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第54話 地獄 ―ホーム―

 この日、紅鶴(べにづる)ヘレンは初めてバイトを早退した。

 理由は体調不良だったがヘレンは自宅には帰らず、馴染(なじ)みのカラオケボックスに飛び込んだ。


 手あたり次第に楽曲を入力し、室内に大音量の音楽をかける。

 これで、個室の声が外に聞こえることはない。


 個室を外界から完全に遮断したところで、ヘレンはバッグから取り出したスマートフォンを祈るように握りしめた。


(うらら)……。頼む、連絡くれよ……」


 ダメ元で離れた親友にメールを送るが、返ってくるのは送信エラーの無情な通知。


「はぁ……はぁ……あぁ……あああッ……アアアアアッ!!!」


 呼吸(いき)が上がり、歯の根がガチガチと鳴って声が漏れるのを抑えきれない。


「ガアアアアアーーーッッッ!!」


 狂ったように繰り返される、無意味なメール送信。


「畜生! 畜生! チクショウォォォァァアアアーーーッ!!!」


 名前も知らないJロックの爆音に張り合うかのように少女は叫ぶ。


「ざけんなざけんなざけんなざけんな! 何でいっつもあたしがァァァーーーッ!!!」


 その時、ドン、ドン、と個室のドアが強めにノックされた。

 ヘレンの体がびくりと跳ねる。


「ヘレン、どうしたの~? 今日はバイトじゃなかったっけ?」


 入ってきたのは、ふわふわのくせ毛を小さなツーサイドアップにした、トイプードルを思わせる小柄な少女、神保(じんぼ)ここあだった。


 その瞬間、狂乱していた少女の姿は跡形もなく消え去り、紅鶴ヘレンはいつもの冷徹な女王に戻っていた。


「悪いな、いきなり」

「ううん、ちょうどヒマしてたとこ」


 ヘレンの呼び出しに1も2もなく飛び出して来たのだろう。ここあはシャツのボタンを掛け違えていることに気付いていないようだ。

 ヘレンはここあの服を直してやりながら、その小さな体をくまなく触る。


「ケガしてねぇな? 途中何もなかったか?」

「えぇ? ヘレン何言ってるの? ちょっと、どうしたの?」


 くすぐったそうに身をよじるここあに、ヘレンは努めて冷静に告げた。


「店にあいつが来た。あの転校生が……」

「え? 転校生?」

姉原(あねはら)。姉原サダク」


 ここあの顔がすっと青ざめる。


「え、嘘……。だってあいつは……」

「生きてやがったんだよあのヤロウ。次の狙いはあたしらかも」

「ふぅん……そうなんだ……」


 大きな瞳がきょろきょろと動く。


「ここあ……」

「大丈夫!」


 ここあは自分自身を鼓舞するように叫んだ。

 自分を納得させるようにうんうんと(うなず)き、飼い主を信頼する子犬の瞳でヘレンを見つめる。


「ヘレンは強いもん。幽霊なんかに負けるはずない!」


 何の根拠もない気休めの言葉だったが、それでもヘレンは自分の心が落ち着いていくのを感じた。




  ◇ ◇ ◇




 紅鶴ヘレンの家は、寂れた居酒屋やスナックが並ぶ繁華街の裏通りにある。

 安いボロアパートや、ガレージか物置と見紛う貸家が並んだその区画を、ヘレンは「町のごみ溜め」と呼ぶ。


 回収日などお構いなしに捨てられた生ごみの臭いが漂い、夜には段ボールにくるまった男が道端に眠る、そんなごみ溜めの住民たちをして『人間のクズ』と呼ぶ者たちがいた。


 ヘレンの両親である。


 2人は揃ってアルコール中毒だった。母親はまだお腹にヘレンがいた時ですらお構いなしに酒を飲んでいた。

 ろくに働いたこともなく、親戚や近所から金を借りては踏み倒し、店に難癖をつけて商品をかすめ取り、時には万引きをして食いつなぐ。


 肉体労働には耐え得る身体を持っているにも関わらず、一時期は生活保護を不正受給していたこともあった。

 そんな数々の不義理な行為を、彼ら自身は「働かずに生きるための生活の知恵」と自賛してはばからなかった。


 物心のついたヘレンの人生最初の記憶は、「あの子と遊んじゃダメ」という言葉と共に自分の周囲から子供がいなくっていく光景だった。


 小学生の頃のあだ名は『赤い乞食(こじき)』だった。

 服はいつも同じ、大人もののTシャツと裾を雑に切ったジャージ。

 文房具も持っていなかったので先生やクラスメイトからシャープペンシルを借りていた。


 当時のヘレンは、物陰や部屋の隅に隠れるように棲息する、寡黙で無表情な少女だった。

 そんな彼女の人生を変えたのは、小学4年生の時の担任教師のある言葉である。


「紅鶴さん。いい加減、給食費払ってね」


 教室を満たす嘲笑の渦の中で、ヘレンは今まで抑え込んできた感情が急激に膨張するのを感じた。

 彼女が人前で大声で泣いたのは、この時が最初で最後である。




 この日から、ヘレンの戦いが始まった。

 年齢を偽って新聞配達のバイトを始め、休日には農家の手伝いをしてお小遣いをもらった。

 そこで得た伝手を頼って、いろいろな仕事を手伝った。どれもこれも、いわゆる『K』のつく仕事である。

 さすがに『危険』な仕事は避けたが、『汚い』『臭い』『給料安い』については決して文句を言わないことをヘレンは自らに課して取り組んだ。


 すべては、毎月の給食費を支払うため。


 それが紅鶴ヘレンの人生最初のクエストだった。


 もちろん、敵はいた。言わずと知れた両親である。

 彼らはヘレンが自力で金を稼いでいることを嗅ぎつけるや、容赦なく奪いにかかった。暴力を振るわれたのは言うまでもなく、年齢詐称の弱みを突かれては言いなりになるしかなかった。


 周りの大人は誰も助けてくれなかった。

 彼らもまた、文句を言わないヘレンを便利な労働力として低賃金でこき使い、いざとなったら「小学生とは知らず、騙された」と言って彼女を切り捨てる算段だった。

 売春をさせないだけ、自分たちは優しく良心的だとすら(うそぶ)いていた。


 そんな地獄の中で、ヘレンが出会ったのが(だん)(うらら)だった。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 語られる、悪党の裏にあった悲しい過去(ー ー;)これすら無さそうな和久井や千代田の薄っぺらさが際立ちますなぁ。 本当にサニバには美容室の話をヘレンに聞きに来ただけのようなサダクさん、♪(…
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