第五章 生まれた場所が違っただけで、等しい人間だ
ハンギョルとスアは夕餉を共にしていた。いつもは賑やかな夕餉だが、スアの様子がおかしい。瞼も赤く腫れ上がっている。
「スアや、どうしたのだ。元気もないし、どうも泣いたようだな。箸も進まないではないか」
「お父様、私たち親子は今まで何をして来たのですか。身分に苦しんでいる民を助けて来たではありませんか」
「スアや、どうしたのだ。私が分かるように話してみなさい」
スアは村中で広がっている噂について話し始めた。
ハンギョルはしばらく黙っていたが、門下生のミョジュンを呼び、翔太を連れて来るよう命じた。
数分後、ミョジュンが翔太を連れて来た。
翔太には二度目の恵民署だ。翔太はすっかり傷も癒え、たくましい姿でハンギョルの前に立った。
ハンギョルの目の前には、初めて見たあの傷だらけの翔太ではなく、堂々とした力強い翔太が立っていた。
ハンギョルは男らしくなった翔太の姿にたくましさを感じながら、
「ほう、どうしたことか、今のお前には力強さを感じる。髪の根元が少し黒くなっておるな、お前には驚かされてばかりだ」
ハンギョルは笑って言った。そして、翔太の背中を見た。
「体の絵は消えてないな、不思議だ。この絵は何を表しているのだ。人間か、はたまた化け物なのか」
翔太の体には二体の絵が彫られていた。一体は「ケンシロウ」そして、もう一体は「ラオウ」北斗の拳だ。
ハンギョルは、この二体の絵が天から授かった高貴な物のように思えた。
ハンギョルは、翔太の顔を見ながら、
「お前を何と呼べばいいのか、名前がないと不便だ」
翔太は言葉は分からなかったが、雰囲気で自分の名前を聞いているように思えた。自分を指差し「ショウタ、翔太」と何度も大きな声で繰り返した。
「ショウタ、ほほう、それがお前の名前なのか。ショウタと呼んでほしいのか」
翔太は「うん、うん」とうなずいた。
「そうか、ショウタがお前の名前なのだな。では、お前のことをショウタと呼ぶことにしよう」
翔太は久しぶりに聞く自分の名前に嬉しさを隠せなかった。
ハンギョルは家僕を呼んだ。そして、村中の村民を集めるよう命じた。
村民約百名が恵民署の中に集まり顔を見合わせていた。この村の民はほとんどが賤人であった。両班にしいたげられ、命からがらこの集落にたどり着いた者たちばかりだ。
ハンギョルが村民の前に立った。そして、ゆっくり話し始めた。
「お前たちに集まってもらったのは、どうしてだか分かるか。私はこの村に二年前にやって来た。それは疫病が流行っていたからだ。お前たちを一人でも多く救いたく、この地にやって来たのだ。いいか、ここにおる者はほとんどが賤人だな。生まれてからここに辿り着くまで、どんな思いで生きて来たか考えてみよ。両班からさげすまされ、奴隷のように扱われ皆苦しんだはずだ。今お前たちがしていることは見えない両班であるぞ。心の中に両班がひそんでいるのだ。いいか、お前たちが両班にされたことを今一度思い出すのだ」
その時、ハンギョルの話をさえぎる者がいた。門下生のミョジュンが、
「貴様、師匠の話をさえぎるとは、この不届き者が」
「ミョジュン、やめなさい。ここ恵民署は病気を治す場だけではない。身分に関係なく、自分の意見を唱えることができる自由な場所でもあるのだ。今、声を上げた者は誰だ、前に出て来なさい」
なんと、ケタンの息子イルムが前に出てきたのだ。
「お前はケタンの息子、イルムではないか」
「はい、御医様、ケタンの息子、イルムでございます」
「イルムよ、私は今、御医ではない。ただの医官だ。医官と呼びなさい」
「はい、医官様」
「イルムよ、お前は何を言おうとしたのだ」
「はい医官様、医官様の横に立っている者は化け物ではございません。私共と変わらない人間でございます。ここの村人の誰よりも優しく、賢い人間でございます」
ハンギョルはうなずいた。そして、村人にこう話した。
「いいか、村民よ。この男は身なりが違う、皆が初めて見る人間であろう。しかし、この男の目を見なさい。優しさに溢れているではないか」
ハンギョルは村民を見渡した。そして、こう付け加えた。
「この男は体も大きく、髪の色も違う。体には得体の知れない絵が彫られている。ただ、それだけだ。私達と同じ人間なのだ。生まれた場所が違っただけで、等しい人間なのだ。賤民に生まれたお前たちが、その苦しさを一番知っておるではないか」
村民全員が、ハンギョルの前にひざまずいた。
「医官様、私達は大きな罪を犯してしまいました。お許し下さい。今すぐ、打ち首にして下さい」
「何を申すのだ、私はお前たちを殺すためにここにやって来たのではない。お前たちの命を救うためにやって来たのだ。いいか、この男も今日から村民だ、仲間だ。名前はショウタ、ショウタと呼びなさい」
村民が泣きながら翔太を囲んだ。そして、「ショウタ、ショウタ」と手を握り、今までの行いを詫びた。
それを見ていたソヨナの目から自然と涙が溢れていた。