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第89話 鏡 ―ミラー― ◇校長制裁その1

 押し込められた人々が座り込む体育館に通され、当然のようにステージに上がろうとした千代田町長を、彼が予想もしていなかった罵声が迎えた。


「いつまで俺たちの上に立っている気だ!?」


 考えられない野次。

 この町で千代田家にたてついた者は、この先まともに生きていくことはできないというのに。


 純太郎本人が何かをしたり命じたりするわけではない。

 ただ、彼の周りの者たちが()()()()()()気を利かせるだけである。


 順番待ちをしていたらとばされるとか、何かしらの理由をつけてゴミが収集されないとか。


 1つ1つは合法で、良心の痛まない範囲のものだが、それが町中からの集中砲火となるとそのストレスは絶大である。




 ――千代田に逆らったのだからしょうがない。




 この空気こそ、千代田家が代々守ってきた家宝のはずだった。


「町長は説明しろ!」

「一体何が起きているんだ!?」

「俺たちはどうなる!?」


 矢継ぎ早に浴びせられる質問。

 それは、生まれてからずっとこの土地で『若様』と呼ばれ、『殿』と敬われてきた純太郎にとって初めての経験だった。


「あなた」


 妻の手がそっと純太郎の背中に添えられる。


 それは励ましというよりは、「私を失望させないで」という発破だった。


「えー……」


 純太郎は仕方なく舞台に上るのをあきらめ、マイクを手に持った。

 言葉を切り周囲を見回すのは、演説のテクニックではなく、情報提供者である由芽依の姿を探しているのだった。


(何をしているんだ、あの女……)


 騙されているかもしれないという考えが頭をよぎる。

 だが、ここに至って自分に選択肢はない。


「皆さん、信じられないかもしれません。私自信、信じられない気持ちであるのですが……」


 千代田純太郎は自分を鼓舞するために大きく息を吸った。


「ここ最近の殺人事件、そして今回の山火事、これらはすべて悪霊による(たた)りなのです!」


 体育館が静まり返る。


「「「ふざけるなァ!」」」


 直後、凄まじい怒号が圧となって純太郎に体に襲い掛かった。


「ふざけているのではない! これは事実! 事実なんだ!」


 怒声は収まらない。


「バカを言うな! 祟りだなんて、そんなことがあってたまるかよ!」


 だが、ヒートアップする怒りには、どこか切実な成分が含まれていた。

 彼らは悪霊の存在を否定しているのではない。




 否定したいのである。




 なぜなら、祟りを認めてしまったら、自分たちの罪に目を向けなければならなくなるから。

 いや、罪とは言えないかもしれない。

 彼らのしてきたことは、1つ1つは些細ないたずらである。


 では、彼らには一切の罪悪感は無いのだろうか?


 それもまた否である。

 己の良心に誓って自分たちに非が無いと言い張るのなら、事実を前に声を張り上げたり、口をつぐんだり、開き直ったりする必要もない。ただ、微笑みながらちょっと首を傾げる程度の反応しか示さないはずなのだ。




 彼らの怒りは、突き詰めれば「自分たちは()()()()悪くない」「やったのは自分たちだけじゃない」という気持ちに集約する。




 だが、ここに1つの黒い鏡があったとしたら。

 立場の弱い誰かに寄ってたかって集中したささやかな悪意を、1人1人に平等にはね返す精巧に歪んだ呪いの鏡があったとしたら。


 1人1人の罪の大小は関係ない。

 1人1人に返って来るのは、全員分の悪意である。


 集中した悪意が1人の人間を死に追いやったのなら、はね返されるのは全員の死。

 加害者はもちろん、加害者を擁護した者、黙認した者、すべて平等。


 それが、彼らの怒りに対する回答である。


「嘘だ。そんな理不尽が――」

「元はと言えば町長! アンタの奥さんが!」


 純太郎の背中に添えられていた青華の手が、ぎゅっと握られた。

 女傑と言われた彼女の手が、かすかにふるえている。


「みなさん!」


 純太郎は腹に力を入れて声を吐き出した。

 千代田純太郎はアスリートを思わせる精悍かつ爽やかなルックスを持つ美丈夫であるが、そのルックス以上の武器がこの声だった。

 他の雑音を一掃するかのような圧を秘めた重低音(バス)が館内を制する。


「今は原因の究明よりも、この危機を乗り越えることを最優先事項とすべきです!」


 静まり返る人々。一拍の空白を置いて、そこここでひそひそ声がささやかれ始める。


「そんなこと言っても……」

「いったいどうすれば……」


 不安が浅く広がる絶妙なタイミングを待って、純太郎はここぞとばかりにステージに上った。


「ご安心ください。幸い、私には強力な助っ人がいます」

(あの女、何をしているんだ?)


 由芽依(ゆめい)が戻って来る気配はないが、ここは踏ん張りどころであると覚悟を決める。


「今はその人物はここにいませんが、彼らが間違いなくこの悪霊を退けてくれます」


 ここで、あの2人をあえて『彼ら』と表現したのは、この町には今だ根強い女性軽視の風潮があるためである。


「この場にいる限り、皆さんは安全です。我々が成すべきことは、とにかく冷静さを失わず、気をしっかりと持つこと。先ほどどなたかが『理不尽』とおっしゃいましたがまさにその通り! 我々は理不尽に負けるわけにはいきません! 今こそ! 町が一丸となってこの危機に打ち勝つ試練の時なのです!」


「そうか……」

「ここへきて良かった……」


 不安のざわめきが、信頼の声に変わってゆく。


「今、私の協力者たちがこの校舎に悪霊が入り込まないよう、結界を張っております! 繰り返します! 皆さんはここにいる限り安全です!」


 結界のくだりは完全にハッタリだったが、かまうことはない。彼らに確かめる術などないし、何かあったとしても責任は由芽依に押し付けることができる。

 今はこの波に乗って人心を完全に掌握することだ。


「町長!」

「やっぱり千代田町長だ!」

「ありがたや、ありがたや……」


 そして町民たちの心は、すでに千代田純太郎の手の内にあった。




 純太郎の口に会心の笑みが浮かんだその時だった。




「あぁぁぁぁぁぁばぁぁぁぁぁぁぁ!!!」




 音程を無視した、人の神経に生理的な嫌悪感を呼び覚ます奇声が体育館に響いた。


 その場にいるすべての人が、本能的に見たくないと思いつつも声の方向を見る。


校長(おじき)?)


 泥酔者のような足取りで入って来たのは、脂ぎった顔をした初老の男。

 よれよれに乱れたワイシャツは袖が片方なくなっており、履いている革靴も片方が失われていた。


 そして校長の顔は、まるで母親を探す迷子のようだった。


「ぁーあ! あぁーあ!」


 顔じゅうを鼻水とよだれにまみれさせ、救いを求めるように両手を突き出す。

 だが、その手を取ろうとする者は誰もいなかった。


「あ゛……あ゛ぁぁ……」


 口から黄色い泡を吹き、群衆の中に倒れ込む。周囲の者たちは悲鳴を上げて退いた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] (^◇^;)笑えるほどのクズとヘドロの巣窟っぷり、きっと北限の動物園で有名なあの街もこんな雰囲気なんでしょうね…… [気になる点] 理不尽を他者に強いておいて自分たちは嫌だ!では読者は許せ…
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