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第49話 再誕 ―イースター― ◇和久井建設社長、和久井准二の制裁・前編

 いまだ、和久井(わくい)建設本社ビルの社長室には1人の兵隊も集まっていなかった。


「……」


 大きな革張りの椅子に悠然と腰を下ろす和久井准二(じゅんじ)は沈黙を守っている。


「おい」


 口を開いたのは、准二の秘書兼ボディガードを務める巨漢だった。その目は絨毯(じゅうたん)に散った血とガラスの破片を片づけている若手社員に向けられている。

 先刻、社長にガラスの灰皿で殴られたその若者は、曲がった鼻にティッシュを突っ込んでいた。


「はい!」


 若者は弾かれたように立ち上がり、突き立てられたピンのように背筋を伸ばす。


「外の様子見てこい」

「へ……」


 殴られて歪んでいた顔がさらに歪む。すがるような目を走らせるが、秘書は石像のように動かず、社長に至ってはこちらを見てもいなかった。


「何してる? 早く行け」

「あ、はぇ……」


 泣きそうな顔で社長室を飛び出していく若者を見ながら、秘書は唾を吐くように「……ったく」と(つぶや)いた。


「……」

「……」


 窓越しに、いくつかの緊急車両のサイレンや野次馬たちのざわめきが聞こえてくる。

 秘書は10秒と間を置かずに電話をかけ続けているが誰も出ない。


「社長……」


 和久井准二は黙っている。目は半眼で、うたた寝をしているようにすら見える。


(さすが社長だ。まったく動じていない)


 秘書が社長への尊敬の念を強くしたその時だった。

 ドアの向こうで、ごとん、と重く固い音がした。


「! 何でしょう今の……?」

「……」


 和久井准二は黙ったまま、軽く顎でドアを指す。


「へい……」


 普段はしないヤクザ風の返事をして、秘書はドアへ近づいていく。

 ごくりと喉を鳴らすと、秘書はドアノブをゆっくりと回す――


 ブォン! とふかされるエンジン音。


「!?」


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 奇怪な音と共にドアをすり抜けてきた何かが、秘書の手首を持って行ったように見えた。


「うっ、おおおおおおッ!?」


 間をおいて訪れた激痛によって、呆けていた脳が覚醒する。

 床の上に手首が落ちていた。


「あああッ!?」


 理解が現実に追いついた。


 チェーンソーだ。

 ドアを切り裂いて現れた回転する(のこぎり)によって、秘書の手首が切り落とされたのだ。


「何だこりゃあ!?」


 爆音と共に再び現れる血塗られた刃。それはドアノブの周りをゆっくりと巡っていく。

 鍵をドアと周囲の壁ごと切り取ってしまうつもりなのだ。


「やべぇ! 社長! 逃げ――」


 振り返った秘書の背中に、蹴り倒された重厚な扉がのしかかり、彼はバランスを崩した。

 床に手を着こうにも、そもそも着ける手は片方を切り落とされている。


「ちくしょう! なめやがっ――!?」


 倒れたドアの下敷きになった秘書の目の前に回転する鋸刃が現れた。


「ぐひっ!?」


 そのすさまじいパワーと切れ味によって、刃は床をも貫通していた。

 死神の鎌と言うにはあまりにも異形の刃が、木屑と粉塵を巻き上げながらゆっくりと近づいてくる。


「待て、待て! 待て待て待て待て――」


 見開かれた眼球がかすかな風を感じる。高速で回転するチェーンが作り出す死の風だ。




  ◇ ◇ ◇




「ぎゃああああああッ!!!」


 和久井准二の目には、切り裂かれるドアが血を噴いたように見えた。

 レスリングで鍛え上げられた秘書の肉体は、その本領を発揮することなく、ドアの下でぴくぴくと痙攣する肉塊になり果てた。


「……」


 和久井の目の前に何かが放り投げられた。


「む……」


 目と口を驚愕の恐怖に見開く生首た、高級な黒檀(こくたん)の机の上を独楽(こま)のようにくるくる回る。

 鼻の穴に詰められたティッシュがひらひらと舞う。


「何じゃお前は……」


 それまで、何事にも動じない鋼の男を演じていた和久井建設社長にして和久井家の当主。その彼が声を発したその瞬間――


「何じゃァァァお前はァァァ!? 俺を誰だと思っとんのじゃあァァァ!? 礼儀知らずにもほどがあんだろうがァァァ!」


 彼の内部で無理やり抑え込んできた感情が一気にあふれ出し、彼の体は放たれたゴム風船のように椅子から飛び上がって背後の窓にへばりついた。


「ここ、こんなことをして、タダで済むと思っとんのか!? ワレぁいったい何モンじゃ!? 何が目的じゃコラァ!?」


 分厚い鋼のメッキが自らバラバラとはがれていく。


「……」


 肌とブラウスを返り血で赤黒く染めた大柄な女。その右腕には、これまた返り血によって黒いまだら模様となった銀色のチェーンソーが(くく)り着けられている。

 内出血により紫色に染まった右腕は、エンジンの振動にもてあそばれるように震えていた。


「どうも、和久井社長」


 美女の口から紡がれる、重く低い声。


「お前、オカマか!? そんなモンで、そんなモンで! 何する気だおい!?」

「ずーっと考えていました。『彼女』に復讐を任せるとしても、最低1人は自分の手を汚そうって」

「何言ってる!? イカれとんのかワレェ!?」


 チェーンソーが落ちて、床に突き刺さる。


「それを誰にしようか。明を殺した張本人? 親子ともども苦しめてきた千代田の奥様?」


 ロングスカートの腰から、ずらりと引き抜かれる短刀のようなもの。それはよく見ると、先端を鋭く切断された細い金属パイプに取っ手を着けたものだった。


「でも、それだと『彼女』に失礼な気がします。後始末を任せてしまうみたいで」


 冷たい汗が和久井の背中を濡らす。

 彼に学はないが、本能的に察する。あれで刺されたら、空洞の刀身から血を噴きだして失血死する。


「だから私自身は、明じゃなくて、父の復讐を果たすことにしました。母が命と引き換えるようして守った会社を、あくどい手口で乗っ取ったあなたを殺す」

「お前、まさか海老澤(えびさわ)の……」

「海老澤車輌は、私にとっても兄のようなものですから。返してもらいますね」


 暗器を手に、海老澤永悟(えいご)は跳躍する獣のように机を飛び越え、和久井に迫る。


「ナメるなワリャア!」


 ぱぁん! と、乾いた破裂音が響く。


 失速した永悟の長身が、どさりと床に落ちる。


「ガキが……」


 煙をあげる拳銃を構える和久井准二。

 ゆらりと立ち上がる永悟の胸に、赤い染みが広がっていく。


「俺を誰だと思ってやがる!」


 ぱんぱんぱん、と拳銃が続けざまに火を噴き、そのたびに永悟の体は小さく跳ねながら赤い花を咲かせていった。


「これが大人の世界の厳しさってやつだ。綺麗ごとで世の中渡って行けんのよ。何が復讐だ、夢見やがって。んなモン現実ではなぁ……」


 仰向けに倒れる永悟。転がった手製の暗器を、和久井は拾い上げて永悟の胸に突き立てた。


「ざっとこんなモンよ」


 どこか遠くを見つめるように事切れた永悟の(かお)に唾を吐きかけると、和久井准二は革張りの椅子に深々と腰を下ろし、血の臭いから逃げるように窓側を向いた。


「ナメやがって……」


 息子の同級生に一瞬でも怯えてしまった自分が腹立たしい。


「俺は和久井家の当主だぞ。いや、これからは先代を超えて……。こんなことで(つまず)いてられっかよ……」


 ひたすら独り言をつぶやきながら、和久井は外の景色を眺め続ける。分厚い窓ガラスを通して外の騒ぎがうっすらと聞こえてくる。

 自分から助けを求めて外に出るなんてみっともないことはしたくない。

 むしろこの部屋で救助に来た者たちを迎え入れるくらいの度量を見せなければならない。


「くそ、臭ぇな……」


 煙草を一服しようと和久井が振り返ったその時だった。


「な……」




 海老澤永悟の死体が消えていた。




 代わりに、少女がぽつんと立っていた。




 顎のラインで切り揃えられた、ゆるやかに波打つ黒い髪。

 肌は生白く、永悟よりひと回りもふた周りも細い体格にすらりと長い手足。


「誰だ……? いつの間に……?」


 呆然と呟く和久井社長に向かって、少女はきょとんと首を傾げたが、やがてロングスカートの裾をつまんで軽やかにお辞儀をした。


 胸に鉄の管が突き刺さったままで。


「初めまして、姉原(あねはら)サダクと申します。永遠の17歳です」


 桜色の唇がふわりと微笑む。

 だが、その瞳は一切の光の存在を(ゆる)さない、どこまでも深い黒だ。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

続きが気になるという方は、広告の下にある☆☆☆☆☆より評価をしていただけると嬉しいです。


今後ともよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自分の復讐はサダクさんに託し、贄とする自身の身体が事切れるまでは愛した父親の復讐を自分の手で遂げようと進み続けた永悟(ー ー;)その真っ直ぐな生きざまと卑劣さに阻まれた無念はアメリカンニュ…
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