7.追う者と追われる者
「・・・」
「・・・」
「ひいひい・・・」
3人は走っていた。
「・・・」
「・・・ふう」
「ぜーぜー・・・な、なんでこんなことに・・・」
三葉は完全に息が上がっていた。深雪でさえ、少し息が苦しそうだ。
数分前。
すでに動かぬ者となっているそれを、優一は見下ろしていた。
「・・・可哀想に。まだ若いのに。」
その言葉とは裏腹に、優一はとても冷たい目をして、冷静にそれを観察していた。
そして、その目とは裏腹に、それの傍に腰を降ろした優一は、開かれたそれの目を優しく手で閉じさせて、自らもまた、目を閉じて手のひらを合わせた。
だが、すぐに、弾かれたように顔を上げた優一は、三葉たちのいる場所の反対側、つまり、先ほど男が逃げた方角をじっと睨み付けた。
「優一!」
「ヤベッ!」
「・・・まずいな」
優一が唸ったのと、三葉と深雪が声を上げたのは、ほぼ同時だった。
そして、弾かれたように立ち上がった優一は勢いもそのままに、三葉たちの方へ全力で駆け出した。
三葉たちを追い越しても、その足は止まることがなかった。
そして、三葉たちもまた、その優一を追うように走り出していた。
「さっきの奴だよな?」
「分からないが、俺の頭が『答え』を示した。『ここにいたら駄目だ。全力で逃げろ!』と」
三葉の声に振り向かずに、優一が言った。
「でも、この『音』はさっきの奴と違う!
それに、足音が一人じゃない!
二人いる!」
「くそっ!仲間がいたのか!
・・・三葉。少し曲がる。その時に速度を落とさずに後ろを見れるか?」
「了解!」
三葉は深雪と並走しながら、優一の背を追った。
「よし!あの木をななめ右に曲がる。木を過ぎた瞬間、一瞬だけ奴等を見ろ!
この距離で見えることを悟られないように。その後、不自然にならないようにコースを戻す」
「よっし。まかせろ!」
「ねえ!なんでわざわざルートを戻すの!優一。道が分かってるの?」
3人は互いに顔を見合わすこともせず、前だけを見ながら話していた。
「分からない。だが、『解る』。走り始めた時から、俺の『答え』が道を示した。『こっちに走り続けろ!』と」
優一は確信に満ちた声でそう言った。
「そっか。優一が出した答えなら、それに従うよ。三葉もそれでいいわね!」
「もちろん!」
そんな会話をしながらでも、3人は速度を緩めることはなかった。
「よし!じゃあ、曲がるぞ!
そこから、少し複雑に動く!
しっかり付いてきてくれ!」
「「了解!」」
ザッ!
そして、優一は急激に向きを変え、その木を迂回した。
三葉はその木を過ぎた瞬間、焦点を絞った目で本当に一瞬だけ斜め後ろを見た。
「見えたか!?」
後ろを走る三葉に対して優一が振り返らずに尋ね、三葉が答える。
「体型からして、おそらく男が2人!
二人ともさっきの奴と同じ、黒いローブを着て、フードを被ってる!
だから顔はよく見えなかった!
一人はでかくて、一人は動きが軽い!
それに、二人とも速い!
このままじゃ追い付かれる!」
「くそっ!やっぱりさっきの奴は下っぱか!
追い付かれれば、俺たちじゃ勝てないし逃げられない!」
三葉の言葉を聞いて、優一がそう吐き捨てた。
「ええっ!?深雪も、優一もいるのに!?」
その言葉を聞いて、三葉が驚いたように尋ねた。
だが、優一はそれに冷静に返す。
「俺や深雪のは、あくまで自衛のためのものだ。
最初の奴なら何とかなったが、奴等のは、対人用に極められたものだろう。
奴等はプロだ。
一介の高校生が歯向かえるようなものじゃない」
「くそっ!
じゃあ、このまま逃げ続けるしかないのかよぉ!」
「でも、このままでも、そのうち追い付かれちゃうんでしょう!?」
三葉の悪態に、深雪が問い掛ける。
その中で、優一だけは冷静さを保ち続けていた。
「ああ。普通ならそうだろう。
だが、本当に八方塞がりなら、『答え』は示されない。
このまま進めば活路が見出だせるからこそ、『答え』が提示されたんだ。
とにかく、それまでは全力で走り続けるしかない」
「くそっ!速い!本当にただの高校生か!?
俺たちが来てることに気付くのも早すぎる!」
ジンが三葉たちを追いながら悪態を付いた。
「『冬属』がいるからな。不可能ではないだろう。
これなら、初めから俺の能力を使っておくべきだったな。
『冬属』の精度がこれほどだとは・・・だが、確かにあの身体能力の高さは気にはなるな。
それに・・・」
「それに、なんだ?ジェイル」
何かを言いかけて途中でやめたジェイルに、ジンが先を促す。
「いや、この進路は・・・。
あいつら、分かってて進んでるのか。
この『神の地』で?
いや、まさか、な」
『それに、さっき不自然に木を迂回した。なにか印を付けたわけでも仕掛けをしたわけでもなく、ただ、進路を変えた?本当に、それだけか?
まさか、俺たちを見るために?あの距離で?そして、この道を進むことを、示したのは?』
「おい!ジェイル!」
自らの思考の海に沈みかけていたジェイルは、ジンの呼び掛けでハッと我に返った。
「いや、悪い。なんでもない」
『まさか、な』
ジェイルは浮かんだ数々の疑問を打ち消し、自分にそう言い聞かせた。
「しっかりしてくれよ!お前の能力が要になるんだからな!」
ジンがチラッとジェイルを振り返り、そう言った。
「ああ。すまない。少し考え事をしていただけだ」
「考え事?」
「気付いてるか?ジン。
奴等の進む先に何があるか。その時の、奴等の選択が何か。
うまくすれば、分離と確保を同時に行えるかもしれない」
ジンは少し考えるようにしたあと、ニヤリと口角を上げた。
「なるほど。そういうことか」
「ああ。まさに、俺の能力が要だろう?」
延々と続く樹海の変化に、最初に気付いたのは三葉だった。
「あそこ!少しだけ明るくなってる!何かあるぞ!」
三葉はそう言って、進行方向を指差した。
「あれだ!あそこに行くぞ!」
優一はその時を待っていたかのように声を上げた。
「くそっ!逆光で先に何があるか、よく見えない」
三葉は眩しそうに目を細めながら、それに向かって走った。三葉は目が良すぎるために、強力な光に弱いのだ。
光の先の切り開かれた樹海は、もうすぐそこに迫っていた。
その時、
「見付けたぞ!ガキ共!」
ジンとジェイルが、すぐ斜め後ろの繁みから飛び出して、手を伸ばしてきた。いつの間にか、ここまで近くに来ていたのだ。
「わあっ!」
伸ばされた手を、三葉は間一髪の所で避けた。
「くそっ!いつの間にっ!
三葉!深雪!お前たちはそのまま走れ!」
「了解!」
優一はそう言いながら、背負っていたリュックの肩紐を片方外し、中をゴソゴソしていた。
三葉と深雪も当然のように指示に従った。
こういう場面でも優一の命令には黙って従う。
それが3人の間での暗黙の了解となっていた。
「なんだ!小僧!お前が俺とやるつもりか!
時間稼ぎでも出来ると思ってるのか!」
そう言って、ジンは優一を潰しにかかった。
だが、優一はそれを見て、ニヤッと笑った。
「ハッ!まさか!
誰があんたみたいなデカブツとやりあうか!
でも、時間を稼ぐってのは合ってるよ」
そう言って、優一はリュックの中身を取り出して、付いていた紐を思いっきり引いた。
バサッ!
優一が紐を引いた瞬間、折りたたみ式のテントが一気に広がって、ジンの視界を埋めた。
「なっ・・・!」
一瞬、面をくらったジンだが、すぐに自分を取り戻した。
「ナメるなぁ・・・アァッ!?」
そう言って、ジンは片腕でテントを払いのけた、が、一瞬あれば、優一には十分だった。
テントを払いのけたジンの目の前には、先が全て自分の方を向いている花火の束があった。
「だから言っただろ。あんたとやり合うつもりはないって。
これで、少しは時間が稼げるかな?」
ドッ!
パパパパパパパン!
ヒューーー!パン!
バンバンバンパン!
優一が言い終わるのとほぼ同時に、導火線の火花が火薬に着火して、まとめた花火が一気に火を吹いた。
「ウオオォォォッ!」
「なっ!ちょっ!」
これにはさすがにジンと、そのすぐ後ろにいたジェイルもたじろいた。
なにしろ、百本以上はあろうかという閃光と爆発が、一気に自分目掛けて飛んできたのだ。
良い子は真似しないように。ダメ。ゼッタイ。
「くッ!」
ジンは着ていたローブを盾にするように、背中を向いてしゃがみこみ、火薬の猛攻が終わるのを待った。
十本毎に時間差をつけた花火は、10秒ほど続いた。
「ははっ!おい!優一!お前いつの間にあんな仕掛けを用意してたんだよ!」
追い付いてきた優一に、三葉が愉快そうに尋ねた。
「ホントにさっきよ。あんたがバテバテで、何とか私たちに追い付いてきてた時に、何かガサゴソやってるなぁとは思ったけど。
まさかあんなものを作ってたとはね」
ニヤリと笑う優一の代わりに深雪が答えた。
「とはいえ、これであそこまで問題なく行けるだろう。
いいな。
あの先に何があっても突き進むんだ」
樹海の境目まで、あと10メートルほどだった。
「分かってるわよ!どっちにしても、行かなきゃ捕まるんだし、先はないわ!」
あと8メートル。
「何か聞こえてきたわ!」
あと5メートル。
「あ!なんか見えてきた!あれは・・・」
あと2メートル。
「水の音!?」
「空!?」
三葉と深雪が同時に声を上げた。
「待て!」
二人が目の前の風景に思わず足を止めたのと同時に、ジェイルが叫んだ。
ジェイルはいつの間にか、3人のすぐ後ろまで来ていた。
「くっ!いつの間に!」
二人が足を止めたことに気付いた優一は、樹海と、その先との境目の直前で止まり、二人を振り向いたあと、ジェイルを見た。
「おい!ジェイル!お前よくも俺を盾にしてくれたな!
戻ったら覚えてろよ!」
ジンは先ほどの位置のまま、焦げたローブと自身の状態を確認しながら声を荒げた。
どうやら、ジェイルは身体の大きいジンを盾にして、花火の猛攻を凌いだらしい。
そして、そのジンを置いて、3人を追い掛けてきたのだ。
「三葉!深雪!止まるなと言っただろ!早く来い!」
いつも冷静な優一が珍しく声を荒げた。
「で、でも、その先は・・・」
言い淀んで躊躇している深雪にジェイルが圧力をかける。
「どうした?樹海を抜けるんだろ?
さあ!お友達も言ってることだし、勇気を出して行ってみろよ!」
「くっ・・・」
その言葉を受けて、深雪が悔しそうに顔を歪める。
「何してる!早く来い!
その男は危険だ!
俺にも判断が着かない存在だ!」
柄にもなく焦る優一の言葉に、ジェイルが目を見開いた。
「・・・お前。俺の何が解る・・・
いや、なぜ解る?
やっぱりお前ら・・・『音』だけじゃなく・・・」
ジェイルはそう呟きながら、顔を下に向けていき、俯いた。
そして、次に顔を上げた時、ジェイルは目を見開きながら笑っていた。
「なっ・・・」
「ひっ・・・」
「くっ・・・」
その表情は、三葉たちに容赦ない殺気と恐怖を与えた。
そして、その表情のまま、ゆらりと一歩を踏み出したジェイルを見て、優一はハッと我に返り、三葉と深雪の手をそれぞれ掴んだ。
そして・・・
「逃げろーーー!!」
「キャッ!」
「え?ちょっ!」
その手を思いっきり引っ張り、自らの後方、つまり樹海の先へと、二人を振り投げた。
そこに、二人を受け入れてくれる地面はなかった。
「キャーーーー!!」
「わあーーーー!!」
樹海の先は切り立った崖で、二人は一瞬、滞空したあと、悲鳴とともに重力に引っ張られていった。
滞空していた一瞬に、三葉が見たのは、
ジェイルの手が優一の身体を貫く瞬間だった。
時間的には一瞬だったが、三葉には永遠に近いほど永く、スローモーションに感じた。
そして、三葉は落下しながら、同じように落下しているはずの深雪が滞空したままの状態で、全身を樹海から伸びてきた鎖でぐるぐる巻きにされていくのを見た。
最後には、三葉が大きくて広い谷底の川に落ちる音だけが響いたが、すでに気を失っていた深雪がその音を聞くことはなかった。
そして、3人は独りになった。