第69話 足掻きその2 ―ユースレス2―
「まったく、なんて日だ」
記者会見を終えた日和見町町長、千代田純太郎は首筋をもみほぐしながら上着を脱いだ。
(真相を知りたいのはこちらの方だというのに)
無能な警察署は『捜査中』の一点張り。早くも県警からは『警察も住民も非協力的』と苦情が寄せられているほどだ。
これでは記者会見など開いたところで、町長自身『一刻も早い解決に向け、捜査には全面的に協力する』と言う以外に何もできない。
今日の会見は、まさに時間の空費の極致と言うべきものだった。
「お疲れ様でした」
妻の青華は労いの言葉とともに上着を恭しく受け取る。
「でもよかったじゃない。もうちょっと突っ込んだことを聞かれるかと思ったけど」
「ああ……」
純太郎は浴衣に着替え、ロックのウィスキーを一口飲む。
「結局、校長の言っていたのは何だったんだ? 妹尾や海老澤のことを嗅ぎ回っていた奴らってのは?」
「さぁ? もしかしたら、和久井さんがうまくやってくれていたのかも」
妻の口から出た和久井の名に、純太郎は胸にちくりと不快な痛みを覚えた。
(だが、奴はもういない。これで青華は完全に俺のものだ)
まだ20代後半でも通じそうな妻の身体に手を伸ばす。
早くその体に、記者会見の疲れを癒してもらいたかった。
「あ、父さん。おかえり」
「ああ」
だが、息子、育郎の登場に、純太郎は伸ばしかけた手を引っ込めざるを得なかった。
「せっかくだから、何か軽いものでも食べましょうか」
台所へ向かう妻の左右に揺れる大きな尻を見送ってから、純太郎はおもむろに息子の顔を見た。
涼やかな目元にアスリートを思わせる精悍な顔立ち。やや四角い顎なんかも自分に似ている。
(まぎれもなく俺の子だ)
そんなことを思いながら、世間話のつもりで彼は息子に問うた。
「記者会見では突っ込まれなかったんだが……。警察の一部で、今回の事件に妹尾君のことが関わっているんじゃないかと疑う者がいるらしい」
「そうなんだ……」
言ってしまってから、彼はこの話題が家族の地雷原だったことに気付いた。
(妹尾真実……)
物陰に咲く小さな白い花のようだった少女のことを思い出す。
悪気なく踏まれるために咲いているような、幸の薄い儚い花。
純太郎もまた、その他大勢と同じく悪気なく花を踏みにじった者の1人である。
だが、他の誰もがやっていたことなのに、なぜか純太郎だけがその報いを受けた。
妹尾明という名の報いを。
(いや、違う。明は俺に全然似ていない)
自分の生き写しと言われる育郎と比べても、その差異は歴然だ。
なのに隠し子の噂はいつまでも消えず、青華は今だにそのことを根に持っている。
妹尾母子さえいなければ、自分はもっと堂々と和久井と渡り合い、青華を寝取られることもなかったろうに。
明に至っては、死んでもなおその影がまとわりついてくる。
「なあ……」
地雷原を横切っていることは承知で、父は息子に問いかけた。
「明君のことは、本当に事故なんだよな? 部活の友達の悪ふざけで、お前が来た時にはもう……」
「そうだよ」
息子は穏やかに答えた。
「俺が練習に間に合っていれば、防げたかもしれない。俺のせいかもって、今も思ってる」
「そんなことはない」
純太郎はうつむく息子の頭に手を添えた。地雷原を抜けたという安堵と共に。
「父さん」
そんな父に、息子は爽やかな笑顔を向ける。
「そろそろ、学校を再開できないかな。みんなで集まって、これからのことを考えたいんだ」
「そうだな。校長に話してみるか」
大丈夫だ。
純太郎は確信する。
自分によく似た息子の、この頼もしい笑顔がある限り、家族も町も安泰だ。
◇ ◇ ◇
「お嬢様、これでよろしいでしょうか?」
初老の執事が差し出したのは、小瓶のついたペンダントだった。
麗は黙って頷き、軽く手の平を翻して執事を下がらせる。
日和見町の檀家の屋敷。
広々とした6畳の茶室の真ん中で、麗は1人正座している。端正な顔は静かに目を閉じていたが、両目からは涙が筋をつくって流れ続けている。
涙腺が壊れてしまったのか、あの日から麗の涙が止まることはない。
彼女の前には2つの簡素な骨壺があった。まるで茶道のように、茶杓でそれぞれの骨壺から骨の粉をすくってペンダントの小瓶に入れ、首に下げる。
「これで、ずっと一緒だね」
指先をペンダントに添えながら静かに瞑想する彼女のもとに、「失礼します」と先ほどの執事が入って来た。
「あの、お嬢様……」
掠れた声には困惑がにじんでいる。
「昨日から旦那様がお電話にお出にならないのですが――」
「岩崎」
最後まで言わせず、麗は骨壺を執事に渡す。
「くれぐれも丁重に」
「はぁ……」
そこには、有無を言わせない静かな圧力があった。
「アレは?」
「はぁ、ここに」
差し出されたもの。それは一振りの軍刀だった。
旧帝国陸軍下士官が使用していた、九五式軍刀。太平洋戦争初期、一兵から下士官に上り詰めた麗の曽祖父が使用していた代物だ。
除隊後、曽祖父はこの刀と勲章をもって戦時中のこの町における檀家の権威を大いに高めた。
「ふふっ」
赤銅色の鞘から、すらりと白刃を抜く。清らかな白い光に麗はしばし魅入った。
(ひいおじい様。麗に力を貸してください)
麗にとって、ある程度敬意に値する先祖はこの曽祖父だけだった。
祖父も父親も、所詮は彼の築いた礎の上で能天気にあぐらをかいていたドラ息子に過ぎない。
「ふふ、ふふふふ……」
刀を帯び、涙を流しながら薄笑いを浮かべて歩き出す麗を、執事はこの世に非ざる者を見る目で呆然と見送った。
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