第74話 追跡 ―レッドアラート― ◇担任教師の制裁その1
炎が追って来る。
そう錯覚したのは、赤い非常灯にはサイレンが鳴るものであるという固定観念が崩されたためだろう。
「何? あれ……」
山道のはるか後方から明滅する赤い光に気付いたのは、小笠原千聖だった。
「救急車?」
だが、何かがおかしい。
真っ赤な非常灯は目まぐるしく回転しているにも関わらず、あの救急車独特のサイレンが鳴っていない。
微妙な非現実感。
「何、あれ……」
隣に座る大河内多喜の口から洩れたのは、言葉こそさっき千聖が発したものと同じだったが、込められた感情はまるで異なっていた。
恐怖である。
「おかしいよ! アレ、絶対おかしい!」
その時にはもう、千聖もその異常さに気付いていた。
なぜなら、救急車は車線などおかまいなしに、前を走る車を片っ端から片っ端から弾き飛ばし、時に火花を散らしてガードレールに車体をこすり、時に山肌に車体を激しくぶつけながら、猛スピードで追いすがって来ているためである。
(私たちを狙ってる!)
理由はわからないが、本能的にそう感じた。
「くそ!」
それは運転席の笛木教諭も同じだったようだ。
アクセルを踏み込み、クラクションを鳴らしながら必死にハンドルをさばく。
「早く! もっと早くッ!」
千聖は叫んだ。
だが、逃げられるわけがない。
こちらは命を守るために逃げている。当然、前を行く車を避け、カーブの前には減速しなければならない。
だが、相手は――
「何だアイツ!? ブレーキ壊れてんのか!?」
それは追手の車体に対してというより、運転者の思考回路に対する疑問だった。
救急車はまるで減速をしているように見えない。あれでカーブを曲がれるのが不思議である。
命を惜しんで逃げる者が、命を捨てて追う者から逃げ切れるはずがない。
赤い光をまとった巨大な車体が迫って来る。
「ひっ」
横殴りの衝撃。
笛木たちの乗る乗用車とガードレールの間に強引に割り込んだ救急車が、体当たりを仕掛けて来たのである。
「シートベルト締めろ!」
「っさいな! 早く何とかしてよ!」
「わかってる!」
とは言ったものの今の笛木にできることは、他車とカーブをやり過ごすこと。ただし、救急車にぴったりと横付けされたために、対向車線に半分以上はみ出した状況で――。
つまりは祈る以外にできることはなかった。
「あ、あぁ……」
多喜が絶望的なうめき声を上げた。
救急車の運転席のガラスが割れ、中から運転手が身を乗り出そうとしていた。
赤く照らされる白い手、暴風になびく黒い髪、この状況でなおもうっすらと微笑む口元、そして、激しく行き交う光線をことごとく飲み込んでいるかのような、真っ黒な瞳。
「姉原サダク……」
多喜の呻きと同時に、サダクは跳んだ。
「うおおッ!」
迫りくる急カーブ。足を踏ん張り、限界までハンドルを切る笛木。
ガードレールを突き破った救急車が、赤い光と共に樹海の闇へ消えてゆく。
スピンする乗用車。
「きゃああああッ!」
少女たちの身体が遠心力で後部座席のドアに押し付けられる。
目の前の景色が真横に流れていく。
その時、奇跡が起きた。
車は360度ターンすると、そのまま何事もなかったように走行を続けたのである。
「は、はは……」
笛木の口から乾ききった笑いが漏れた。
「助かった……?」
千聖はすかさずバックミラーに顔を映して髪型を直す。
「……」
だが、多喜は素直に安心できなかった。
サダクのあの微笑みが目に焼き付いて離れない。
(まだ、終わりじゃない――)
突然、車の天井を突き破って巨大な刃物が顔を出した。
「「ヒィッッッ!!!?」」
少女2人が揃って悲鳴を上げる。
それは、先端を赤く塗装された消防斧だった。
ダン! ダン! ダン! と屋根が縦にかち割られてゆく。
「「「アーッ! アーッ! アーッ! 」」」
そのたびに、車内の3人は揃って悲鳴を上げる。
やがて、割れ目からにゅっと何かが入ってきた。
赤黒い手だった。
ギザギザの切り口に無理やり突っ込まれたために皮と肉がそぎ落とされ、黒い骨がむき出しで、先端にかろうじて爪と肉が残っていた。
黒い骨の周りを赤い筋線維がイトミミズのように這いまわり、筋組織が再生していく。
「何これ!? 何コレ何コレ何コレェ!?」
多喜に抱き着き、狂乱する千聖。
治りかけの手は、そのまま板金を掴むと、すさまじい力で車の屋根を左右に開きにかかった。
ベコン、ベコンと金属板が歪む音と共に、外の空気が勢いよく吹き込んでくる。
「やめろォ! ローンが! ローンが!」
「バカ! 振り落として! 早く!」
「うおおおおッ!」
アクセルを踏み、車体を揺らす。
「もっと揺らして! 振り落とせって!」
「できるかバカ!」
映画のように都合よく他の車が来ないなんてことはない。蛇行運転なんてしたらこちらが死ぬ。
そのころ、車の屋根は魚の開きのように大きく広げられていた。
「やめろ! やめろやめろやめろォ!」
めくれ上がった天井の穴にまたがっている、すらりとした白い四肢。
「どうして……? うち何もしてない! 何もしてないよ!」
千聖の問いに対し、サダクはただ穏やかに微笑んだ。
「ひ……」
それは、絶望的な拒絶だった。
話すことは何もない。
懺悔なんて期待しない。
罪を思い出す必要すらない。
ただ、絶望して、死ね。
「待って、待って! ごめんなさい! ごめんなさい私――」
千聖が何か言いかけた時、「うおおおおッ!」という笛木の雄たけびと共に車が大きく蛇行した。
ちょうど車の流れが途切れたそのチャンスを笛木は見逃さなかったのである。
暴風と遠心力にあおられ、サダクの細い体は宙に浮かびあがると、そのままころころと後方へ転落していった。
「ッ!」
多喜はとっさに目をつぶった。
後方から激しいクラクションが聞こえる。
続いて、本来聞こえるはずはないのだが、ぐしゃりと肉と骨が踏み砕かれる音が耳に残った。
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