プロローグ
「聞いているんですか、岡崎君?」
俺、岡崎紘斗は二年生になって早々、喫煙がバレて高校を停学になった。
一週間の停学が明けた初日、俺のクラスの担任である安達遥香から早速の説教を受けていた。
「まったく。あなたって子は、あの反省文は適当に書いたんですか?」
「だったらなんスか?」
睨みながら女性に聞き返すと、暗めの茶髪のショートボブで淵が赤い眼鏡をかけた安達は、俺の態度の悪さに呆れたのか、さらに大きなため息を吐いた。
俺は態度を改めることはなく、ポケットに手を突っ込んだまま安達とは絶対に目を合わせず、安達の説教を適当に聞き流した。
「あのね、高校生が煙草だなんて言語道断。あなたの体にも悪いんですよ?」
「俺の体に悪かろうと、別に先生に迷惑かかるわけじゃないでしょ」
「迷惑ならかけてます。あなたの処分を軽くするのは大変だったんですから」
「いや、それ先生が勝手にやっただけでしょ。別に俺はどうでも……」
「先生はね、あなたにちゃんと卒業して欲しいんです」
二十六歳という歳のわりには童顔で、胸はそこそこありそうだけど、背が低くて少女みたいな容姿をした安達。むすっとした表情を浮かべているものの、見た目が幼いことも相まって、正直まったく怖さを感じない。
俺に対して真剣な気持ちは伝わってくるものの、応えようという気は起きない。
どれだけ大人が御託を並べようとも、俺は大人が信用できないのだ。
「とにかく今後は煙草もお酒もダメ。ましてや喧嘩なんて言語道断。次は停学では済まないかもしれないんですよ?」
ああ、鬱陶しい。
ニコチン切れてイライラしていたから、学校で煙草を吸っただけで、もう何分もガミガミ説教を受けている。
ていうか、ぶっちゃけ煙草吸ってる高校生は俺だけじゃないだろ。
そう思いながら俺は、耳くそを穿りながら安達の話を聞き流した。
「とにかく今後は高校生らしく、健康に健全に、勉学に励んでください」
「はいはい」
「ハイは一回!!」
「はーい」
うぜえ、ホントにうぜえ。
殴りたい気持ちでいっぱいだったが、生憎と俺は女を殴る趣味はない。
「それじゃあ教室戻って。先生ももう少ししたらホームルームで行きますから」
また毎日、このうざい女教師の面を見なくてはならないと思うと、中々に憂鬱なのであるが、職員室で暴れてメリットがないことくらいは理解できている。
無言で安達に背中を向け、ドアを乱雑に開け閉めして、自分の教室へと向かう。
「ねえ、あの人でしょ? 学校でタバコ吸って停学になった……」
「ああ、岡崎だろ? 去年三年シメたって噂もあったし、やっぱアイツやべーな」
「とにかく喧嘩っ早いらしいよなー。ていうか、シメたっていつの時代だよ」
「怖いよねー、なんであんな不良がうちの学校にいるんだろう?」
「そのまま退学になっちゃえば良かったのに」
廊下を歩くだけで、この学校の生徒達からヒソヒソ話をされる。
聞こえるボリュームで噂話をされたことで、俺はさらに機嫌が悪くなり、周囲に対して強い眼差しで睨んだ。
すると生徒達は俺から顔を背け、ヒソヒソ話は途端に止んだ。
━━ガンつけられたくらいで怖気づくなら黙ってろよ、シャバ僧どもが。
気に食わない。
教師も生徒も、この学校自体、どいつもこいつもつまんねーよ。
周りの反応を見ながらイライラした気分で教室に入ると、それまで賑やかだった教室が一気に静寂に包まれた。
停学明け初日の登校だが、クラスメイトは誰も俺と目を合わせようとしない。
「ちょっと、岡崎」
ただ一人、俺の前で仁王立ちをしているクラスメイトの女子を除いて。
「……吉岡、テメーなんの用だよ」
吉岡千夏。
本人曰く、地毛だという暗い茶髪のセミロングで、露骨に嫌悪感丸出しの顔はお人形のように整っていて、肌も唇も麗しくて、肌荒れの類は一切見られない。
中学時代までテニスをやっていたらしく、肢体も引き締まっていて健康的。
黙っていれば美少女であることは認めるが、問題は俺に対する態度だ。
「何よあんた、その髪とだらしない制服の着こなしは?」
「うるせーよ。オメーは安達かよ、関係ねーだろ」
「関係あるわよ。私、風紀委員だから、学校の風紀を乱す者は看過できないの」
吉岡は一年の頃からネチネチ俺の髪型や服装、態度、そもそも不良であることを事あるごとに咎めてきて、俺にとっては安達以上にウザいヤツでしかない。
「停学になっても全然反省してないのね」
「あ? 何が言いてーんだ、テメーはよ?」
「あんたね、安達先生がどんだけ必死にあんたの庇っていたかわかる?」
「知らねーよ。それは安達が勝手にやったことだし、オメーに関係ねーだろ」
「安達先生の努力を無碍にするの? あんたみたいな不良、退学になればよかったのに……」
面と向かって不快感丸出しでそんなことを言われて、なんとなくイラっときた。
「んだと、てめえ……」
「何度でも言ってやるわよ。私、あなたみたいな不良が一番大っ嫌いなの」
「てめえ、誰に上等切ってっかわかってんのか?」
「なに、殴るの?」
吉岡に顔を近づけて眼力で威圧するものの、吉岡は微動だにしない。
普通のヤツだったらこれで引くというのに、吉岡は一歩も引かない。
「その醜い不良顔、近づけないでくれる?」
「てんめえ……ッ!!」
俺は女を殴る趣味はないけど、吉岡だけは別だ。
一発、ぶん殴って力の差をわからせてやろうか、と思った次の瞬間だった。
「ちょっと何やってるの!!」
安達の大声と共に、教室のドアが勢いよく開けられた。
「先生、岡崎君か怖い顔をして私に詰め寄ってくるんですよ」
「は? テメーいい加減なこと抜かしてんじゃねーぞ!!」
「とにかく話は後で個別に聞きますから、二人とも席についてください!!」
安達の大声を聞いて、俺は舌打ちをしながら吉岡から身を引いた。
また後で安達の説教を長々と聞かなきゃいけないのかよ。
「よかったわね岡崎、安達先生がもう少し遅かったらあんた退学だったわよ」
ため息を吐きながら席に戻ろうとした時、吉岡がニヤニヤしながらそう言った。
ムカっ腹は立つが、だからといってキレ散らかして暴れるほど、今の俺はガキではない。
ただ、中学の頃だったら既に暴れていただろう。
モヤモヤしながら自分の席に座り、足を机の上で組んでふんぞり返った。
それから退屈な一日を適当に過ごして、昼休み中に安達は吉岡の言い分を聞いたらしく、俺との面談は放課後になった。
空き教室に呼び出された俺は、机を挟んで安達と向き合って座ることになった。
「……なるほど。確かに吉岡さんも言い過ぎですけど、岡崎くんも岡崎くんよ」
「んだよ、テメー俺が悪いって言うのかよ!? 喧嘩売ってきたの向こうだぞ!?」
「でも、服装を注意したのは風紀委員の業務。確かにその格好は校則違反です」
「知らねーよ、ンなことは」
「あら、生徒手帳に校則は書いてます。制服を無暗に着崩したり、髪を染めたりそういう他人を威圧する髪型にしたりするのは立派な校則違反です」
俺は吉岡に醜いって言われて侮辱されているわけで、言葉の暴力より校則のほうが大事だと言うつもりなのか。
生徒手帳なんて一回も読んだことはねーし、校則なんて一切知らない。
それは俺が悪いかもしれないけど、そこまで怒ることなのかよ。
「……ねえ、岡崎くん。何が君をそうさせているんですか?」
急に静かになったと思いきや、何故か安達は俺を心配そうに見つめながら問いかけてきた。
突然の豹変に、俺は気味が悪いと思った。
話し合う気はないので、俺はダンマリを決めて安達とは絶対に目を合わせない。
「先生はね、あなたの事をもっと知りたいんです。何に悩んでいるのか、何が不満で不良行為をしているのか。それらを払拭して、あなたには真っ当に、幸せな人生を送って欲しいんです」
聞いたような言葉をベラベラと並べてくるが、とにかく聞こえないフリだ。
さっさとこのかったるい面談が終わって欲しいとしか、俺は思っていない。
それでも安達は俺のことを一直線に見つめ続けるので、俺はため息を吐いた。
「……先生、俺に構ってたら時間の無駄っすよ? 他に仕事ないんスか?」
「これが仕事です」
面倒くさいから切り上げてもらおうと、諭したつもりが全く効果がない。
「先生は、私は、岡崎くんが分かってくれるまで、何度でも向き合います」
「……先生。俺、用事あるんで帰っていいっすか?」
「話はまだ終わってませんよ?」
「うるせーよ。何度話しても同じだって、俺のことは放っておいてください」
強引に話を切り上げて、俺は潰れた学生カバンを持って教室を出ようとした。
「ちょっと岡崎くん!!」
「ほっといてくれよ!! あんたセンコーだろ、生徒の気持ちを尊重しろよ……」
「岡崎くん……」
この日はそれ以上、安達が俺を引き留めることはなかった。
玄関で靴を履き替えて校門を出ると、見覚えのある作業着姿の男が、見覚えのある250ccのバイクに跨って、俺が来るのを待っている様子だった。
「遅ぇーぞ紘斗」
ニヤニヤしながら、男は手を振り上げて俺の名前を呼んだ。
「悪かったよ瑛士」
「その様子じゃセンコーにたっぷり絞られたらしいな」
「うるせーよ、それより行くべさっさと」
「ったく、タクシーに使うのはいいけどラーメンくらい奢れよ」
「そんな金ねーよ」
「流石紘斗だな、堂々と無賃乗車じゃん」
「俺とお前の仲だろーが」
「ハハハ、まあ別にいいけどよ!!」
バイクの後ろに乗ると、二ケツの状態でバイクは爆音を轟かせて走り始めた。
茶髪で筋肉質な中村瑛士は中学の時の同級生で、一緒に色々とやんちゃなことをしてきた親友である。
死線を潜り抜けてきたこともあって、戦友でもあり、俺は基本的に人間が大嫌いではあるが、瑛士だけは別格で大切な仲間だと思っている。
瑛士も本来は俺が通う聖稜高校に入学する予定だったのだが、入学目前に付き合っていた彼女の妊娠が発覚。反対を押し切って入学を辞退し、現在は鳶として金を稼ぎ、夫婦共働きで子育てをしている。
年齢的に結婚はできないが、事実婚状態で来年には籍を入れる予定らしい。
「オメーはすげーよ。高校行かねーガキ産んで一人前に働いてよ」
「そんなことねーよ。まだまだ見習いだし、親方にはドヤされてばっかだぜ?」
笑いながら自嘲する瑛士だけど、それでも俺の目には瑛士の背中が立派に映っていた。
「ンなことねーよ。それに比べて俺は適当に学校行って、やりてーこともねーし」
「いいじゃねーかよ、高校生。羨ましいモンだぜ、学べるってことはよ」
「なんだテメー、オッサンみてーなこと言ってよ」
「別にいいじゃねーかよ。俺は自分で選んだ道だけどよ、やっぱ羨ましいんだよ」
「そんなモンなのかねえ……学校なんてつまんねーし、センコーはうぜーし」
「なんだよ、せっかくの共学だろ? コレでも作ればいいじゃねーかよ」
そう言って瑛士は、運転しながら小指を立てた。
「興味ねーよ、学校の女なんてよ」
「なんだよ、らしくねーな。中学の頃、JKモノのAV大好きだっただろ?」
「うるせーよ、中学生を孕ませたロリコン野郎にだけは言われたくねー」
「ていうかオメー好きな子いるだろ。なんだっけ、あの子どうなったんだよ」
「うるせー、関係ねーだろ」
瑛士は仕事終わりや休みの日、こうして俺に会いに来て、家に帰るまでの間は中学時代のようにくだらない会話をする。
これが俺にとって数少ない楽しみであり、憩いの時であった。
「それはともかく、二年になって早々に停学とはオメーもやるなー」
「全く煙草くらいでって感じだぜ」
「まあ煙草は二十歳にならなきゃ吸っちゃダメだからな」
「オメーだって吸ってんじゃねーかよ」
「俺はいいの、傍から見たら成人に見えるから」
「オメー同級生だろ、なにが二十歳だよまったく……」
「ま、退学になりたくなかったら学校では自重しとけよ」
「オメーまでセンコーみたいなこと言ってんじゃねーよ」
「俺はただお前を心配しただけだぜ。高卒のほうが仕事も給料もたくさんだろ?」
「まあ……そりゃあそうだけどよ」
━━高校は出させてやるから、卒業したら出てってくれ。
瑛士の言葉を聞いて、親に言われたことを思い出してしまった。
確かに俺は不良だし、親からしてみれば期待を裏切って顔に泥を塗ったバカ息子だろうし、存在価値などないから一刻も早く出て行って欲しいハズ。
だからあんなことを言ったんだろうし、一応俺だって卒業はするつもりだ。
理由は簡単。
あんな親とは、一日も早くサヨナラしたいから。
我慢して卒業したら親とは会わなくて済むし、安達や吉岡といったウザい連中とも二度と会わなくて済む。
あと二年間、俺が我慢すれば全てが解決する。
しかしあと二年間、耐えられるかと問われれば、自信があるとは言えない。
━━退屈なんだよ、高校生活は。