第77話 抵抗者 ―レジスタンス―
「まずいなぁ」
私が思わずつぶやくと、傍らに控える少女の肩がびくっと震えた。
「あの、何か……?」
少女は恐る恐る訪ねてくる。彼女の両目には包帯が巻き付けられており、外界の情報を見ることができない。
「姉原サダクがスマホを使ってる」
そう教えてやると、少女は「え……」と青ざめた。この子は動きは鈍いがバカではない。
姉原サダクは契約者に成り代わって復讐を行う怨霊である。
彼女自身、生前に最愛の弟をいじめによって喪っているためか、契約者となったのは15年前も今回もいじめの被害者だ。
この怨霊の特徴は、復讐の対象が加害者のみに留まらず、いじめを黙認した者、加害者を擁護した者も含まれることである。
そんな姉原サダクが現代のネット社会に触れた。
情報が爆発的に拡散し、心無い誹謗中傷や『被害者叩き』なる現象が横行するこの空間を、果たして昭和生まれのサダクがどのように感じるか。
「ったく。何なの、あの無駄な適応力は?」
「どうするんですか?」
「電波を止められればいいんだけど……」
建物1つくらいなら妨害装置で何とかできるかも知れないが、周辺一帯の電波を妨害するのは不可能だろう。だとしたら――
「結局、やることは変わらない」
私はガラスの外れた車に向かう。
「この町でサダクを止める」
そのための舞台も、武器も整いつつある。後はサダクの行動と、この町に住む人間たちの愚かさにかかっている。
彼らに賢さはもう期待できそうにないから。
「この、町で……」
少女は自分の肩を抱いて心細そうに佇んでいる。
彼女は私の言葉の意味を、そのおぞましさと罪深さを、十二分に理解していた。
私はそんな彼女の体を抱き寄せ、頭を撫でながら胸元へといざなう。
「大丈夫。これは夢。悪い夢。夢はすぐに覚めるから」
こくんと頷く少女。目元の包帯が熱を持っている。
「痛む?」
少女はふるふると首を振る。
「何も心配しなくていい。貴女をこんな身体にしてしまった責任は必ずとるから」
「はい、由芽依様……」
「私のことはさくやと呼んでって言ったでしょ?」
「あ、すみません……」
私の胸の中で、鹿谷慧はくぐもった声で「朔夜様」とつぶやいた。
◇ ◇ ◇
小笠原千聖のスマホから発信された笛木教諭の最期は、あっという間に町中に広まった。
千聖のスマホには大量のメールアドレスが登録されており、2-Aのクラスメイトだけでなく他校も含めた男子生徒や、なぜか中高年の男性を中心に残酷な無修正動画がばら撒かれた。
動画が送信されてから数時間後には、日和見警察署は大量の人々でごった返していた。
「説明しろ!」
「犯人は誰だ!?」
「すぐ捕まえろ!」
「今すぐ射殺しろ!」
笛木教諭の凄惨な死にざまはもちろんだが、人々を恐怖に陥れたのは彼が死に際に訴えたあの言葉である。
――みんな黙ってた! みんなだぞ!? 中学校でも、小学校でも! みんな知ってて黙ってたんだ! 全員が同罪だぞ! 俺を殺すなら、他の奴らだって――
警察の次は病院だった。
妹尾明の母、真実が入院していると知った人々が押し寄せたのだ。
「一言謝りたい」と言う者もいるにはいたが、大半は「あの女が犯人だ!」「警察に引き渡せ!」「殺される前に殺す!」といった怒声を発する者たちだった。
「俺さ、この町はいいところだと思ってたよ」
喫茶チェーン、『サニーバックスコーヒー日和見町店』の片隅でコーヒーフロートを食べながら、銭丸保孝はしみじみとつぶやいた。
「田舎より便利で、都会より人情があってさ。運が良かったんだな。俺の家、高見地区だったから」
高見地区とは、日和見町の中でも比較的高所得者が集まる住宅地である。
銭丸は生まれてからこれまで、適当な人生を歩んできた。適当とは、適切かつ妥当という意味でもある。
勉強もスポーツも中の上あたりをキープし、性格は明るいがクラスの中心になるほどではない。
高校時代に付き合っていた女子はいたが、キスより先に進むことはないまま彼女は東京の私大へ進み、銭丸も警察学校に入ったため、関係は自然に消滅してしまった。
「警察官になったら、多少人間の嫌なところも見えるようになったけど、や、もしかたら今もまだ俺は何も見えていないのかもしれないな」
「「「……」」」
彼の述懐に返答はない。
彼の座るテーブルには、他に3人の女性がいた。
1人は時折冷たいほうじ茶を飲みながら一心不乱にスケッチブックにペンを走らせており、1人はチーズケーキをつつきながら虚ろ微笑んでいる。そして1人は車いすに糸の切れた操り人形のようにくたっと腰掛けていた。
(さて、これからどうしたもんかな)
テーブルに置いたスマートフォンがひっきりなしに振動している。
上司や先輩の名前が表示されている。警察は今、てんやわんやの大混乱であるに違いない。
「……?」
楠比奈が顔上げてこちらを見た。「見ないの?」と尋ねている気がする。
「いいんだ。どうせ手伝い要請だ」
だが、次に携帯が震え、表示された相手の名前を見た瞬間、銭丸はすかさず電話を取った。
『おい、こんな時にどこにいる?』
「少なくとも、スミさんのいる所よりは綺麗で静かな場所ですよ」
電話の向こうで「ちっ」と舌打ちが聞こえた。相手は恐らく警察署内のトイレかどこかにいるのだろう。
スミさんとは、日和見町の警察署で防犯カメラの監視係をさせられている窓際警察官である。大多数から軽視されていたスミさんだが、なぜか銭丸とは気が合った。
今回、サダクがばら撒いた殺人動画の存在をいち早く教えてくれたのもスミさんである。おかげで彼は暴徒たちに先んじて彼女たちを救出することができたのだ。
『例の盗難車を見つけた。県道のパーキングエリアから日和見町に向かってる』
「乗ってるのが誰かわかります?」
『若い女が2人。1人はケガ人か? 両目に包帯を巻いている』
「両目にケガ?」
比奈がふるふると首を振った。
「他に特徴はありませんか?」
『胸が大きい。2人とも』
「ありがとうございます!」
間違いない。由芽依輝夜と鹿谷慧だ。
(まったく、何企んでんだよ由芽依さん)
半分ほど残っていたアイスクリームにスプーンを突き刺して一口でほおばり、コーヒーで流し込む。高校受験、彼女への告白、警察の昇進試験……。ここ一番の勝負に挑む時のコーヒーフロートは銭丸の験担ぎだった。
「行こう」
銭丸は3人の女性を見回す。
楠比奈、妹尾真実、佐藤晶。
(父ちゃん、母ちゃん、ごめん。俺、真面目ないい子じゃなかったよ)
警察官としての職務を放棄し、自分が守りたい人を守る。
公私混同も甚だしい。これで自分は由芽依を責めることはできなくなった。
(それでも、俺は彼女たちを守りたいんだ)
長年にわたりこの町に巣食ってきた闇から。そしてほどなくこの町を包むであろう炎から。
(まずは由芽依さんから鹿谷慧を取り戻さなきゃ)
由芽依輝夜の化粧気のない顔とどこかやつれた目を思い出し、銭丸はなぜか自分が凶悪犯に挑んでいるかのような錯覚を覚えた。
「君も、準備はいいかい?」
銭丸は喫茶店の隅の席に座る少年に声をかけた。
「俺は……」
端正ながらもあどけなさ残す顔立ちに、キノコを思わせるショートヘア。
和久井終はオドオドと伺うような目で銭丸と、彼の向こうの女性たちを見回した。
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