第95話 告発 ―ツイート―
ホワイトボードに大きく『自習』と書かれてからすでに2時間になる。
「ねえ、うちらずっとここにいていいのかな?」
ショートヘアに大きな吊り目の女子、和泉詩歌が何度目かの声を上げた。
「今は勝手に動く方が危ねぇだろ。大人しくしてようぜ」
金色に染めた髪を逆立てた田所時貞が、自身のイメージとは真逆の言葉を返す。
「でも……」
町に充満する焦げ臭さが密度を増している気がする。
それに、何度か空気が破裂するような甲高い音が聞こえる。
タイヤがパンクした音だと思い込みたいところだが……。
「……」
うっすら立ち込める煙と、そわそわと微振動する教室の空気の中で、千代田育郎は沈黙を守るスマートフォンを苛立ちと共に見つめていた。
父も母も、一向にメッセージを返してくる気配がない。
(落ち着け。こういう時こそ冷静に。状況を分析するんだ)
だが、情報が足りない。
山火事はどれくらい広がっているのか? 町民の避難状況はどうなっているのか? 警察は? 消防は? 病院は?
そもそも、この騒ぎの原因は?
ツイッターを見ても、タイムラインに流れてくるのは自分と同じ、『何もわからない不安』を訴えるつぶやきばかりだった。
(これは?)
だが、そんな中で育郎はあるアイコンを見つけた。
この辺りでは珍しい竜胆の花。ある時を境に沈黙していたアカウント。
(佐藤晶?)
そんなはずはない。
彼女は、和久井春人とその一党によって廃人にされたはずだ。
快復したという話は聞いていない。
ツイートに文字は一切無い。
あるのは、添付された画像だけだ。
それは、スケッチブックに鉛筆書きされたらしい漫画を撮影したものだった。
写実的で繊細な絵柄、スクリーントーンの類も一切使われていない。
セリフも効果音も書かれていないが、それは決してデッサンをコマ割りしただけのものではなかった。
ひとコマひとコマに描き込む構図と情報量が綿密に計算された、まぎれもない漫画だった。
セリフはなくても、登場人物の表情、目線、手の動き、全てが彼らの心情を余すところなく伝えていた。
(何だ、これ……)
時折、繊細なタッチが凄まじい筆圧の荒々しい殴り描きになる。
感情のままにペンを叩きつけたというよりは、情念をペンに乗せて紙に刷り込んだような、おどろおどろしい線。そこに、描き手のじっとりとした視線を感じた。
(楠比奈か!)
生まれつき言葉を使えない少女。
カリカリに痩せた小柄な体と、長い前髪に隠された暗い瞳を思い出す。
(あいつ、何を描いた!?)
タイムラインを遡り、漫画を初めから見直していく。
だが、内容が頭に入らない。
まるで脳がこの絵を認識するのを拒否しているように、視線だけが画像情報の上を滑っていく。
(何だよ。たかがシャーペンの線だろ?)
バックボタンを押したい衝動が膨らんで来る。
これ以上、この漫画を見たくない。見てはいけない。
冷えた汗が背中を伝う。この時、ようやく育郎は自分がこの漫画に恐怖しているのだと理解した。
なぜなら、この漫画はひた隠しにしてきた彼らの罪を暴き立てる、楠比奈の告発に他ならなかったからだ。
「ねえ、何コレ?」
和泉詩歌も気付いた。彼女もまた、不安からスマホで情報を集めていたのだ。
「これ、妹尾だよね?」
詩歌の大きな吊り目がこちらを見ている。
(見るな)
「どういうこと? 妹尾は事故で死んだんじゃないの? これ、マジでアレだよね? つーかさ、そもそも事故って何? うちら、妹尾の葬式とか、何も知らなくね?」
「ちょっと黙っててくれ」
育郎が睨むと、詩歌は怯えたように口をつぐむ。
「でっち上げだ、こんなの。妹尾君は、野球部の部室で転んで頭を打った。そうだろ、田所君?」
机に両足を投げ出していた金髪の少年が椅子から転げ落ちる。
「知らねぇ! 俺ァ何も知らねぇよ!」
尻もちをつきながらじりじりと壁際に退がる田所。
「君たちも」
育郎は同じサッカー部の面々を見回した。
茶色い鳥の巣のようなアフロヘア以外何の特徴も取り柄も無い、原兆。
ソフトモヒカンに黒縁メガネが致命的に似合っていない平尾邦明。
2人は気まずそうに目をそらしながらも、「ああ、でたらめだ」とつぶやいた。
◇ ◇ ◇
「町長!」
ひそひそ声がざわめく体育館に、その声は高く響き渡った。
(厄介な奴が)
千代田純太郎は強張る表情筋を隠すのに少なからぬ努力を強いられた。
「どうしました、佐藤さん?」
純太郎の前に進み出る2人の男女。暴行と薬物により廃人となった佐藤晶の両親だった。
何とか笑顔と取り繕う純太郎に、スマートフォンが突きつけられる。
「娘のツイッターにこんなものが」
「!?」
セリフの無い漫画。
絵面自体は写実的で淡白なのに、見る者を妙に惹き付ける力がある。
描かれている場面は、学校のグラウンドだった。
ゴールの前に立たされる華奢な少年。
彼の前には数人の体操着を来た男子たち。
一斉に蹴られるサッカーボールが少年の体を襲う。
はやし立てるギャラリー。
何度も繰り返される、渾身のシュートによる一斉射撃。
彼らは明らかに少年の顔面を狙っていた。
言葉は無くても、彼らの細やかな表情が伝えてくる。
顔面が高得点、その他、ボールが当たった体の部位によって点数がつけられ、彼らはその合計を競っている。
ベンチや地面に座るギャラリーたちはそれを見ながら賭けをしているようだった。
やがて、少年は立てなくなる。
ゴールポストに寄りかかる彼に、まだ容赦なくサッカーボールが飛ぶ。
反動で、彼の頭がゴールポストに激突した。
土の上に倒れる少年。動かない。
さすがに表情を変えて駆け寄る生徒たち。
頭を打った少年の体を無遠慮に揺さぶり、無理やり立たせようとする。
それを離れた場所から命じている1人の男子。
彼の立つ場所は、明らかに最後のボールを蹴った場所だ。
その男子は――
均整の取れた筋肉質な身体に、端正で精悍な顔つきをしたその男子は――
「嘘だ……。これはでたらめ、でっち上げだ!」
千代田純太郎は叫んだ。
「妹尾明は、野球部の部室で頭を打ったんだ! 事故だったんだ! こんなものは根も葉もない誹謗中傷だ!」
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