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第64話 時計 ―クロックワーク― ◇紅鶴グループの制裁その5

「あいつが悪いの! ここあはずっとあいつが怖かった。あいつに嫌われたら学校で生きていけないもん!」


 ヘレンを指差して喚き散らすここあ。


「……」


 床を這うヘレンは、そんなここあをじっと見つめている。

 その瞳に波打つ感情は、怒りではなかった。


 そもそも、海老澤(えびさわ)永悟(えいご)の弱みはここあが勝手に握って来たものである。

 そしてあの日、3人が揃って初体験を終えたのも、別にヘレンが命じたわけではない。むしろヘレンに続けとばかりに下着を下ろし始めた(うらら)とここあの姿に、ヘレンの方が狼狽したくらいである。


 だが、ヘレンはここあの勝手な言い分を訂正しようとは思わなかった。

 神保(じんぼ)ここあがそういう人間だということは初めから(わか)っている。解った上でヘレンはこの少女を受け入れていた。


(ごめんな、ここあ)


 だから、今ヘレンが抱いている感情は罪悪感だった。

 ここあの期待に応えられず、彼女を()()()()()()()()()自分に対する情けなさと怒りだった。


 黒く(うごめく)人形(ひとがた)が、ここあの髪をつかんだままサダクと融合し始めた。漆黒の百足(むかで)たちがサダクの生白い肌に溶け込むように潜り込み、消えていく。


「ここあ、悪くないもん……、ここあ悪くないもん!」


 いつの間にか、ここあの小さな体はソファの上でサダクの細長い手足に絡めとられるように抱きかかえられていた。

 それはまさに蜘蛛(くも)に捕らわれた羽虫だった。


「こ、ここあ……は……悪くない……」


 サダクの両手がここあの頭と顎に添えられる。


「何? 何するの?」


 ここあはわかっていない。


「やめろ姉原!」


 だが、ヘレンは瞬時に理解した。

 ゆっくり、ゆっくりと、時計回りに動き出すここあの顔。


「え? え? え?」

「姉原ァ!」


 動かない下半身を引きずり、腕の力だけでカーペットを掻きむしりながら進もうとするヘレン。


「うぎ――ッ、やめッ、これ以上ッ! やめ! やめ! やめェェェ!!」


 思っていた以上に自分が冥府に近かったと悟り、死に物狂いで暴れ始めるここあの体。だが、少女に組み付いた脚は微動だにしない。それは蜘蛛の足というより、カマキリの腕と形容した方がよかった。


「助けて! ヘレン助けて! ねぇ! ここあ尽くしたよね! ヘレンにいっぱい尽くしたよね! 返して! 今返して! 助けて! 助けて! 助けてよぉ!!」

「やめろ姉原! やめろォ!」

「痛ッ! 痛い! 痛い痛い痛い痛いッ!! 死ぬ! 死んじゃ――ああ、ギ、ギ、ギ……」


 食いしばられた奥歯から、白い泡がこぼれ出す。極限まで見開かれた目は真っ赤に血走り、突き刺すようにヘレンを見つめていた。


「クソが……」


 爪がはがれるのも(いと)わず、ヘレンはソファにたどり着くとサダクの脚にしがみついた。


「離せ! 離せ姉原! ここあはガキなんだ! 小っさい頃から親に()っとかれて、テメェじゃ良いことと悪いことの判断もできねぇバカなんだ!」

「……」


 真っ黒な瞳がヘレンに向けられる。

 ここあの首は止まらない。


「あたしがやらせた! ここあは、あたしに捨てられるのが怖かっただけだ! こいつも妹尾(せのお)と同じなんだ! 仕方なかった! あたしの言うこと聞くしかなかったんだよ!」


 一瞬、ヘレンの脳裏にある光景がフラッシュバックした。

 光るスマートフォンの前に(ひざまず)いた少年。スマホには、両手を縛られ、服を乱された少女が映っている。

 少女の虚ろな目を見ながら、少年は股間に添えた手を狂ったように上下させる。

 その姿を見下ろし、嘲笑う悪魔(しょうじょ)たち――


「ぁ……げ……ぉ……」


 ここあの瞳がぐるんと上を向く。顔中の穴からあり得ない量の分泌物が絞り出され、少女の小さな顔を汚してゆく。


「頼む……やめてくれ……。悪いのはあたしだ! 殺すなら! 殺すなら……」


 ――もう、いいでしょ?


 ヘレンの耳に、永悟の声がよみがえった。

 少女達の、ある種の幼さから来る残酷な責めに憔悴しきった声。


「約束して。(あきら)には手を出さないって」


 だが、心身共に疲れ切って悲鳴さえ()れ果てていたはずなのに、その声は明の名を口にするときだけは力を取り戻していた。


 あの時は、まるでわからなかった。

 でも今は――


「すみませんでした……」


 人生最初の謝罪は、驚くほどあっさりと口から洩れた。

 体が床に崩れ落ちる。


「あたしがバカでした……。あたしは命で償いますから……ここあだけは……お願いします……」


 自分でもわからない。神保ここあは、ヘレンにとっては太鼓持ちの妹分でしかないはずだった。ただ、その捨て身のおべっかが興味深いと思い、その対価としてクラスカースト最上位の椅子に相席させてやる、そんなギブアンドテイクの関係であるはずだった。


 ヘレンは気付いていなかった。

 自分が無償の愛にどうしようもなく飢えていたことに。

 だから、たとえそれが打算から生みだされたまがい物であったとしても、ここあの献身はヘレンにとって命に代えても守りたい宝物だったのだ。


 そして、ヘレンの謝罪に対する答えは。




 光の無い瞳と、穏やかな微笑だった。




 ここあの細い首筋から、木の皮がはがれるようなメリッという音がした。


「あぐ……」


 ここあの口と鼻から血の雫が飛ぶ。


「やめろ姉原! ここあ! ここあァ!」


 サダクの脚にすがりつくヘレン。そんな彼女に――


「嘘……つ……き……」


 小さな口から憎悪の言葉が吐かれた時、神保ここあの顔は天地が真逆となっていた。

 上を向いた双眸は今、這いつくばるヘレンを睨みつけているようにも見えた。




   ☆ ☆ ☆


日和見高校2年A組 神保(じんぼ)ここあ:頸椎(けいつい)脱臼。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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[良い点] 素晴らしい わからせに読者は拍手しております(≧∀≦)♪ イジメや嫌がらせなどを「ごめん」「すまなかった」のひと言で免罪される加害者側への優しい現実に待った!と叫びたい歪んだ読者としては、…
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