第82話 後影 ―イグノア― ◇不良グループの処刑その3
ぶち。
背筋に不快な寒気をもよおす音と共に、男の首筋から鮮血が噴き出した。
割れたガラスで喉元をかき切られ、血管を引き千切られた男は声も出せずにのたうちながら青白い死体へと変わっていった。
猟銃で足首が吹き飛ばされていたため、あっという間に血が抜けてしまったのである。
生者が死者へ変わる瞬間。
その光景が人の心理に与える衝撃は計り知れない。
「マジかよ……」
「ワケわかんねぇ、何なんだよコレ……?」
集団で人を人とも思わぬ暴虐を繰り返してきた男たち。
彼らは群れることで、もともと乏しい責任感や罪悪感を都合よく分散してきた。
それは1人1人の思考力の低下を生み出し、想像力の退化につながっていた。
だが、今や彼らは動物的本能で思い知らされていた。
ついに、自分たちが食われる番が回ってきたのだと。
今や彼らの中には床に両ひざをつき、手を合わせて、祈るように謝罪や命乞いをする者さえいた。
「……使えねぇなこいつら」
そんな中で1人、精神が平常稼働している者がいた。
和久井春人である。
確かに、姉原サダクの他者の体を乗っ取る能力には驚かされた。
(だが自分の目で見ちまったものはしょうがない)
姉原サダクは怨霊である。
戯言だと思っていた金髪のクラスメイトの言葉が真実だった。ただそれだけの話である。
だから何だ。
誰であろうと、何であろうと関係ない。
(姉原サダクは俺を舐めた)
舐めた態度を取った者は許さない。ただそれだけだ。
和久井春人は、人間的には欠陥――欠落と言った方が適切かもしれない――の多い少年ではあったが、少なくともこの町の不良グループを束ねるに値する胆力を持っていることは確かだった。
「この化け物は俺が殺る」
新たに弾を込めた猟銃を構える。
「お前ら邪魔だ。失せろ」
和久井の言葉に、チンピラたちは我先にと出入口に殺到した。
「ふふっ」
穏やかに微笑み、男たちの背中を追おうとするサダク。
「待て姉原ァ!」
その華奢な背中に向かって、和久井は発砲した。今回装填したのは9粒の鉄玉が飛び出す散弾である。サダクの背中に真っ赤な花が咲き乱れた。
「ぎゃあああ!」
「痛ェーッ!」
だが、汚い悲鳴を上げたのは、彼女の周囲の男たちだった。
そもそも命中精度に難のある猟銃、しかも(生来の運動センスで補っているとは言え)和久井が銃を撃つのは今日が初めてである。
当然、すべての弾丸がサダクの細い背中に命中するはずもない。
「血が! 血がァ!?」
「撃つな! 撃つなァ!」
何発かの鉄玉は逃げ惑う男たちを襲うことになる。
「和久井テメェ――!」
男たちは気付く。和久井春人は自分たちを逃がそうとしてくれたのではない。ただ、手っ取り早く出入口を塞ぎ、サダクの動きを封じたかっただけなのだと。
「ふん……」
恐慌にかられる男たちを鼻で嗤い、静かに引金を引く和久井。
さらなる銃声が男たちの悲哀をズタズタに吹き飛ばす。
「うげぇ……げ……げ……」
だが、次の散弾はただの1発も獲物に当たることはなかった。
一瞬で服を真っ赤に染めた1人の男が、血の泡を吐きながら崩れ落ちる。その背後から、ゆっくりと立ち上がるサダク。
「近くにいたあなたがいけないんですよ」
盾にされた哀れな男の亡骸に、サダクはかすかな苦笑を投げかけた。
「くっ……」
(まだ俺を無視するのか)
今、和久井の体を動かしているのは、この苛立ちだった。温度の無い歯車仕掛けのような彼の精神構造の中で、この1点だけが異様な熱を帯びていた。
熱は歯車の間を伝播し、精神全体が熱く高揚してゆく。
こうなってしまうと、もう彼は止められない。彼自身ですらこの衝動に抗うことはできない。
かつて、佐藤晶という少女に対し、彼女が壊れてしまうほどに執着したのもそうだった。
和久井春人に人を愛するという感情はない。
ただ、彼女が自分を無視して、妹尾明を助けようとしたのが無性に気に食わなかったのだ。
(俺を見ろ姉原!)
もう一度銃身を折り、弾を込めようとする。だが――
「うおぉぉぉぉ!!」
ヤケクソ気味な雄叫びと共に、何人かの男たちが和久井の体に突進してきた。
「和久井テメェ俺たちを殺す気か!」
対する和久井は邪魔者に向かって躊躇なく引金を引く。
轟音と共に血飛沫が天井を濡らし、胸に穴を開けた男が仰向けに倒れる。
「ンの野郎ォ!」
だが、感情が振り切れてしまった男たちはもう止まらなかった。
「銃だ! 早く銃奪え!」
彼らは和久井の体を所かまわず殴りつけ、彼の指をへし折りながら猟銃を奪いにかかる。
「くそッ! どけ! ザコ共が!」
肉と肉の隙間から、静かに歩み去ろうとするサダクの後ろ姿が見える。
(行くな! 行くな姉原!)
細い肩、乱れた服、露わな尻――。
サダクの後ろ姿が一瞬、ある人物と重なる。
幼いころに見てしまった、父親から一方的に欲望を叩きつけられ、虚ろな顔で布団に横たわる母――。
(俺を見ろ! 俺を!)
現世への執着を捨ててしまった母の瞳に、春人の姿が映ったことは1度もない。
「無視するな! 俺を! 俺を無視するなァ!」
肉の隙間から伸ばした手は、9個の鉄玉によって跡形もなく千切れ飛んだ。
☆ ☆ ☆
無職:少年C:失血死。
日和見高校1年B組:少年D:射殺。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
和久井春人は一旦退場ですが、彼の災厄はここからが本番なのでご期待いただければと思います。
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今後ともよろしくお願いいたします。