第71話 狼煙 ―リスタート―
新しい2-Aの教室は、元の場所とは物理的に最も離れた位置にあった。
校舎の3階から1階へ。前は窓からグラウンドが見えていたが、今は校門が見える。
「ここならほら、職員室も近いし、何かあったらすぐに先生が助けに来れるから」
副担任の伊藤教諭は、生徒たちに媚びるような目を向けた。
ほぼ1カ月半ぶりの授業再開。
だが、出席した生徒は10人に満たない。
「……んだよ、しょべぇな」
独り言にしては必要上に大きい声を上げたのは田所時貞。金髪にしたソフトモヒカンを逆立て、金属製のアクセサリを多数じゃらつかせた典型的な不良である。
両足を机の上に投げ出す尊大な姿勢とは裏腹に、きょろきょろと動く両目は心細さを隠せていない。
「悪かったね、女子がうちしかいなくて」
そんな彼に突っかかったそばかす顔の女子生徒は、名前を和泉詩歌といった。
大きな吊り目には強い目力が宿っており、刈り上げの入ったベリーショートの髪型もあって非常に男勝りな印象を与える少女である。
そんな勝気な少女の気迫に押されたのと、思考を読まれた気恥ずかしさから田所はきまりが悪そうに目をそらす。
「そういう意味じゃなくて。人数がね……」
まぁまぁと取り成したのは、男子のクラス委員長でありサッカー部の部長でもある千代田育郎である。
健康的に焼けた肌と、がっしりと引き締まった身体。そして男前な顔立ちからの爽やかな笑顔に、今度は詩歌が目をそらした。
他に登校しているクラスメイトは、千代田と同じサッカー部員の原兆と平尾邦明といった面々である。
日和見高校2年A組。
夏休みが終わって間もなく訪れた1人の転校生によって、このクラスは崩壊という言葉も生ぬるい、消滅の危機に瀕していた。
謎の転校生、姉原サダク。通称、女子生徒S。
彼女が現れて間もなく、米田冬幸が死んだ。警察は事故死の判断を今だ変えていないが、それを信じている者はもう誰もいない。彼は姉原サダクに殺害されたのである。
さらにサダクが校内で巻き起こした暴行事件および理科室爆破事件により、馬場信暁、蒲生一真、利田寿美花、久遠燕の死亡が確認される。
この時、利田寿美花の自己犠牲によりサダクも死んだと思われていたが、間もなく模倣犯各務野紗月による桂木志津殺害事件が発生する。
次に進級後間もなく退学した元クラスメイト、海老澤永悟が和久井ビルを襲撃したのち行方不明。
そして、カラオケボックスで発生した殺人事件。
「紅鶴と神保は自業自得っしょ?」
和泉詩歌は吐き捨てるように言った。
「あいつら頭おかしかったし」
「やめろよ」
毒づく詩歌を止めたのは、教師ではなく千代田だった。
「死んだ人のことはもういいだろ」
「……」
勝気な少女は不満げにそっぽを向く。
「つーか、笛木はどうしたんだ。 うちらの担任はよ?」
田所が因縁の矛先を教壇の伊藤教諭に向けた。
「えっと……」
陰で『サルの骸骨』とあだ名されている貧相な中年教師は、おろおろと周囲を見回し、居もしない笛木教諭を探すような仕草をした。
「どうしたんだろうね。とりあえず今は、ね。はい千代田君、朝の号令を――」
その時、教室の2か所で同時に携帯のバイブと電子音が鳴った。
「コ、コラァァァァァーーーッ!!!」
その瞬間、伊藤教諭は顔を真っ赤に染めて絶叫した。
「誰だァ! 学校で携帯を鳴らすなァッ!!!」
彼はどういうわけか、普段は気弱なことなかれ教師のくせに、なぜか携帯電話に対しては異常なほどの嫌悪感を持っていることで有名だった。
「すいません」
だが、携帯の持ち主が千代田だと分かると、怒りを鼻息に代えて何とかこらえる。
千代田育郎の父はこの町の町長、千代田純太郎である。そして何より、育郎の大叔父はこの日和見高校の校長だ。
「……」
ちなみに、鳴ったもう一つのスマホの持ち主である和泉詩歌は、謝りもせずに画面に見入っていた。
「何、これ。動画?」
詩歌がスマホをタップしたその時だった。
『やめろ! やめろやめろやめてやめてやめ――あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァーーーーーッ!!!』
それは、2-A担任、笛木洋平教諭の断末魔の声だった。
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