第96話 足音 ―フットステップス
「答えろ町長! 妹尾君を殺したのはアンタの息子だった! アンタはそれを隠すために娘の口を封じたのか!?」
「違う! これはでたらめだ! こんなものは何の証拠にもならない!」
佐藤夫妻に詰め寄られ、大量の冷や汗を流す町長、千代田純太郎。
その背後で、妻青華は心の中で深いため息をついていた。
(この男、平時の看板役にはもってこいだけど、有事はからっきし役立たずね)
とは言え、青華もわかっている。社会というものは、有事の時よりも平時の方が長い。いざという時に頼りになる男でも、普段がだらしなければ彼女にとって総合的にはマイナスだ。
例えば、争いの中でしか生きられないがゆえに、平地に乱を起こす和久井准二のような男。
この町の影の支配者のように振舞ってはいたが、青華に言わせればその場その場で優位に立つのが上手いだけで、本質は行き交う情報に翻弄され、右往左往する大衆と変わらない。ただ、大衆の先頭に立っているというだけの話だ。
青華の理想の男とは、深謀遠慮で己の理想のためなら清濁併せ呑む傑物だった。
「まぁまぁまぁ……」
夫と佐藤夫妻の間に、1人の老人が割り込んでいた。
「千代田さんとこの坊んはあの通りよくできた子ですから、僻む者も居るでしょう」
日頃から『千代田家の旗本』を自称し、もめ事とあれば率先して首を突っ込んでくるお節介焼きな暇人だ。
彼の存在が事態を解決することはないが、事態を停滞させる緩衝材としては役に立たないこともない。
「殺しだなんて大げさですよ。アタシに言わせりゃ、こんなの楽しい球遊びです。アタシらがこのくらいの歳の頃は、ねぇ?」
「これが遊び!? 実際に彼は死んだ! 娘は彼のことをずっと気にしてしたんだ! その矢先に――」
(バカな親)
老人に正面から反論しようとする佐藤氏を、青華は嘲笑う。
ここでの正解は老人を排除するか、仲間を連れてきて彼の相手をさせることだ。
老人の言葉の中身など何の意味も価値もない。見るべきは頭数、それだけだ。
(ダメよ。兵隊も揃えずに戦争を仕掛けたら)
「まぁまぁ」
「落ち着いて話しましょう」
「こういう時こそ冷静に」
いつの間にか、佐藤夫妻の周囲はにこやかに微笑む中高年たちに取り囲まれていた。
彼らにいちいち真面目に反応するせいで、夫婦はじりじりと町長との距離を開けられてゆく。
そんな旗本の何人かがちらちらと青華を見た。ご褒美を期待する犬の目だ。
(そのうち顔でも踏んでやるか)
夫の影から、他の者には見えないように顎で「つまみだせ」と指図する。男たちは嬉しそうに頷くと、表情は穏やかなまま、実際はかなり手荒に夫婦を体育館から連れ出していった。
「ふぅ……」
手の甲で汗をぬぐう純太郎。青華はすかさずハンカチで拭いてやる。
印象とは積み重ねだ。人は正義や人徳ではなく、幻想を何より大切にする。「こうあってほしい」「こうあるべきだ」その思いの前では、道義も真実も簡単に捻じ曲がる。
仲睦まじい夫婦の間に生まれた子は、殺人など犯さない。
「しかし、いったい誰があんなものを……」
苦々しく顔を歪める純太郎。彼もまた幻想に囚われている。
自分によく似た息子が、自分に嘘をつくはずがないと。
(親バカ)
青華は思う。子供は親にこそ嘘をつく。自分がそうだったように。それを受け入れてこそ親であり、そんな子を全力で守ってこそ親だろう。
「あなた。私、育郎が心配だわ」
「わかっている。だが、もう少し場が落ち着かないことには……。くそ、あの女、何をやっているんだ」
「あなたはここにいて。私は教室に行くわ」
「あ、いや、それは……」
壮年男の捨てられた子犬のような目つきに、青華が苛立ちを覚えたその時だった。
「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァーーーーーッ!!!」」」
小汚い悲鳴が響きわたる。
「何だ!?」
先ほどの自称『千代田家の旗本』たちだった。もつれ合い、転がるように駆け戻ってくる。
「ひ、人殺し!」
「殺人鬼だ!」
口々に叫び、床を無様に這い回る。その服は濃密な赤黒い飛沫に染め上げられていた。
「きゃははははははは!」
彼らを追って入って来たのは、引き締まった体に真っ赤なパジャマを張り付かせた少女だった。
その手には鉄パイプと出刃包丁が握られており、いずれもどろりとしたどす黒い液体にまみれていた。
「きゃはは! いる! いっぱいいる! 見て見ぬふりのクソ共が! ねぇ志津! 私たち、あと何人殺せば許してもらえるかなぁ!?」
互い違いの方向を見つめる両眼は、もはや現世を映していなかった。
◇ ◇ ◇
和久井春人が最後にたどり着いたのは、彼の居城たる野球部の部室だった。
(逃げた? この俺が?)
信じられない思いだった。しかも、相手は鹿谷慧。クラスの女子にいびられ、米田がごとき虫けらにすら弄ばれる、底辺の中の底辺。
そして何より、終の、弟の所有物!
長男が絶対である和久井家にしてみれば、次男の女など踏みにじる価値すらない、雑草のごとき存在だった。
「違う!」
もう痛みすら感じない壊れた拳が、部室のドアを突き破る。
(俺はビビッてなんかいない。相手は鹿谷じゃなくて、あの化け物女だ)
心臓を撃ち抜いても生き返った人外。そんなものを相手に立ち向かうのは蛮勇を通り越してただ愚かだ。
(武器がいる。猟銃を超える強力な武器!)
和久井建設にはビル解体用の発破がある。思いつくのはそれくらいだ。
(仕掛けるには罠がいる。そして何より兵隊だ!)
6人いた野球部員だが、1人は壊され、2人は春人とは別方向へ逃げてしまった。今、春人の手持ちの兵は3人だ。
(嘘だろ?)
凋落。
ほんの数時間前まで、春人の周りには数十人の半グレ集団がいたはずだ。その数日前には暴走集団や父から受け継いだ営業2課も配下にいた。
「ぐぅッ」
こみ上げてくるものを、所々が欠けた歯を食いしばって耐える。
(とにかく、ここで立て直す)
何を? とは考えない。考えてはならない。
和久井春人は王なのだ。王の心は決して折れることなどない。
部室の扉を開けると、そこには先客がいた。
「やあ……」
いつもは春人が座っている最奥の上座に、くたびれた老人のように座る大柄な男。
「お前――?」
名前が出てこない。
「え、もしかして、宇都宮君!?」
後から入ってきた部員の声で、春人はようやく相手を認識した。
宇都宮直樹。
2-Aのクラスメイトで、春人にくっついてその威を借りていた金魚のフンの1人。
トレードマークだったドレッドヘアーは見る影もなくパサパサに萎れ、斑状の脱毛症により思わず目をそらしてしまうほどに痛々しい。
それもそのはず。彼は姉原サダクによる教室襲撃後、自室から1歩も出られないほど精神を病んでいたと聞いている。
「そこで何をしている?」
宇都宮の放つ異様な雰囲気に気圧されまいと、春人は一歩踏み出しながら凄んだ。
「あはっ」
痩せ衰えた顔に不似合いなほど陽気な笑顔が浮かぶ。まっすぐに春人を見つめる瞳は、清らかな水のように澄み切っていた。
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