーっつってんだよ」
それだけ言い残して、俺は体育館倉庫裏を立ち去った。
吉岡から声をかけられることはなかったが、吉岡からの視線は背中に刺さっていたような気がする。
吉岡に情けをかけるだなんて、俺らしくない。
━━だけど俺は、俺が嫌いな大人みたいなことをしたくない。
ただ、それだけだった。
パチンコでも打って、帰ろう。
気持ちを入れ替えて、学校を出た俺はそのままパチンコ屋に向かった。