第99話 斬撃 ―リッパー―
「姉原、テメェよくもヘレンとここあを殺ってくれたな……」
両眼から止まらない涙を流しながら、檀麗は嗤った。
「……」
サダクは軍刀によって手を地面に縫い付けられたまま、ゆっくりと立ち上がる。鋼に貫かれた手の肉と皮が無理やりに引き延ばされ、最後にブチリと嫌な音が聞こえた気がした。
しかしそんなことはまるで気にせず、サダクはヘルメットを外すと光の無い眼を麗に向けて微笑んだ。
「おかえりなさい、麗さ――」
その瞬間、強烈なヤクザキックが彼女の腹部に叩き込まれた。
細い体が空を飛び、電柱に激突する。
「亡霊風情が、人間様の言葉をしゃべんじゃねぇよ」
対するサダクは、おどけたように両手を胸の前にだらりと垂らし、ゆらゆらと立ち上がって見せる。
刀に貫かれた傷はすでに跡形もなく消えていた。
「上等だ化け物が!」
麗は疾走った。防御は一切考えず、刀を上段に振りかぶる。
一瞬で間合いが詰まり、渾身の斬撃が振り下ろされる。
「キヒッ」
麗の食いしばった歯と歯の間から、異様な笑い声が漏れた。
刃は、サダクの首筋から脇腹までを袈裟斬りにしていた。
大量の血と、様々な体液の混合物が周囲を汚す。強烈な悪臭に混じって、わずかにバニラとキャラメルの甘い香りがした。
「ふざけんな!」
自分たちを皆殺すために現れておきながら、ちゃっかりと現世を堪能しているその態度。
檀麗は短気で凶暴な少女だが、サダクのその密かな諧謔を理解するだけの知性はあった。
――どこまで私らの命を軽んじるつもりだ!
麗の身体が高速で一回転した。彼女を中心に白い光が美しい円を描く。次の瞬間、サダクの首もまた虚空に美しい弧を描いていた。
「ひぃぃぃ……」
目の前で繰り広げられる少女たちの殺し合い。そのあまりに非現実的な光景に、たまたまその場に居合わせただけの中年女性はポメラニアンを抱きながら腰を抜かし、失禁していた。
彼女の前に、穏やかな微笑みを浮かべた生首がころころと転がって来る。
「やだ、何コレ!? こっち、こっち見てる!」
「ふぅん」
刀を振るって血を飛ばしながら近づいて来る麗。足跡からも殺気が立ち上るようだ。
「ちょっと、やだ、何? 何?」
「無駄だ姉原……。今度こそ、真っ二つにしてやる……」
振り上げられた白刃が天を指す。
「ヒイィィィ!!」
だが、麗は一瞬両目を大きく見開くと、真横に跳んだ。その場にはベージュのコートが残像のように残っている。
「え? 何――」
コートが地面に落ちる前に、巨大な何かが突っ込んできた。
それが何なのかわからないまま、女性が最期に感じたのは、腕からすり抜けてゆく子犬の毛の感触だった。
「そう来たか」
街路樹に激突し、白煙を上げる小型パトカー。タイヤの間をくぐって、子犬1匹が飛び出すとどこへともなく走り去っていった。
運転席のドアが開き、手足がすらりと長い女性警察官が降りてくる。
「化け物が」
姉原サダクはうっすらと笑った。その口元に宿っているのは、嘲りと憐みだった。
彼女が言いたいことはわかる。
サダクを不死身の怪物にしているのは他の誰でもない、この町の人間たちだ。
「ちっ……」
麗は憎々し気に周囲を見回す。
人通りはほとんどないとはいえ、時折車道には車が走る。しかもこの騒ぎで人が集まって来る可能性はまだじゅうぶんにある。
そのうち、一体何人がサダクの憑代になり得るだろう?
もしかしたら、そうならない人間の方が少ないかもしれない。
「関係ねぇ! 何人でも何回でもぶった切ってやる!」
なおも刀を構え、突進しようとする麗。だが、今回サダクが乗っ取ったのは警察官の身体だった。
その手には、拳銃が握られている。
「だから何だ!」
絶叫と発砲が重なった。
「ぐァ!」
だが、さすがの麗も弾丸の初速より速く動くことはできなかった。
むしろ銃弾を躱せる人間がいるとしたら、それはもはや人間を辞めた何かである。
前のめりに倒れる麗。それでも彼女は刀を手放さず、アスファルトの上を這いながらサダクに迫ろうとする。
そんな麗を、サダクは光の無い瞳で見下ろしながら、立てた人差し指をくいくいと動かして挑発した。
「あ、ね、は、らァ……」
どす黒い怒りが麗の身体を包む。
「殺す! テメェだけは絶対に!」
麗の執念を涼しげに受け流し、サダクは麗に背を向けて歩き出す。
転がったバイクを立て直し、黒く滑らかなタンクに擦り傷がついていることに小さく頬を膨らませたが、気を取り直してバイクに跨った。
「それでは、後ほど学校で!」
登校中の女子高生そのものの挨拶を残し、サダクは爆音と共に走り去っていった。
「ク、ソ、が……」
麗は右足を引きずるように立ち上がる。
先ほどの意趣返しだろうか、足の甲から赤黒い血が泉のようにあふれ出している。
「学校……だと……?」
今、千代田町長によって避難場所に指定された日和見高校校舎には、多くの町民がいるはずだった。
そして当然、2年A組のクラスメイトたちも。
「関係ねェ……」
セーラー服のリボンタイを解き、足にきつく縛り付ける。止血にはほど遠いが、麗は抜き身の刀を杖にずるずると歩き始めた。
「ブッ殺してやる……。私の血が尽きる前に、何人でも何回でも――!」
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