第53話 天敵 ―プレデター―
田舎の気質が多分に漂うこの日和見町にも、カフェチェーンはある。
サニーバックスコーヒー日和見町店の雇われ店長、大島睦夫はハラハラしながらレジカウンターを見つめていた。
接客しているのは1年ほど前から雇っているアルバイト店員、紅鶴ヘレンである。
彼女の可憐な顔立ちとハキハキした受け答えが気に入って採用したのだが、店長は徐々に彼女に対して苦手意識を持つようになった。
勤務態度は悪くない。むしろ優秀だ。
遅刻や欠勤は1度も無いし、急なシフトの穴埋めにも快く応じてくれる。仕事の覚えも早く後輩の指導もうまい。
接客だけはやや固いが、迷惑客やクレーマーを冷静で毅然とした態度であしらってくれる。
彼女がいるというだけで、他の子たちも安心して自分の仕事に集中できているのがわかる。
ヘレンは頼りになる。
しかし、頼りになり過ぎる。
ヘレンに指導された新人たちはもちろん、最近では古参の店員まで、店長である大島よりもヘレンの指示を優先している節がある。
厄介な客への対応をヘレンに押し付けてきた自分にも非はある。
だが、出店以来ずっとこの店を支えてくれたナンバー2とも言うべき人物が逃げるように店を辞めた時、店長はこの赤毛の少女に対して明確に恐怖を覚えた。
ヘレン自身やその取り巻きが直接何かをするわけではない。
ただ、彼女がいると店の空気が変わるのだ。この変化をどう説明したらよいか。
あらゆる指揮系統がヘレンを中心としたものに変貌し、誰も彼もがヘレンに質問し、ヘレンの指示を仰ぎ、ヘレンの評価を気に掛ける。ヘレン、ヘレン、ヘレン……。
そしてその派閥に組しない者は圧倒的な疎外感を味わう。
カリスマ、リーダーシップと言えば聞こえはいいが、彼女の求心力にはどこか不健全で、邪悪なものが潜んでいるような気がしてならない。
しかも、その方が店がうまく回転するのだから余計にやりきれない。
雇われとは言えここは自分の店のはずなのに、まるで他人の家にいる居心地の悪さ。
いっそ自分も彼女の僕になってしまえば楽になるのに、とささやきかけてくる心の声。
勤務態度に粗の無い彼女を辞めさせるわけにもいかず(しかもそれをやると他の店員も大量に辞めそうな雰囲気である)、店長は見えざる圧力に押し潰されるような思いを日々味わっているのだった。
さて、そんな誰もが認めるこの店の影の主人である紅鶴ヘレンが今、1人の客をにらみつけて緊迫した空気を放っていた。
「何の用だ……」
先に沈黙を破ったのはヘレンだった。カフェの店員が口にすることはまずないであろうセリフである。
「しばらくぶりです、紅鶴さん。髪型変えたんですね」
ある時を境に、彼女の紅い髪は前髪が下ろされ、長かった後ろ髪はばっさりと切られて所々に跳ねのあるショートウルフになっていた。
その目つきの鋭さと相まって、その容姿はよく言えば凛とした、悪く言えば攻撃性が前面に押し出されている印象である。
そんなヘレンに睨まれている客の方は、一見普通の若い娘だった。歳はヘレンと同じくらいだろう。袖にボリュームのあるゆったりとした白シャツに黒のショートパンツ、頭にはブラウンのキャスケットをかぶった、あか抜けたファッションの少女である。
少女は口元に穏やかな微笑みを浮かべ、ヘレンの発するピリピリとした空気を柔らかく受け流していた。
「何で、テメェがいっちょ前にオシャレしてサ店に来てんだよ、姉原……」
「紅鶴さんに会いに来たんです。ほら、美容院を教えていただく約束だったじゃないですか」
「覚えてねぇよ。とっとと失せろ」
店長はついにこらえ切れなくなってレジカウンターに走った。
「紅鶴さん! さすがに! さすがに!」
「くっ……」
カフェの店員にあるまじき形相で客をにらみつけるヘレン。
「ああ、お気になさらずに。私たち、そういう間柄なんです」
対して、笑顔でひらひらと手を振る姉原と呼ばれた少女。
「クラスメイトなのかな? でもいくら友達でも、他のお客様もいるから、頼むよ」
「すんません」
店長にぺこりと頭を下げ、ヘレンは客に向き直る。
「注文は」
憮然とした表情で言葉を放り投げるヘレン。最大限大目に見てぎりぎりセーフと言えなくもない態度である。
少女への失礼を詫びる気は欠片もないようだった。
「うーん……」
そんなヘレンの圧力をものともせず、メニューを見ながら小首を傾げる少女。
その表情に店長はふと違和感を覚えた。
何を頼もうか悩んでいるというより、メニューに書かれている言葉がわからなくて悩んでいるように思えたのだ。
「あ、キャラメル!」
不意に少女が嬉しそうに叫んだ。
声が大きすぎたと思ったのか、白い頬をほんのりと紅く染め、口元に軽く両手を添えて周囲を見回す。
「これください。キャラメル……フ……ラ……ふらりぺーの?」
「……どういうつもりだ?」
ヘレンの声が1段階低くなった。
店長の背筋に寒気が走る。彼女の声は肉食獣の唸り声を連想させた。
末恐ろしい少女だとは思っていたが、いまだ彼の知らないヘレンの闇の深さを垣間見た気がした。
「すみません。他がよくわからなくって」
「……」
「紅鶴さん、頼むから」
ヘレンははっと我に返ると、軽く首を振って冷静さを取り戻した。
「キャラメルフラペチーノ。サイズは?」
きょとんと首を傾げる少女。
ヘレンは苛立ちを隠そうともせず、カウンターを指先でトントンと叩く。
「ショート、トール、グランデ、ベンティ」
少女の首の傾きが大きくなる。
ヘレンはあからさまに舌打ちをした。
「S、M、L、LL!」
「……?」
少女の首が反対側に傾ぐ。
「小さい、中くらい、デカい、馬鹿デカい、どれだ!?」
「ああ、それでは一番大きいので」
「はぁ……そんじゃ、右にずれてお待ちください」
「はい♪」
ヘレンのぶっきらぼうな指示に素直に従い、ウキウキとドリンクを待つ少女。店長はほっと胸をなでおろすと自分の業務に戻っていった。
やがて、「キャラメルって飲み物なんですか!?」という驚きの声が聞こえてきた。
変な少女だ。想像を絶する箱入り天然娘なのか、それとも昭和からタイムスリップして来たのだろうか。
いずれにしても、あの紅鶴ヘレンを翻弄する者が存在するとは思いも寄らなかった。
(誰にでも天敵ってのは居るモンだな)
悪いとは思いつつ、大島店長は日頃の溜飲が下る思いを味わいながら、お詫びのサービスであるフルーツタルトを少女のもとへ持って行った。
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