第83話 騒音 ―ノイズ― ◇不良グループの処刑その4
「チクショウ痛ェ!」
阿鼻叫喚の坩堝と化した建設中のホテル。そこから黒い革製のライダージャケットを着た不良が1人逃げ出してきた。
彼の脇腹には小さな穴が1つ開いている。
「クソ! 和久井のクソボケカスが!」
その穴は、彼らのボスである和久井春人が撃った散弾の1つによって穿たれたものである。
(早く、早く病院に――)
とくとくと溢れ出る血が止まらない。止める手段も知らない。
痛みと恐怖に震える手でもどかしくフルフェイスのヘルメットをかぶり、バイクに跨ったその時だった。
音もなく近づいてきた何者かによってヘルメットのバイザーが引き上げられた。
「誰だコラァ!?」
上ずった声で振り返った男。その目の前に、にゅっと真っ黒な瞳が現れた。
(見られた――)
そう認識した瞬間、生温い底なしの沼に引きずり込まれるような感覚と共に男の意識は身体を離れ、闇へと呑み込まれていった。
(何だこれ? どこだここ?)
いつの間にか、脇腹の痛みは消えていた。
代わりに一切の感覚も消えていた。
光も無い、音も無い、触感も無い――。
(何だこれ!? どうなってんだよ!? 誰か! 助けてくれ!)
そこにあるのはただ1つ。
生の恐怖である。
肉体を解脱させられた彼の魂に、死も病も老いも無い。
あるのは、この何も無い空間にたった独り、永遠に続くであろう生の予感。たったそれだけである。
(嘘だろ!? 冗談じゃねぇ! 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ――)
彼の魂が思考を停止し、摩耗するように闇へ還るまでにどれほどの時間を要するか。それは誰にもわからない。
◇ ◇ ◇
ライダージャケットとデニムに着替えたサダクは、バイクのエンジンをかけようとして、ふと小首を傾げた。
「ああ、悲しまないで。ちゃんと覚えていますよ、和久井准二君」
さっきは殺した人間のことなど記憶にないかのように振る舞ったが、彼女にとって殺しは食事ではない。
むしろ、手にかけた人間の名前はみんな憶えている。
――だから何だという話ではあるが。
(さて……)
気持ちを切り替え、バイクのエンジンをかける。
その瞬間、固い振動と共に下品な爆音が周囲に轟き、サダクは慌ててエンジンを切った。
(乱暴な子は苦手だな)
辺りを見回すサダクの目に、自分が跨っているものよりももっと大きく、デザインも洗練されたもう1台のバイクが映った。ハンドルにぶら下がっているヘルメットも余分な凹凸がない流線形でサダクの好みである。
サダクはバイクを降り、途中で下半身丸出しの男の死体に躓きながらもう1台のバイクへ近づいた。
「あはっ」
刺さったままのエンジンキー。それで彼女はバイクの持ち主を察した。
この町に、和久井家の物を盗む人間など存在しない。
キーを回すと、やはり音量は不必要に大きいが、どこか心地よくもある重低音が響いた。シートに伝わる振動もマイルドで、サダクは一瞬でこのバイクが気に入った。
「お借りしますね、和久井……えっと……和久井君」
かすかに怒号が漏れ聞こえる、建造中の建物に向かってペコリと頭を下げる。
爆音と共に走り去るサダク。
撃ち捨てられた骸からは無数の黒いモノがもぞもぞと蠢いている。
瞬く間に死肉を食い尽くしたそれらは、やがて持ち主を失い、無造作に転がされていた哀れなバイクに群がり始めた。
◇ ◇ ◇
「急げ! 急げオラァ!」
「うるせぇバカ野郎!」
明らかに定員を超えた不良たちを詰め込んだワゴンが、人気のない道を猛スピードで走っていた。
アクセルをベタ踏みしている運転手を尚も急かす男たち。
彼らを急き立てているのはもちろん死の恐怖である。
それは、彼らのうち何人かが散弾により出血しているという現実味のある焦燥ももちろんある。だが――
「クソ、あの女何なんだ……。マジで何なんだ……」
どんなにスピードを上げても、あの少女があの穏やかな微笑みを浮かべて追って来る幻影が振り切れない。
殺される。
どこまで逃げても、必ず見つけ出されて殺される。
たとえ警察に助けを求めても、たとえ自衛隊が出動したとしても。
彼女からは逃げられない――
「うっ、うぅっ……ぐすっ……」
誰かが、日頃至上の価値を置いている『男らしさ』をかなぐり捨て、子供のように泣き始める。
「バ、バカ! 誰だよッ、な、情けねっ……うぐっ……」
車内に弱気が伝播し、充満しようとしていたその時だった。
パァン!
耳をつんざく破裂音と共に、車は突然安定感を失い、スピンした。
「うわああああッ!!」
運転手の心が恐怖に圧し潰され、生存本能がブレーキペダルに全体重をかける。
もともと定員を超えていたワゴン車は横転し、巨大なねずみ花火となって火花を散らしながら回転し、路上を滑る。
「あ……あぁぁ……」
摩擦熱と煙に追い立てられるように、男たちがうめき声をあげながら亡者のように這い出てくる。
そんな彼らの前に、2つの人影が立ちふさがった。
「あ、すみません……あの、大丈夫、ですか?」
蚊の鳴くようなか細い声で彼らに歩み寄ろうとする1人を、もう1人が制する。
「何してるの? 違うでしょ?」
「あ、ごめんなさい。でも……」
「でも?」
声にわずかな冷気が混じる。
その瞬間、問われた方はびくりと大きな体を委縮させ、ぶんぶんと首を振った。
「たす……けて……」
「救急車……」
もぞもぞと地面を這いまわる男たち。
「何人?」
1人が問う。まるで試すように。
「6人、です……」
試される側が答えた。
「でも、このままじゃ……4人に……」
声を震わせる人影の頭がそっと撫でられる。
「そう。じゃあまずはその子たちから片づけよっか」
宿題でも手伝うような軽い言い方に、初めは誰もその言葉の意味を読み取れなかった。
一拍置いて、あちこちから「ひっ」と悲鳴が上がる。もっとも、一番大きな悲鳴を上げたのは頭を撫でられた人物だったのだが。
「大丈夫。私がついてる。あなたは何も考えなくていい」
「……はい」
「私を信じてくれる?」
「はい、朔夜様」
返答にわずかながら力が宿る。
「それじゃ、試運転と行こうか」
背中を押され、影がゆらりと進み出る。
街灯に照らされたとの顔には、幾重にも包帯が巻かれていた。
「できる……私はできる……朔夜様がいてくれる……」
唇から漏れ出る呪文。
するすると解けていく包帯。
「何だお前……?」
その姿を見た男の1人が、呆然と呟く。
「何なんだよ、その目……!?」
黒い影が、腰を抜かしている男の体を覆う。
「ごめんなさい……」
☆ ☆ ☆
パチンコ店従業員:少年E:サダクに体を乗っ取られて死亡。
その他不良グループ数名:なんやかんやで死亡。
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