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第50話 再開 ―レジューム― ◇和久井建設社長、和久井准二の制裁・中編

 弾丸に肉を(えぐ)られ、全身に大輪の赤い花を咲かせながら、海老澤(えびさわ)永悟(えいご)は笑った。

 彼女が最も罰したかった者。それは自分自身だったから。


 あの日、(あきら)を助けるためとは言え、自分は考えなしに和久井(わくい)春人(はると)に挑んでしまった。

 父親は永悟を守るために和久井家に詫びを入れ、その結果あの手この手で会社をほぼ乗っ取られることとなった。


 株式を発行し、その大半を和久井に譲渡させられたり、土地を担保に返済などできっこない融資を受けさせられたり、昔ながらの顧客を切らされ、和久井グループの企業と契約をさせられたり……。


 父にとって、それは身を切られるような思いだったろう。


 でも、父は永悟を責めなかった。

 それどころか、「こんな目に遭うまで気付いてやれなくて済まなかった」と永悟の心を肯定し、受け入れてくれた。


(ごめんなさい)


 自分の軽率な行動、親よりも先に逝く不孝、それらへの詫びはもう済ませている。

 今、彼女が謝罪したのは、自分の最期の瞬間を父にではなく明に捧げることに対してだ。


 不甲斐ない自分を守るために、激化する暴力を一身に浴びた愛しい人。

 誰よりも優しく、誰よりも強い心を持っていた敬愛する人。


 彼の温もりを思い出しながら、永悟の意識は闇へと沈んでいった。




  ◇ ◇ ◇




 姉原(あねはら)サダクは胸に深々と突き刺さった凶器を、まるで歯に挟まった小骨か何かのように気軽に抜き取った。

 溢れ出ていた血の勢いが次第に弱まり、やがて止まる。


「何モンだ、お前……」


 呆気にとられる和久井(わくい)准二(じゅんじ)に向かって、サダクはにっこりと微笑み、1歩近づこうとして――




 こけた。




 べたんっ、と顔面から床にダイブするように。


「……」

「……」


 涙目で起き上がるサダク。黒いロングスカートを恨めしそうに見つめる。

 どうやら長すぎる(すそ)を踏んでしまったらしい。


 サダクは軽く肩をすくめると、いそいそとスカートのベルトを外し始めた。


「おい……」


 裾丈を調整し、ベルトを締め直す。その場でくるくると回って動きを確かめる。

 すぐそばに異性の目があることなど、まるで意に介していなかった。


「……おい」


 声を震わせ、うめくように語りかける和久井。

 一方のサダクは和久井に一瞥すらくれず、今度はブーツの紐を締め直しにかかる。


「おいコラァ!」


 ついに和久井は叫んだ。

 この町で、この自分が待たされるなどあってはならない。

 ましてや無視など極刑に値する大罪である。


 銃口を少女に向ける。


「大人を舐めるなよ、ガキが」

「……?」


 きょとん、と傾く首。拳銃を見ているようで、見ていないような、底なしの沼のような闇色の瞳。


「――ッ!?」


 見られた――。

 そう感じた瞬間、和久井の中で何かが弾けた。


「やってやるるぁこんガキャあ!」


 微妙に舌をもつれさせながら引金(トリガー)を引こうとしたその刹那、サダクの腕が白い鞭のようにうねった。


「――あ?」


 手の平から質量が消える。

 拳銃を奪われたことに気付くのに数秒の時間を要した。


「あ、ああ……あ?」


 引き金にかかっていた人差し指をはじめとした数本の指が、あらぬ方向にねじ曲がっていることに気付くにさらに数秒。


「おい、待て、嬢ちゃん、待て――」


 そして目の前には、奪い取った拳銃を物珍し気にいじり回すサダクの姿があった。


「バカ、やめろ……」


 実は彼の拳銃はチャイナマフィアから密輸した粗悪なコピー銃である。本来は護身用ですらない、お守り以上の価値のない代物だった。


 本当は使いたくなかった。だが、永悟の気迫に圧され、思わず使ってしまったのだ。


 そんな事情など知らないサダクは、無邪気に微笑みながら和久井のマネをするように銃口を向ける。


「バカヤロォ!」


 無造作に引金が引かれた。


「――ッ!」


 ガチンと、間抜けな音が響く。


「あ……?」


 恐る恐る目を開けると、怪訝(けげん)な顔で銃を見つめるサダクがいた。引金に指をかけたまま銃口をのぞき込んでいる。


「はは……」


 銃が粗悪品であったことが逆に幸いした。弾が出る前に故障してくれたのだ。


「返しな。お嬢ちゃんには過ぎたおもちゃだ」


 和久井は落ち着きを取り戻しつつあった。恐怖が鎮まると入れ替わるように、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。


 何なのだ、この少女は?

 どこからともなく現れ、和久井の神経を逆なでするのを楽しんでいるかのような傍若無人さ。

 和久井の最も嫌悪する人種である。

 何人(なんぴと)にも、自分にそんな態度をとらせないために彼は今まで生きてきたと言っても過言ではない。


 和久井准二。


 准二。


 彼は、自分の名前が嫌いだ。

 どこまでも自分が2番手であることを刻み付けてくるこの名前が嫌いだ。


 長男が絶対的な権力を持つ和久井家において、彼は次男として生まれてしまった。

 彼が生まれた理由、生きる意味、すべては実の兄春久(はるひさ)の代替品だった。


 彼は、人間が人格を形成する大切な時期のすべてを、周囲からないがしろにされてきた。

 自分が何をしても、兄以上に()められることは決してなかった。

 運動会、誕生日、授業参観――彼の大切な時間は、兄の大したことのない微熱やかすり傷よりも優先度が低かった。




 ――俺を無視するな――




 彼の人格が形成された時を同じくして、兄春久が事故死した。

 轢き逃げだった。初動捜査の遅れが祟り、犯人はいまだ不明である。




 ――俺を恐れろ――




 春久の子を身ごもっていた義姉が流産した。

 何者かに駅の階段から突き落とされたせいだった。現場には大勢の人がいたにも関わらず、みな怯えたように口をつぐんだ。




 ――俺を見ろ――




 この期に及んで、少女の黒い眼差しは役立たずの拳銃に注がれていた。


「こんガキがァァァーーーッ!!!」


 准二はサダクの血にまみれたブラウスを掴むと、その美貌に拳を叩きつけた。

 指が折れ曲がっていることなど、沸騰した和久井の脳は感知していなかった。

 仰向けに倒れる細い体に馬乗りになり、ところかまわず殴打する。


「舐めるな! 舐めるな! 俺を舐めるなァーーーッ!!!」


 今や、和久井准二の思考はどす黒い赤に染め上げられていた。

 このどす黒い赤こそ彼の本性だった。


 いかなる物事にも動じない鋼の男。

 大物を演じる臆病で小心な男。

 そのいずれもが、彼の仮面(ペルソナ)に過ぎない。


 怒り、嫉妬、欲望――。


 そんな本能に突き動かされ、衝動の赴くままに暴れ回るその姿は――、人間性など欠片もなく、さりとて獣にもなり切れないその姿は――




 白い手が、准二の頬を包み込むように添えられた。


「え――?」


 准二の手が止まる。

 彼の前には、原形を留めないほどに変形し、腫れあがった少女の顔がある。

 だが、その顔は見る見るうちに元のなだらかな曲線と透き通るような白色を取り戻していく。


 現れるのは、穏やかな微笑み。


「あ、あぁ……」


 少女の手が男の頭を胸元にいざなう。

 細い指先が、白髪交じりの頭を優しく撫でる。


「俺は……俺は……」


 男の両目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「か、母さ――いだァァァーーーーッ!!?」


 突如、汚い奇声が響き渡った。




 和久井の背中に回されたサダクの手には、先端を鋭く研磨された鉄の管が握られていた。


  ☆ ☆ ☆

元日和見高校2年A組 海老澤(えびさわ)永悟(えいご):射殺。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とにかく自身の小さな器が明かされる怯えと溢れる恐怖心を塗り潰すべく暴力コミュニケーションに邁進するクズ社長と相変わらずエンジンに火が灯るのがのんびりしているマイペースサダクさんの対比(´ω…
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