第79話 握手 ―シェイクハンズ―
「俺は……、やっぱ、あんたらとは行けないよ……」
少年はうつむいた。
「え、何で?」
銭丸――刑事というには少々頼りない印象を与える男はすっとぼけた顔で首を傾げた。
「だって――」
彼の向こうに、車いすの上にくたっと乗せられている少女と虚ろな微笑みを浮かべてチーズケーキをつつき続ける女性がいる。
「壊れてんじゃんあの人たち。あれって、親父や兄貴がやったんだろ?」
「らしいね」
「だったら一緒になんて行けないよ。俺、悪者だし」
「何だキミ、まだ若いのに古臭い考え方するんだね。父さんや兄さんがやったことと、君は何か関係あるのかい?」
和久井終は黙り込んだ。
銭丸の言葉に感銘を受けたからではなく、反感を抱いたからだ。
「血だよ」
普通の人にはこの苦しみは解らない。生まれてまだ10年だが、終はすでに血の呪縛を嫌というほど体感していた。
『家系や生まれは関係ない』『自分は自分だけのもの』そんな言葉を耳にするたびに、耳障りの良い綺麗ごとだと思えてしまう。
「俺も、親父も兄貴も、『和久井家』っつー1個の生物なんだよ。俺だって和久井家ってだけで次男坊なりにチヤホヤされてきた。だったら和久井家ってだけで罰も受けなきゃフェアじゃないじゃん」
「はぇー……」
銭丸は目を丸くして終を見た。
「俺がキミくらいの頃は『ゲームやりてぇ』と『塾めんどい』と『晩飯うめー』しか考えてなかったよ」
「そーすか……」
終はボソッとつぶやき、目をそらした。
お世辞やおべっかには慣れていたが、褒められることには慣れていなかった。
そんな彼に銭丸は「でもさ――」と続けた。
「キミには俺の言葉が薄っぺらく聞こえたかも知れないけどさ、俺には君の言い分は考えすぎって感じるよ。血筋ってやつに縛られ過ぎって言うかさ」
「……」
「キミがいくら罪悪感を抱いたって、あの人たちには何の意味もない。キミは和久井家の当主でも嫡男でもないんだから」
能天気な笑顔を浮かべながら、銭丸はなかなかに痛い言葉を終の心に打ち込んできた。
「でも、俺は……」
尚も反論しようとする終。だが、ふと彼をじっと見つめる視線に気が付いた。
楠比奈だ。
彼女の目が、長い前髪の奥からじっとりとした恨みがましい視線を向けていた。
(そっか、俺は……)
自分が彼女たちと一緒に居たくない本当の理由。
和久井家の罪は言い訳に過ぎず、本当は自分の罪に向き合うのが怖かったのだ。
「俺、慧に――慧姉ちゃんに、ひどいことしてきたんだ」
屋外で土下座をさせたり、四つん這いにさせてその背中にまたがったり、ものさしで尻をはたいたり。
それは憧れの異性に対する幼稚な独占欲と、甘えの裏返しだったかもしれない。
でも、『不器用な愛情表現』で決して許されることではない。
「あのままだったら俺、きっと慧姉ちゃんを壊してた。あんな風に……」
終の中にはある予感があった。
自分が慧にしてきた行為にはまだ制限のようなものがかかっており、それが外れる時はそう遠くなかったと。
それまで漠然としていたその予感は、慧の裸を見たあの日から徐々に確信へと変わりつつあった。
(俺の中には悪魔がいる)
その悪魔は、和久井の血の産物か、それとも――
「でも、今は気付いたんだろ? 慧ちゃんに悪いことをしたって」
こくんと頷く。
「じゃあ謝らないとな。そして2度としないこと」
「うん」
「恥ずかしいだろうけど、やらなきゃいけない」
被害者の前で罪を認め、反省する。
「どっちか片っぽだけじゃダメだ。両方しなきゃダメなんだ」
謝罪だけでその後の行動が無ければ、それは上辺だけのその場しのぎに過ぎない。
逆に己の罪を悔い改め、その後どんなに苦行や善行を積んだとしても、被害者の前で罪を認めていなければそれはどこまでも偽善であり、改心した自分に酔っているだけなのだ。
もちろん、それで赦されない罪もある。でも、この2つができればそれは個人間の問題で終わる。
どちらか1つが欠けていたら、それは禍根として現世に残る。現世に根を張った恨みは世代を超え、呪いとして成長する。
例えば、口元に穏やかな微笑みを浮かべた、瞳の黒い少女のような姿へと。
「慧ちゃんを助けたら、きちんと目を見てごめんなさいって言うんだぞ」
「……はい」
妹尾真実の空虚な微笑みが今の慧に、佐藤晶の儚げな姿が未来の慧に重なる。
謝れる。
慧を前にしたら、心からごめんなさいと言える。
慧はきっと自分の顔なんて2度と見たくないと言うだろう。でも、もし万が一でも、彼女が許してくれた時は――
(もう絶対に傷つけない)
「……」
そんな終の前に、いつの間にか比奈が手を差し出していた。
「わかった。俺も一緒に行く。行かせてください」
わかっている。これは和解の握手ではない。
慧を助ける。その共通の目的のために互いに手を貸す、それだけの意味だ。
その先は、終が慧の前で罪を認め、悔い改めてからの話である。
◇ ◇ ◇
日和見高校もまた、大勢の父母が詰めかけてパニックの様相を呈していた。
「うちの子はどこ!? あの子が何をしたって言うの!?」
2-A副担任、伊藤教諭に詰め寄っているのは、小笠原千聖の母親だった。
小笠原千聖は昨夜、予備校の帰りに男性の運転する国産車に乗り込んだところを目撃されて以来行方不明となっている。
すでに男性の正体は2-A担任の笛木洋平教諭であったことが明らかとなっており、彼は山道の中腹で遺体となって発見されている。
また、そこから数百メートル先(峠道のため直線距離だと数十メートル)の県道脇では、同乗していたと思われる大河内多喜の遺体も見つかっていた。
「何とかしてよ! うちの子が殺したとか、援助交際してたとか、根も葉もない噂が飛び交ってるの!」
伊藤教諭は「はぁ、はぁ」と生返事をしていたが、次第に相槌の数も少なくなっていった。
「だいたい、あなたたち教師は怠慢なのよ! 税金で食べてるくせに――」
「うるせぇー!」
サルの骸骨と呼ばれていた男は、突然両眼に炎を宿してブチ切れた。
「怠慢な親に言われたくねぇよバーカ! 高校は託児所じゃねぇ! 教師はベビーシッターじゃねぇんだよ! 教えてやる! あんたの娘は予備校サボってオッサンに腰振って小遣いもらってるビッチでぇす! みーんな知ってる! 知らねぇのはアンタだけ! 大切なむちゅめちゃんはオジサマたちのおもちゃでしたァ! 残・念ッ!」
「!?」
育児を学校に丸投げし、さらに自身のストレス発散にも学校を利用していた小笠原母は、サービス業者と思っていた相手からの思いもよらぬ反撃に口をパクパクさせていた。
その頃、校長室では――
「やあ、教頭先生」
「……」
千代田校長のにこやかな笑顔に、教頭は嫌な予感を覚えた。
「いやぁ、急に体調が悪くなってしまってね。かかりつけの医師に電話で症状を伝えたら緊急入院を勧められてしまったんだ」
「はぁ」
嫌な予感は早くも的中した。
「こんな状態の中悪いけど、後はよろしく」
「……」
「正面玄関はアレだから裏口から出よう。ハイヤーを呼んでおいてくれたまえ」
「……わかりました」
教頭は校長室を出ると、おもむろにタクシー会社へ電話をかけた。
「ハイヤーをお願いします。はい。千代田校長が。いえ、正面玄関でお願いします」
(あんただけ逃がすかよ)
彼らを突き動かすもの、それは恐怖だった。
――みんな黙ってた! みんなだぞ!? 中学校でも、小学校でも! みんな知ってて黙ってたんだ! 全員が同罪だぞ! 俺を殺すなら、他の奴らだって――
権力者に忖度し、大勢の流れに身を任せることで保身を図ってきたはずなのに、それが今は自分たちの生命を――比喩ではなく、本当の意味で――脅かしている。
(今までずっと耐えて来たんだ。理不尽なことに頭を下げて、プライドを切り売りして生きて来たんだ。それをこんな形で――!)
日和見町のそこかしこに、見えざる火種がぽつぽつと灯っている。
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