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第56話 紅その2 ―クリムゾン2―

 当初、紅鶴(べにづる)ヘレンは自分がクラスカーストの頂点に立っているとは思っていなかった。

 そもそも、学校生活に興味が無かった。

 今月も胸を張って給食を食べられるかどうか、それだけがヘレンの関心事だった。


「おはよう」

「ああ、おはよ」


 そんな灰色の学校生活にも、最近は少しだけ(いろど)りが加わった。(だん)(うらら)、ヘレンの初めての友人である。


 町のごみ溜めに生まれた乞食(こじき)と呼ばれる少女と、町一番の資産家の娘にして文武両道の才媛。

 本来ならば決して交わることの無かった2人は、どういうわけか不思議と気が合った。


「……」

「……」


 まず、2人とも無趣味で話題というものが皆無だった。

 麗は剣術や合気道、茶道、日本舞踊などに通じていたが、それらは彼女にとって趣味でも(たしな)みでも何でもなく、後に彼女の精神を締め付ける拘束具であったことが明らかになる。


「それじゃ」

「ああ、また明日」


 そして、2人はいつも追われていた。

 ヘレンはアルバイトに、麗は勉学と習い事に。

 終業のチャイムが鳴った5分後には、2人は校門の前で互いに背を向けて歩き出していた。


 会話が無くても、一緒にいるだけで心が安らぐ2人だったが、初めのうち、ヘレンは秘かに麗の境遇を(うらや)んでいた。

 麗の悩みや苦しみは金持ちの余裕であると心の奥で思っていた。


「麗、その腕、どうした?」

「ん? ああ……」


 だがある日、麗の二の腕に赤いミミズ腫れがあることに気付いた。


「全国模試で順位を落としちゃってね」

「へぇ……?」


 麗の言っていることがわからなかった。

 テストの成績が落ちたことが腕の腫れと何の関係があるのだろう?


 眉を寄せるヘレンに、麗はさらに不思議そうな顔をした。


「いや、だから。成績が落ちた罰に吊るされたんだよ」


 何でもないことのように麗は言った。


 それが彼女の生家の常識だった。

 そして今まで友人らしい友人がおらず、比較対象が無かった麗にとってはそれこそが世界の常識だった。


 親の期待に応えられない子供は、天井に吊るされて折檻を受け、納得してもらえるまで土下座をしながら自分の欠点を列挙して改善案を提示し続ける。


 麗は物心がついた時から、ずっとそんな生活を続けていたのだ。


「そっか。そりゃ、あんな顔になるわな」


 初めて出会った時、走る麗を自転車で追い抜いた時の麗の顔を思い出し、ヘレンは笑った。


「あんたもね」


 麗も笑う。この日、ヘレンは目の周りに青(あざ)を作っていた。昨夜、親に隠して貯めていたへそくりを発見され、奪われてしまったのだ。


 互いの傷を指先で弾き合い、2人は笑って別れた。




  ◇ ◇ ◇




 そんな2人の世界に入り込んできたのが、神保(じんぼ)ここあだった。


「ねぇね、2人はいっつも一緒だね」


 少女は媚びた目で2人を見上げながら、ヘラヘラと笑って話しかけてきた。


(何だコイツ?)


 この時、ヘレンはここあを嫌い、軽蔑していた。

 小学校の時、ヘレンを乞食と呼び、無視や嫌がらせを繰り返してきた者たちの中に神保ここあの顔があったことを覚えていたからだ。


「何か用?」


 ヘレンの表情を読み取り、麗が最低限の礼節をもってここあに対する。


「用ってわけじゃないんだけど、2人はいつも何を話してるのかなーって――」

「ゴキブリの調理法」


 ぶっきらぼうに叩きつけられたヘレンの言葉に、ここあは泣きそうな顔をする。

 かつて、彼女が周りの者たちと「ヘレン(あいつ)、家でゴキブリとか食べてそう」と影口を叩いていたことを、ヘレンはしっかりと覚えていた。


「ごめんなさい!」


 突然、ここあは叫ぶとヘレンに向かって深く頭を下げた。


「そうだよね、気安く話しかける前に謝るのが筋だよね。あの頃は本当にごめんなさい」

「……」


 この時、ヘレンは少しだけこの少女に関心を持った。


 これまでも、麗に近づくのが目的でひとまずヘレンに話しかけてきた者たちがいた。そういう者は大抵、過去にヘレンを蔑んでいた連中だった。


 そしてそのことを指摘した時の共通の反応が「私そんなこと言ったっけ?」である。


(こいつ、他とは違うかも)


 ヘレンが麗に感じたのが共感(シンパシー)なら、ここあに感じたのは好奇心(インタレスト)だった。


 とは言え、その後もヘレンたちからここあに話しかけることはしなかった。

 そんなことをするまでもなく、ここあは事あるごとに2人にすり寄ってきた。


「お菓子作ってみたの。口に合わなかったら捨てていいから」

「こないだ民報に檀さんのこと書いてたよね」

「あ、紅鶴さん、ボタン取れかけてる。私お裁縫セット持ってるよ」




 ……。




「何だアイツ?」


 早朝、新聞配達の自転車を漕ぐヘレンに平然と並走しながら麗が尋ねてきた。


「さぁ?」


 ちらりと背後を見ると、へばった子犬のような顔で必死に自転車を漕ぐここあの姿がある。


「追い払おうか?」


 そう問うて来る麗の端正な顔には苛立ちの影が見える。

 2人の安らぎの時間に干渉されるのが不快なのはヘレンも同じだ。


「いや、()っとこう。かまったらかえって(なつ)かれるかもしれない」

「野良犬みたいだな」


 それきり、2人は後ろを振り返ることはなかった。

 それから1週間経ち、1カ月経った。ここあは相変わらず2人の後をついてきた。


 2人の世界には深入りしない。でも視界の隅には常にいる。そんな絶妙な距離感を巧みにキープしていた。


「ああもう!」


 最初に音を上げたのは麗だった。初めて会った時から感じていたが、麗は武家の姫君のような外見とは裏腹に短気な直情型だった。


「一体何なんだ!? 用があるなら言えよ!」


 よく通るドスの利いた声を発し、麗はまとわりつく少女に詰め寄った。


「あ、えと、あのね、あのね……」


 武道家でもある麗に凄まれた恐怖と、ようやく話しかけてもらえた喜びでしどろもどろになりながら、ここあはようやく2本の水筒を差し出した。


「す、スポーツドリンク! ここあ特製の! ショウガとレモンとはちみつで、えっと、2人に飲んでほしくて!」

「……は!?」


 引きつった顔で後退る麗。

 「こいつ、思っていたよりヤバいぞ」とヘレンにアイコンタクトを送ってくる。


「……」


 一方、ヘレンは無言で水筒を受け取ると、カップに中身を注いだ。


 ぱぁっと輝くここあの顔。その目の前に、ヘレンはカップを無表情で突き出した。


「テメェで飲め。今この場で」

「紅鶴さん……」

「飲んだら口を開けて見せろ。その後はあたしらの前を走れ」


 途中で吐き出したらすぐにわかるように。


「ごめんなさい……」


 ここあの目から、涙がぽろぽろと(こぼ)れ出した。


「私……紅鶴さんのこと、そこまで傷つけてたんだね……。私……すっごくひどいことしたんだね……」


 ここあは言われたとおりにドリンクを飲み干し、ヘレン達の前に出た。


「私、紅鶴さんに言われたこと全部やる! 2度と関わるなって言うならそうする! 本当に、ごめんなさい!」


 そんな少女の小さな背中に向かって、ヘレンは告げる。


「ペース上げろよ! あたし新聞配達の途中なんですけど?」


 ひぃひぃと肩で息をしながら必死で自転車を漕ぐここあ。

 そんな彼女を見る麗の目には、若干ながら同情の色が混じっている。

 そしてヘレンは――


ここあ(あいつ)、面白ぇな)


 と考えていた。


 ヘレンは見抜いている。


 あの涙も、謝罪の言葉もすべて嘘だ。


 神保ここあはただ、ヘレンに気に入られる最適な仕草と言葉を選択しているに過ぎない。

 だが、その目的は何だろう? そこまでして彼女がヘレンに媚を売らなければならないその理由は?


 そこまで考えて、ヘレンはようやく、自分が檀麗と仲良くなったことでクラスカーストの最底辺を脱していたことを自覚した。

 そして今、学校ではヘレンの空けたその席を巡って壮絶な『椅子()()()()ゲーム』が繰り広げられていることに思い至った。


 ヘレンがここあを『面白い』と思ったのは、彼女がかつての最底辺階級の少女に全力で媚びるというハイリスクな戦略を()ったことである。

 そこに、神保ここあが秘めている狂気を感じた。


 ――私……紅鶴さんに言われたこと全部やる!


 その狂気がどれほどのものか。どんな実験をすれば確かめられるだろう?

 ヘレンの心の中には、大抵の子供が幼少期で卒業しているはずの無邪気で残酷な好奇心がワクワクと湧き上がっていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

しばらく紅鶴ヘレンの話が続きますが、これは彼女たちが犯した罪の話であり

その先の罰への布石となりますので、お付き合いいただければと思います。


続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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[良い点] 読みようによってはガールミーツガールなハートフルストーリーにすら感じられる、ある少女たちの過去(´ω`)ただ、すでに周囲の心理と人間関係への鋭敏な嗅覚からコミュニティの頂点を獲れるヘレンと…
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