第四章 村中のうわさ
翔太がケタンの家にやって来てから、約三カ月が過ぎようとしていた。朝鮮の生活に慣れた頃、自然と日本での習慣が出始めた。
床に就く前、暗がりの庭先で軽いストレッチ、おのずとキックも出る。汗が滲んだ、心地良い汗だ。翔太はただ体を動かしたかっただけだったが、「ケタンの家には化け物がいる」と、村中で噂が広まった。
ある日、村民の一人がケタンに向かって、
「ケタンよ、お前の家には人喰い怪物がいるらしいな。売って、金儲けでもする気か」
ケタンはその男を殴りたかったが、ぐっとこらえ家路に着いた。
夕餉が終わり、ケタンは縫物をしている妻のムスンに話しかけた。
「なあお前、あいつは優しい子だよな」
「おかしな人だね、あいつって誰のこと言ってるんだよ」
「今、庭先で訳の分からねえ事やっている化け物だよ」
「あんた、何を言っているんだあ。あの子は化け物なんかじゃないよ。あんな風貌はしているけど、優しい子だよ。私には力仕事はさせないし、毎日肩ももんでくれる。息子のイルムより優しい子だあ」
「そうだよな、身なりはあ~だが、優しい子だよな。なあお前、あいつに名前をつけてやんないとな」
ある日、ソヨナが恵民署の仕事を終え、帰り支度をしていると、仕事仲間に呼び止められた。
「ねえ、ソヨナ、あんたんちの怪物、何に食べているの。毎日夕方になると、外で吠えているらしいじゃないの」
ソヨナは悔しくて、そのままスアの元に走った。
「スアお嬢様、少しいいですか」
「ソヨナ、どうしたの。遠慮しないで入って来て」
スアは泣きじゃくるソヨナを見て、優しく声をかけた。
「ソヨナどうしたの、泣かないで。私達は姉妹も同然でしょう。何があったの、早く話してちょうだい」
「はい、スアお嬢様、悔しくて悲しくて涙が出てしまいました」
「ソヨナ、何が悔しいの」
「村中のみんなが、あの人のことをひどく言っているのです。もうすぐ熊の闘いがあるから出してみろよ。一番ひどいのが、あいつは名前がないから俺たち奴婢より下の人間、犬畜生と同じ身分だ」
スアはソヨナの話を聞いて悲しくなった。
スア親子は奴婢たちも同じ人間であると、今まで平等に接して来たのだ。身分で悔しい思いをして来た奴婢たちが、今、自分たちより下の人間を作ろうとしている。
スアは、村人の心ない言葉に傷つき立っているのもやっとであった。そして、翔太の優しい顔を思い出し、涙を抑えることができなかった。