第76話 火刑 ―バーニング― ◇担任教師の制裁その3
サダクは慣れない手つきでシートと背もたれの隙間からバックルを探り出し、シートベルトの金具を嵌めた。
「どうして……?」
可能な限りサダクから離れようと後部座席のドアにへばりつく多喜。級友の返り血を浴びた彼女の体は、歯の根も合わないほどにガタガタと震えている。
そんな彼女の問いに、サダクはきょとんと首を傾げた。
「車に乗る時はシートベルトしなきゃ」
「違う! どうしてここまでするの? 私たち、殺されるほどのことした!?」
サダクは細い指先を下唇にあて、少し遠い目をして小さく「うーん」と唸り、やがて小さく肩をすくめて「さぁ?」と微笑んだ。
「ふ、ふざけないで! そんな、そんな理由もなく殺されるなんて!」
文字通り命を賭けた少女の訴えを、サダクはクスリと笑って聞き流した。
「あ、小笠原さん、でしたっけ? 消えました」
「消えた? 消えたって何!? 消えたって何なんだよ!」
半狂乱で喚く大河内多喜。一方、運転席では笛木教諭がハンドルを握ったまま固まっていた。
「夢だ。これは夢なんだ。早く覚めろ早く覚めろ早く早く早く」
そんなうわ言が口から漏れ出ている。
「あ、先生」
「うわぁっ!」
不意にサダクに声をかけられ、笛木の身体が跳ね上がった。
「何だ!? 何なんだよお前!?」
「いえ、ちゃんと前を見て運転してください。それと少し減速した方が」
はっと前を注視するが遅かった。
すでに視界いっぱいに白いガードレールが迫っていた。
「うわああああああッ!!!」
衝突。大きく前にのめる車体。エアバッグが膨張し、巻き上がるシートベルトが襲い来る衝撃から笛木を守る。
「あ、あぁ……」
だが、そんな笛木の目に、紙屑のように宙を舞う少女の身体が映った。
「大河内!?」
大河内多喜は呆然とした表情のまま、サダクに破られた屋根からペットボトルロケットのように外に飛び出し、きれいな放物線を描いて漆黒の闇へと消えていった。
「だから……だから言っただろ! シートベルト! シートベルト締めろって!」
顔面とトランクスをぐしゃぐしゃに濡らしながら喚き散らす笛木。そんな彼の横で、ヒビで真っ白になっていた運転席のドアガラスが甲高い破砕音と共に砕け散った。
「おわあッ!?」
白い細腕が、外見に似合わぬ剛力で笛木の胸倉を掴み、ドア窓から外へ引きずり出した。
「ぎゃあっ!」
切り立ったガラスが笛木の体を引っかく。
「やめろ姉原! 話を! 話を!」
「……」
サダクは答えない。ただ微笑みを返すだけだ。
「復讐なんだろ? 妹尾の復讐なんだよな? だったら、俺を殺すのは筋違いだ!」
サダクは無言のまま何かを向けてきた。
それは、ケースをキラキラとデコレーションされたスマートフォンだった。
笛木には見覚えがある。それは、小笠原が使っていたものだ。
サダクは若干ぎこちない手つきでスマホを操作する。スマホを笛木に向け、位置を調整しているところを見るにカメラ機能を使っているようだった。
「何をする気――ぐほッ!?」
笛木の腹に、強烈なトウキックが突き刺さった。
小笠原の履いていたブーツはヒールの高い厚底であり、少女の蹴りに凶悪な重さを付与していた。
「待て! 待てって! 確かに俺は妹尾のいじめを黙認していた! それでクラスがうまく回ると思って! それは確かに悪かった!」
笛木の懺悔を前にしても、サダクの表情はいささかも揺るがない。
「だが、よく考えてくれ! 加害者とか見て見ぬふりをした奴らが憎いのはわかるが、こんなことをして妹尾の魂が安らげると本当に思っているのか?」
スマホの向こうで、サダクが困惑したように首を傾げた。
(チャンスか!?)
確かに相手は人智を超えた存在であるかも知れない。だが、人の姿を保ち、人の言葉を使う以上、彼女にも人の心が残っているはずだ。
「すまなかった!」
笛木はアスファルトの上に手を着いた。
本来なら年下(と思われる)相手に土下座するなどプライドが許さないが、今は生きるか死ぬかの瀬戸際である。
「俺はもう目を背けない。これからは生き残った生徒1人1人に向き合って、自分たちの罪を理解させる。妹尾のために何ができるのか、一緒に考えていく。頼む。みんなにチャンスをくれ!」
「……」
サダクは不意にスマホを置いた。
(通じた?)
笛木は一瞬肩の力を抜きかけるが、それがすぐに勘違いだったと気付く。
サダクは車の中を漁り、やがて赤いマッキーペンのようなものを取り出してきたのだ。
「どうするつもりだ……そんなもの……?」
それは、発炎筒だった。
夜道で事故を起こした時などに、周囲に緊急を知らせるために先端から赤い輝く炎を噴き出す、大型の手持ち花火のようなものである。
サダクはそれに点火すると、スマホの撮影を再開した。
「何を! 何をするつもりなんだ!?」
本能的に、笛木はサダクの手元で噴出するまばゆい火焔が、本来の用途で使われるのではないと察していた。
炎と共に、サダクは一歩一歩、ゆっくりと近づいて来る。
「待て! 待ってくれ! 黙ってたのは俺だけじゃない! 学年主任も! 教頭も校長も! いや、元はと言えば千代田家が――!」
笛木は1度言葉を切った。濃密に漂って来る煙にむせたのだ。その一瞬がパンパンに張りつめていた彼の心を決壊させた。
「みんな黙ってた! みんなだぞ!? 中学校でも、小学校でも! みんな知ってて黙ってたんだ! 全員が同罪だぞ! 俺を殺すなら、他の奴らだって――」
刹那、笛木は絶句した。
炎に照らされるサダクの微笑み。炎に照らされてもなお一点の光も返さない黒い瞳。
笛木は過ちを悟った。
謝罪の仕方を完全に間違えた。
彼はただ、サダクにとって当たり前のことをくどくどと述べていたに過ぎなかったのだ。
激しく燃焼する火薬の音。じりじりと肌を灼く火花。
「俺が悪かったァーッ!!!」
ついに笛木は心の底から叫んだ。
「妹尾! 妹尾君! 俺が、いや、私が悪かった! 君を守ってあげられなくて――」
厚底のブーツが笛木の股間を踏みつける。彼がどんなにもがいても、その靴から逃れることができなかった。
真っ赤な炎が耳朶を焼く。それにとどまらず、炎はさらに内耳へと――
「やめろ! やめろやめろやめてやめてやめ――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァーーーーーッ!!!」
耳の穴から発炎筒を生やし、顔じゅうの穴から煙を吐き出す男の絶叫が、夜の闇に呑み込まれてゆく。
1人の男の人生が無残に焼き尽くされてゆく様を、サダクの黒い双眸とスマホのカメラが無機質に見つめていた。
☆ ☆ ☆
日和見高校2年A組 小笠原千聖:サダクに体を乗っ取られて死亡。
日和見高校2年A組 大河内多喜:転落死。
日和見高校2年A組担任 笛木洋平:色々とショック死。
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