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第九章 初めての宮殿 そして、王の病


恵民署に緊張感が漂っていた。宮殿から宦官がやって来たのだ。宦官とは王や皇后たちの身の回りの世話をする者で内官と呼ばれ、全員が去勢していた。日本でも江戸時代、大奥で去勢した宦官がいたように、李氏朝鮮時代にも宦官は存在していたのだ。

「王命だ。医官ハンギョル、直ちに宮殿に参内するのだ」

 ハンギョルは、急いで裸足のまま地面にひざまづいた。

「このハンギョル、王命、しかと受け取りました。ただちに宮殿に参ります」

 ハンギョルは、スアに官服を用意させた。官服も身分で異なっており、色、胸と背中の刺繍で品階がひと目で分かるようになっていた。ハンギョルは身分の高い赤色の官服を着て、久しぶりに宮殿に向かった。


 ハンギョルは宮殿に着くと、王のいる王殿に通された。

 内官が、

「王様、医官ハンギョル様が参りました」

「そうか、そうか、ハンギョルが参ったか。早よう、余の傍に来るのじゃ」

王殿の中から、弱々しい王の声が聞こえた。

 ハンギョルが王殿に入ると、王は床に伏していた。あの神々しい王の姿は見る影もなく体が一回り小さくなっていた。

「王様、ハンギョルでございます。ハンギョルが王命を受け、やって参りました」

「おうハンギョルか、待っていたぞ。余の傍に来るのじゃ」

「王様、何とおいたわしい。私目は何も知らず、謁見も遠のき、死罪に値する大罪を犯してしまいました。私目を死罪にして下さい」

 ハンギョルは、王の前で泣き崩れた。

「ハンギョルよ、何を申すのだ。余とそちの仲ではないか。体が弱ると遠い昔の事ばかり思い出すのだ、東宮でよく遊んだな。ハンギョルよ、ここ数日、そちの顔が見とうてな」

「王様、勿体のうございます。有難きお言葉身に入ります」


 ハンギョルの父親は、王が成人するまで教育担当として、帝王学や儒学を教えていたのだ。  

帝王学とは王族が必要な基本的な学問、儒学とは孔子の思想を教えているが、日本には四世紀頃「論語」として伝えられ、日本文化に多大な影響を与えた。

 ハンギョルは父親の参内時、必ず付いて行き、王様の遊び相手をしていたのだ。

投壺スウォンが大好きで互いに競い合っていた。スウォンとは壺に向かって矢を投げ入れるゲームで、清国から伝わり皇室の遊びの一つとなっていた。

二人は年齢も同じで、仲の良い親友であった。王は幼少の頃から民の暮らしに興味を持ち、ハンギョルが参内するたび民の暮らしぶりを聞いていた。

 二人は勉学、遊びを共にし、身分を超えた友であり、王が心を許すたった一人の友であった。 


 ハンギョルは王の体を支えながら、

「王様、このハンギョルが王様の御身を診てもよろしいでしょうか」

「ハンギョルよ、診てくれるか。余の命も終わりに近いようだ」

「王様、何を申されるのですか。このハンギョル、命に代えても治して見せます」

 ハンギョルは王の体の隅々まで触診していたが、ある場所で、ハンギョルの顔が変わった。

 ハンギョルは王殿の外で内官に厳しく問い詰めた。

「内官よ、お前たちは今まで何をしていたのだ。身の周りのお世話をしていたらとうに気づいたはずだ。お身体を清拭する際、王様の異変に気づかなかったのか」

「はい、右脇の下が膨らんでおり、拭くたび痛みを訴えられておられました。御医には伝え、毎日王様を診られておりますが、王様は一日一日回復の兆しが出ていると申されまして」

「回復の兆し、あり得ん。王様は瀕死の手前ではないか、直ちに御医を呼ぶのだ」

 内官は慌てて御医を連れて来た。御医はハンギョルの顔を見ると、

「医官ハンギョルではないか、久しぶりだが何用で宮殿に参った」

「御医、何を申しておる。王様の腋窩の腫れは命取りになるやも知れぬぞ」

「何を申しておるのだ。王様は回復の兆しが出ておられる」

「よいか、御医。王様に何かあれば、お前は死を命じられるのだぞ」

 御医は慌てて王殿に向かった。この御医はハンギョルと同期であり、宮廷の中にある王族を治療する内医院で競い合っていたのだ。ハンギョルが御医を退くと、両班の父親の力と金の力で御医に成り上がり、御医とは名ばかりの最低の人間であった。

 ハンギョルは御医の診察を見ていた。御医は額に汗をかき、首をひねっていた。

「王様、ハンギョル今日はこれでおいとま致します。明朝参りますのでそれまでご健在でお過ごし下さい」

「そうか、帰るか。今日はハンギョルの顔が見れて嬉しかったぞ。今日は久し振りに粥が食べれそうじゃ」

 御医は二人の会話を聞きながら、ハンギョルを睨みつけていた。


 ハンギョルは慌てて恵民署に戻り、翔太を探した。

「ショウタよ、ここにおったか。すぐ私の部屋に来るのだ」

 翔太が部屋に行くと、ハンギョルは何か探し物をしていた。

「医官様、何をお探しですか」

「お前が『よう』と診断した男のしるし書きを探しておるのだ」

「ようがどうかしたのですか」

「いいかショウタ、今から申すことは誰にも言うでないぞ」

「はい、誰にも言いません。どなたかお体の具合でも悪いのですか」

「どうしたものか、王様の御身に『よう』がとりついたようだ」

 翔太は驚き、時代劇の神々しい王を想像していた。

ハンギョルは王の右脇下の腫れについてゆっくり話し始めた。

「医官様、腫れは『よう』以外の病気にも見られます。一度触診しないと病名の判断がつきかねません」

「そうか、分かった。待っておれ」


 ハンギョルは急いで宮殿に戻り、王様の謁見を申し出た。しばらくすると内官が門の所までやって来た。

「おう、内官よ。王様に謁見したいのだ」

「ハンギョル様、先程まで王様に謁見されていたではございませんか。王様は久し振りに粥を召し上がり、今は休んでおられます」

「内官よ、何を悠長な事を申しておる。王様の命に関わることだ。早く王殿まで私を連れて行くのだ」 

 内官は、ハンギョルの慌てぶりに驚き、ハンギョルを王殿に通した。

「王様、ハンギョル様が今一度謁見を望まれ王殿に参られております」

「ハンギョルがまた参ったのか。ハンギョルであれば余に聞かずとも良い、何時でも通すのだ」

 ハンギョルは王の前にひざま付き、

「王様、このハンギョル王様の命を救うことができません。ただ一人、王様の命を救う者がおります。その者に王様の御身を触らせてもよろしいでしょうか」

「ハンギョルよ、お前はこの李氏朝鮮で最高の名医ではないか。そのお前が治せないと申すのか」

「はい、王様。私には王様を治す力がございません。治せるのはただ一人、私の弟子でございます」

「ハンギョルの弟子がお前を越していると申すのか」

「はい、王様。その通りでございます」

「分かった、お前を信じてその者に余の体を任せようではないか」

 翌日、翔太はハンギョルと一緒に宮殿を参内した。宮殿の中は翔太が好きだった時代劇その物であった。多くの内官、女官が忙しそうに走っていた。刀を持った将軍、官軍がするどい目で王殿を取り囲んでいた。


 二人は王殿に通された。

「王様、連れて参りました」

「ハンギョルよ、お前の弟子とはこの者か」

「はい、そうでございます」

 王は翔太の顔を見ながら、

「名は何と申す」

 翔太は緊張のあまり顔を上げることが出来ず、下をうつむいていた。ハンギョルは緊張している翔太に、

「王様がお前の名を聞いておられるではないか、早く名を申すのだ」

 翔太はやっと顔を上げ、

「王様、私は翔太と申します」

「ショウタ、変わった名であるな。余の傍に来るのじゃ、早よう脈を取ってくれ」

 翔太は王様の御衣を、一枚一枚丁寧に脱がし王様の御身に触ろうとしていた。すると側近の内官が、

「ハンギョル様、いけません。高貴な王様の

御身を賤人ごときの者に触らせるとは、許しがたき行為でございます」

 ハンギョルは王に、

「王様、お願いがございます。どうかお人払いを」

 王は内官、女官を全員外に出した。

「ハンギョルよ、これでいいのか」

「はい、王様。有難き幸せでございます」

 王殿の中は王、ハンギョル、翔太の三人だけになり、翔太は王の体を隅々まで触診し、内官を一人呼び王の食事量と便の状態を聞いた。脈が速い、目に貧血も出ている。翔太の手が王の右脇の下で止まった。

「この患部は熱を持っている、痛みもある。まちがいない、これは『よう』の症状だ」 

 翔太は心の中で確信した。

「医官様、王様のご病気は『よう』でございます。恵民署に運ばれた者と同じ病気でござ

います」

「そうかショウタ、でかしたぞ」

 ハンギョルは王に病気の説明をした。

「王様、王様のご病気は『よう』と申し、王様の御身に菌が入り悪さをしております。直ちにこの菌を取り除かなければ大変な事になります」

「ほう、『よう』とな、どうすれば治るのじゃ」

 ハンギョルはためらった。王の体に刃物を当てるのだ。その頃の朝鮮では、外科手術の存在さえ知る者はおらず、誰もが反対することは目に見えていた。

「王様、王様のお命をお助けするのにはこの方法しかございません。私目を死罪に命じて下さいませ」

「ハンギョルよ、何を申しておるのだ。余を助けるのに、なぜお前に死を命じるのだ」

 ハンギョルは意を決し説明した。王の御身に刃物を当てること、ハンギョルには辛い決断であった。 

 王はしばらく目を閉じ、何も言わず右脇を触っていた。王殿の中は、シーンと静まり返り三人の息づかいだけが王殿に響いていた。

 一時間は経ったであろうか、王がやっと口を開いた。

「ハンギョルよ、余の身に何かあれば、お前たち二人は死を命じられるが、その覚悟は出来ておるのか」

「王様、覚悟はできております。このショウタと二人で王様をお助け致します。万が一お助けできない場合は、有難く死を賜わる所存でございます」

「ショウタと申したな。お前も覚悟はできておるのか」

「はい、出来ております。王様、王様に申し上げたい事がございます」

「ほう、余に申したいことがあるとは、肝の据わった男じゃの。何なりと申すがよい」

「はい王様、王様の御身に刃物をあてるのはこの私でございます。万が一の事があれば私だけに死を命じて下さい。医官ハンギョル様は民に必要な医官であります。ハンギョル様を失えば、王様の大切な民の命が灯のように消えて行くのです。どうか、医官ハンギョル様だけはお助け下さい」

「いいかショウタよ、余はお前を信じておるのではない。余の信頼する友、ハンギョルを信じておるのだ。そのハンギョルがお前を信じておる。回りまわれば、お前も信じることになるのだ。そうではないか、ハンギョル」


 ハンギョルは王の言葉が有難く、王のひざ元で泣き崩れていたが、翔太は涙を流すことなく凛とした姿で握りこぶしを作っていた。  

その握りこぶしには青い血筋が浮き上がり新たな挑戦を感じていた。

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